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2011年8月19日 (金)

銚子ヒゲタ醤油工場で「村の鍛冶屋」と「森の水車」を考える。

 何年か前、家にいたスイスからの留学生のシモンくんがまた日本にきているので、彼を案内して、犬吠埼の暁雞館に泊まり。高村光太郎と長沼智恵子の出会いの場所。
110819_05095400_2   日の出は4時58分。5時くらいに、犬吠埼の真東の雲の中に赤い太陽が浮かび上がる。携帯の写真ではその迫力は十分にとれないが、見る見る上がっていく。日の出の太陽の動きをみたのは10年ぶりか。静かな星空と動く太陽ということを忘れていた。
 110818_154814_2 犬吠埼の灯台の上の風は激しかった。
110818_154948

 ヒゲタ醤油の工場見学にいって、いま銚子駅。千葉へ帰る電車。工場には「もろみ」を発酵させる大きな杉桶があった(今は使っていない)。高さ2,4メートル。直径2,5メートルという見事なもの。史料館には杉桶をつくるための鉋などが展示。
110819_113942  「しょうゆソフトクリームアイス」がおいしく、シモン君も驚く。「ひしお」をおみやげにかってかえる。醤油の原料は大豆・小麦・塩。大豆はタンパク質、小麦は澱粉ということを始めて知る。大豆が植物性蛋白、小麦は澱粉ということはおのおの知っていたが、組み合わせが「醤」「醤油」とは考えたことはなし。たしか織豊期、多聞院日記に、酒造の大きな桶に女性が不注意で落っこて死んだという記事があるが、いつ頃から桶が巨大化したかは、桶樽研究会の110819_115300 論集でも最終的な結論はついていない。

 私は桧物についての論文を書いたことがある。そこで「木」と木工技術は、前近代の生産手段の筋骨系の基本であるが、日本ではそれよりもむしろ「容器系」の生産手段の位置が大きかったと論じたことがある(「蔵人所檜物作手と桧物の生産・流通」佐藤和彦編『中世の内乱と社会』)。そのうち、巨大な桶をつくる木工技術の研究に続けたいとは思っているが、そのままになっている。


 手工業は木工から始まる。ブローデルの仕事でしか知らないが、ミルから水車・風車にいく段階での木工技術は、日本の江戸時代の脱穀などのイネの調製のための木工技術と類似した印象のものである。しかし、より本格的で、これがヨーロッパ手工業からマニュファクチャーへの展開、つまりヨーロッパ「近代」の展開のもっとも大きな原点になったのだと思う。
 水車は地域に必ず置かれる。「緑の森のかなたから陽気な音がきこえます」、コトコトコットンの水車の歌である。そして同時に鍛冶屋がいる。「しばしも休まず槌うつ鍛冶屋」という「村の鍛冶屋」の歌。この二つの歌がもっている意味についての話は、大塚久雄先生の授業や御話しで何度かきいた。あの歌が歌われるようになったことの意味についても鮮明なイメージをあたえる説明があったと思う。詳しいことを忘れている。これは著作集に説明があったと思う。
 「村の鍛冶屋」と「水車」が大きな意味をもったのは、「小麦耕作→パン
」(そしてミルク)というヨーロッパの生態学的な生活様式によるものである。小麦を粉にするための「道具」、粉をパンにするための「火」が、農業過程から相対的に離れた生産工程となっていることが、中央アジアより西北の社会的分業の様式の大きな特徴であり、この「粉」を作るための労働はきついものと、シモン君もいっていた。彼の世代でも、「昔」は、家で麦打ちをやり、石皿をつかってパン粉をつくった。五分で疲れてやになったといっていた。しかし、彼の世代でも自分たちの分を製粉したことがあるというのは驚き。
 ブローデルを読んでいると、ミルを水車・風車に展開するための木工技術は相当のものであると思う。そして、このような木工技術は「鉄」加工と直結している。これが手工業の多様な展開を結果したのだということがよくわかる。ブローデルのいう「物質文明」は、より端的にいえば生産諸力のことであるが、それを「物質文明」といいかえつつ、具体的に、あるいは読みやすく論じたのがブローデルがよく読まれる理由なのだと思う。木でつくった10メートル以上の高さをもつクレーンの絵には驚いた。
 日本のイネ・米は、粉にしなくてよいし、炊飯も単純でうまいので、さぼっていてよかったということである。条件がよければ物事は展開しない。農耕と家内手工業の複合体という議論をする場合に、世界各地の自然環境や生活様式でまったく話が違ってくるというのが、大塚先生の江戸時代農業史の話をきいた時の感想。それをヒゲタの醤油工場で思い出すことになるとは思わなかった。日本では木工技術から手工業の離陸は織豊期まで下がったが、ヒゲタの工場内においていある「大杉桶」は、その原点。
 「物質文明」の相違を基本にして世界のことを了解するというのは、歴史学の重要な課題であるが、日本では醸造業から木工技術が展開したというルートを引けると思う。所詮、「物質文明」である以上、日常的な生活様式の根拠のない技術展開はありえない。醸造業の展開は、その意味では室町期手工業論の基本に位置する。ようするに、これは「日々のパン」を大事に考えられた大塚先生にいったら、「保立君は何をいいだすかわからない」と笑われるであろうが、日本の物質文明は醸造系、「酒、みそ、醤油」、とくに「酒」が原点ということかもしれない。
 「村の鍛冶屋」と「水車」のイメージが、いわゆる「大塚史学」の「局地的市場圏」論の基礎にあった。それは、農業と手工業の地域的な関係がねっこにある関係で、ここで価値法則が貫徹するというのが大塚先生の説明。これが「中世の民富」の原点にあったというのが、大塚さんの本源的蓄積論の原点でもあった。ある日の授業で、この局地的市場圏を原点にして民衆運動があったという説明があったが、正確な趣旨のノートはとっておらず、そのブリリアントな説明を復元することはできない。そういう言及がないかと著作集を探した記憶があるが、どういう説明だったのか、私には、もうわからない。
 ブローデルやウヲーラステインと大塚史学はまったく違うようにいわれる。たしかに資本主義起源論としては「上からの契機」を具体的に説明するブローデルの理解は説得性が高い。ウヲーラステインのは下手な理屈が多くて、あまり感心しないが、ブローデルの叙述はさすがである。しかし、経済理論の問題としては、ブローデルの市場経済理解は価値法則の貫徹を強調する点で、大塚さんと同じだと思う。これは当然のことかもしれないが、さすがのブローデルも東アジアの「物質文明」を対比基準として利用するだけで、中身には踏みこんでいないから、私にとっては大事なことである。
 ヒゲタは田中玄蕃の創業。『玄蕃日記』を積み上げた様子を示す画像が、ヒゲタの工場案内の最初にでてきたのは印象的。私にとっては禅僧の無本覚心が醤油の原点として名前がでてきたこと。醤油は、金山寺みそにあり、それは禅僧の無本覚心は、花山院氏の一族で中国の径山寺に留学し、紀州の興国寺に持ち帰ったみそが「金山寺みそ」となる。それを紀州の湯浅が移植して、産業化したが、金山寺みその「たまり」が醤油のもとという話。
 覚心上人は大徳寺の開山の宗峰妙超とも関係が深い。禅宗は、こういう形で、日本の文化、「物質文明」に根づいているのだと思う。
  さて、自宅に帰り着いて、いま、これを上げるために、PCをつけ、防災科研の地震データをみると、原発のすぐそばの海でマグニチュード3である。くわばらくわばら。いまから、明日の講演の準備の詰め。

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