日記。20110806
今日は休み。いまは朝。
昨日は、寝る前、頭のクールダウンに、内田樹さんの武道の本を少し読む。内田樹さんは哲学と武道を仕事の領域にしている。両方とも身体的な作業である。意識が意識を見るのではなく、頭脳が身体の中に合一するルートを意識の内部に確保しておくことによって、身体が頭脳をたすけてくれる。そういう関係を日常化すること。読んでいるとうらやましいと思い、耳の痛いことも多い。
しかし歴史学は、なかなかそうはいかない。内田氏は朝の頭が一番いいということであるが、私だけなのかも知れないが、どうも歴史学の原稿書きには朝が一番よくない。そこで、調子がでないまま、こういう文章を書いて頭の準備運動をしている。学者というのは、頭のスポーツを仕事としている人種であるから、頭の機嫌を取り、調子を整える技術をもたないとならないのだが、私は朝に弱いのである。
これは一つは長い間の生業が編纂であるためかもしれない。今の仕事を始める時に、I先生から「朝に編纂をやって仕事を進めれば、午後3時くらいには時間ができるから、それから好きな勉強をやればよい。よい職場だ」といわれた。朝は通勤と編纂の時間のはずなのである。
編纂は史料を読む仕事で、そういう意味では受動的な仕事である。次々に史料を読んで、その字を書いていく仕事である。ただ、次々に史料が読めるようにするためには、大量の準備実務と雑務が必要で、実務に弱い私などは、I先生に教えられた通りにやることはできなかった。悔恨。しかし、ともかくも史料を処理していくということの基本は教わったと思う。頭を空にして、目の前の史料と勤勉に向き合うということである(もちろん、書いた翻刻は正確に覚えこだわっていないといけない。けれども次の史料のために一度は忘れないといけない)。
けれども、研究上の原稿書きということになると、そうはいかない。そこでは逆に頭を一杯にしておかねばならない。史料の中身をまず頭の中に入れて、頭の中になじむようにして、隣りの史料ともなかよくさせる。下ごしらえは、その前に済ませておかねばならない。というよりも、使用する史料としてリストアップするというのが下ごしらえのほとんど全部で、いわば土がついたままの材料である。そしてほとんどは捨てる。
そういう慌ただしい作業の中で、頭の中で排列を造り、史料のおのおののが語ることを記憶し、全体の像を組み立てる。これは分析と総合ということとも違い、むしろ総合が先にきて、総合の必要性があって、分析に進む。総合の方向がでないと分析もできないという形である。
こういう砂上の楼閣のようなものを、たくさんたくさん作りながら、十中八九はうまくいかないので、それを崩しながら、間違わないように文章を書いていく作業をやっていると、たいへんに疲れる。けれども疲れた時の頭が一番効率がよいのである。つまり執筆用具としての頭は、その時頭に入っている史料で一杯になっているから、それに適合した執筆用具になっている。そういう形で毎回、毎回、執筆用具を作らないとならない。朝起きて、昨日の作業が頭の中から消えていると、同じペースの仕事に戻るには時間がかかってしょうがないのである。
こうやって手作りの仕事をしていくのであるが、こういう仕事はやはりあまり人間にはよくないのではないかという感じもする。粘液質という言葉が心理学的にどういう意味か、正確なところは知らないが、あまり健康ではない仕事のように思う。意識の中に存在する史料(活字)との無限の対話を続けることが健康によい訳はない。そして、私はご多分に漏れず、ほとんどの作業をPCでやるので、いよいよ無限感は増大する。
こういう結論になっていつもやってくるのは、机の周りを整理し、本棚を整理し、研究課題を整理し、もう少しゆっくりと仕事をしようという見果てぬ夢。
学者は頭のスポーツであるといったが、内田先生によると、「武道」はスポーツではない。修養であるということである。これはその通り。御説ごもっとも。哲学と武道のマッチングが幸せなことはよくわかります。
しかし、そもそも頭脳労働というものそれ自身は修養にはならないから、そういうことで毎日を占有されている人間にはどういう救いがあるのであろう。学問はそれ自身はスポーツでしかありえないのではないか。もちろん、学問はさまざまな身体的能力を必要とするが、それは身体を搾取するだけである。学問それ自身が修養になるなどということはありえない。しかも時と場合によっては低級きわまりないスポーツであり、時と場合によっては、(たとえば過去の時空、時間と空間の復元に成功したと思った時は)麻薬のように楽しい仕事。
そういう空虚な重荷をもって生きていくことが、学問外の修養を、人一倍、必要とさせるのかもしれない。そうだとすると、歴史学者にとくに必要な修養というものがありそうに思うが、どうもそういうものを積み重ねてきたという自信はまったくない。人間としての修養それ自身にも自信がない。どうしたらよいか。これは、今度、和尚さんにきいてみよう。
以上は朝書いたもの。今は真昼。すでに気分が違う。
そして思うのは、歴史学にとっての他者、他の研究者のもっている意味。それは机辺に並ぶ友人の論文や著書の形態で私の眼前に存在するが、その中に入っていくことが、意識の無理のない拡大をもたらす。久しぶりに水林彪氏の著書を読んでそう思う。彼のいっていたことの意味が少しわかり、そして同時に若干のオーバードライヴも可能かもしれないという気持ちがする。頭脳スポーツでも他者を前において労働をしていれば、修養にもなるのかもしれない。
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