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2011年8月 7日 (日)

地震火山40、火山ガスの飛散と放射能

110807_061728_2  朝。5時起き。花見川の自転車コースを走って、その後、ファミリーレストランでコーヒー。汗をかいてさすがに気持ちがいい。
 この夏は、どこにもでかけないが、そろそろ予定が詰まってくる。明日からは気をかえて行動開始しないと間に合わない。
 火山学の早川由起夫氏が、火山灰の飛散ルートの予測の技法を使って、放射能マップを作ってオープンしている。火山灰の拡散と放射能粒の拡散は同じ流体力学の法則にしたがうから、火山学の知識を応用可能であるというのに驚く。早川さんには八・九世紀の「大地動乱」をどう考えるかについて今村明恒の見解に疑義を提示した、私の見解からすると十分に検討せざるをえない重要な論文があって、それでお名前を知っていた。
 八・九世紀の噴火によって発生した火山灰の飛散を示す史料のうち、興味深いわりに、これまで注目されてないように思うのは、八八五年(仁和一)の薩摩国開聞岳の噴火と、翌八八六年(仁和二)の伊豆新島の噴火であろう。
 まず前者は、七月一二日夜と八月一一日、二回にわたっておきたもので、七月の噴火では、肥前国まで「粉土・屑砂」交じりの雨が降下し、水田・陸田の苗や草木に降り積もって、植物がいっせいに枯死直前にまでいったという。幸いに、大雨が降って、「塵砂」を洗い流したために、枯苗が再生したというが、薩摩と肥前の間の肥後国をふくめれば、相当の被害がでたことは確実であろう。とくに薩摩国では、火山灰降下が続き、八月には、砂や石が地面に五六寸から一尺ほどの厚さで降り積もり、田野が埋没して大騒ぎとなったという。七月・八月は、水田稲作にとって重要な季節であるだけでなく、養蚕や麻の収穫の季節でもあるから、「蚕・麻・穀」の損耗はきわめて大きかったという。
 翌年、八八六年(仁和二)五月二四日の伊豆新島の噴火では、噴火の翌々日、五月二六日に、安房國から「砂石・粉土」が広範囲にふり、ある場所では「二三寸」も積もり、水での苗や、山野の草木が一斉にかれてしまったという。これは伊豆から西風にのって房総半島に降下する火山灰が顕著であったということであろう。注目すべきなのは、それらの草をたべた馬や牛が多数、ばたばたと倒れ死んだということで、これは降下した火山灰、「粉土」に、火山ガスの有毒成分に共通する物質がふくまれていたということを示す珍しい史料であるといえる。地質学的には、これをどういう成分と考えることができるだろう。江戸時代などには、同様の史料があるのだろうか。

 さて、長い目でみれば、噴火は日本の自然の中では避けることができないから、こういう記録も、その地域に住む人にとっては重要な知識になるのかもしれない。小学校・中学校の頃から教えてよいことだと思う。火山についての概説をするよりも、教材として実際的だろう。
 興味があるのは、このように噴火は甚大な被害をもたらすものとして恐れられたのであるが、それが、被害不可思議な現象として「恠異」としてとらえられたことである。
 火山灰降下が「恠異」である事情は、神祗官が、右にふれた八八五年(仁和一)の開聞岳噴火を「粉土の恠、明春、彼国に、まさに災疫あるべし」と占ったということに現れている。これは広汎な火山灰の降下は疫病の直接的な原因となるという判断を前提にしているのではないだろうか。そして、翌年の伊豆諸島噴火でも、火山灰が苗・草木を枯らし、それらにおおわれた草を食べた馬牛が中毒死したことを、陰陽寮が「鬼気の御靈、忿怒して祟りをなす」、つまり悪霊が怒って祟りをしたのだと解釈し、疫病の流行を予言しているのも同じことであろう。
 これは、噴火が「奇怪」「恠異」であるという場合には、農業被害をはじめとするさまざまな生産活動に対する被害のみでなく、人畜の身体に対する直接の被害の位置への恐れが内在していたということを示している。
 永原慶二『富士山宝永大爆発』(三〇頁)が紹介しているように、新井白石の『折りたく柴の記』には一七〇七年(宝永四)富士の大噴火が、江戸の人々の間に咳病をはやらせたという記録が残っている。これは、江戸時代のみではなく、つねに起こる可能性のあることであったということができるだろう。
 火山噴火への恐れは、単に物質的な被害というだけではなく、神秘的な恐れ、「祟」への恐れがふくまれている理由は、ここら辺にあるのかもしれない。「祟り」という観念は、火山ガスや火山灰の有毒性が目に見えないことによって倍加されたに違いない。これは占いや呪術という形式をとった知識がともかくも「見えないものをみえるようにした」のである。

 私などの立場からすると、原発に「安全神話」があったというのは、言葉の使い方として、とても了解できない。神話というのは、神話の時代には、知識と経験の形式である。もちろん、神話は呪術と迷信を内部にふくんでいるが、それは一つの世界観であり、知識体系をなしている。そしてそれによって、ともかくも「みえないものがみえるようになる」のである。
 しかし、原発の「安全神話」というのは、「見えているものを見えなくする」ためのさまざまな操作である。そういうものは神話とはいわない。見えているものを見えなくするのは詐偽であって、神話ではない。「安全宣伝」というべきもの。多額な広告料によるマスコミの買収、危険を指摘する研究者への抑圧、「公共事業」の名のもとでの税金から詐取その他その他。実際にそういうことがあったことが多くの人々の目にふれてしまった。
ようするにこれは、社会の中枢で権限を握っている人々による半意識的な詐欺行為である。それがなかば虚偽であることを心の片隅では知りながら自己呪縛する。これがシステムとしてあるのが怖い。

 詐欺罪を詐欺罪としてあつかえないのは、現代の日本社会には、「罪」という価値基準がないためである。日本社会は、「中枢の人々が失敗するのをみている社会」、それによって社会をイノヴェートするという戦術で庶民がやってきた社会であるというのは、内田樹『武道的思考』(284頁)の至言であるが、これは今回は、ことがことだけに通用しない困った戦術である。
 あまりに当然のことであるが、「罪」を正面からとらえる目がなければ「倫理」もない。

 「神話」というものは本質的には作ることができるものではないと思う。大学時代には羽仁五郎の神話論を正しいものとして読んだが、あれはやはりまずいと思う。ただ、神話も、その時代の社会的な利害対立を反映していることは確実である。そして、歴史学にとっては、そういう大塚先生がいう意味での「利害状況」を神話の中に読み込むのがもっとも困難な課題である。こういうものをどのようにして教育の素材としたらよいのであろう。昨年から、時間ができたら、益田勝実氏の神話教育論を読んで点検しようとしているが、時間がないままに過ぎている。この夏も駄目だろう。
 

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