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« 地震火山38「貞観津波」という言い方は正しいか? | トップページ | 日記。20110806 »

2011年8月 3日 (水)

地震火山39、地震神スサノオ・広峰神社・播磨国地震、

 朝、電車で、昨日の仕事からこの文章を作り出していて、「これを出すかどうかはよく考えること」という下のメモをした。その事情は、最後に掲げた文章を参照されたい。結局、読んでいただくことにする。
 昼休み、弁当を食べながら、SAVE CHILDのページから、東大先端研のアイソトーヴセンター長、児玉龍彦氏の国会での参考人としての証言をみた。自然科学者としてまっとうな発言であると思う。政府・国会・責任企業はなにをしているのかという怒りは当然のことである。
 歴史学は実効性の遅い学問であるが、地震・原発・震災は歴史学にとっても、日本の文化にとっても根本的な問題だと思う。歴史学がどういう役割を負うべきかをあらためて考える。
 
これを出すかどうかはよく考えること 
 先日、7月14日、東京大学の海洋アライアンスで「貞観津波と大地動乱の八・九世紀」という講演をした。これは現在のターミノロジーでいえば「陸奥沖海溝津波と大地動乱の八・九世紀」ということになる。
 そこでふれた「広峰神社と播磨国地震」の関連について紹介しておきたい。またこれはスサノオが地震神であるという『東北学』で述べた想定を追補するものでもある。これは、史料についての、本来は論文なり著書でふれるべき内容を含んでいるが、上記講演で話したものでもあり、前に『日本経済新聞』の電子版からのインタビユーにこたえた時にも祇園会と陸奥沖海溝津波(貞観津波)関連がある可能性があることを示唆もしたので、ブログでも執筆することにする。
 貞観地震の前後において、地震を引き起こした神がどのような存在と考えられていたかを考える上で、もっとも重要なのは、八六九年の陸奥沖海溝地震の前年に起きた京都群発地震である。この地震の震源は播磨国の山崎断層にあり、それが六甲山地東南縁断層帯から、地盤の弱い淀川地帯を走る何本かの断層を通じて京都にまで伝わったものである。
 前のエントリーですでに述べたように、朝廷は、この地震の根元を、六甲山断層地帯の線上に位置する広田社・生田社の「フシゴリ」(怒り)によって起きたと認識していた。そもそも、このルートは瀬戸内海と京都・近畿地方をむすぶ交通・運輸の大動脈であって、そこを地震波が走り、被害を引き起こしたのである。それ故に、このルートは朝廷ばかりでなく、多くの人々によって認識されたことは明らかであろう。

 そして、その視線が、もっとも被害が大きく、地震の震源と考えられた播磨国に延びていくのは当然であった。そして、それが播磨国の姫路市の北部、夢前川が山間の峡谷から流れ出る場所の東の丘陵にあった広峰神社を一挙に有名にした。山崎断層はこの峡谷のもう少し北を東西に走って、播磨平野にでてくるのであるが、あるいは、この渓谷の奧を走る地震波が鳴り響いたのであろうか。広峰神社は、しばらく前、八六六年(貞観八)七月に從五位下の神階を授けられた播磨国速素戔烏神(スサノオ神)の神社が名前を変えたもので、式内社でもなく、京都にはほとんど知られていなかった神社である。それがこの地震以降、一挙に有名になったのは、この広峰神社の位置に関わっていたに相違ない。つまり、広峰神社は、八六八年の播磨ー摂津ー京都群発地震の震源の地震神として有名になった神社なのである。
 一〇世紀になると、同じ渓谷の出口の西側の山に、書写山円教寺が立てられたが、その建立者の性空上人が、地震を身辺に起こす験力をもつとされているというのも、この立地に関係しているのであろう。性空上人は一一世紀始めの頃、時の法皇・花山院と面会したことがあるが、絵画趣味のある花山院が従者の絵師に性空上人の影像を描かせたところ、描く前と後に地震が起こると預言し、実際に地震が起きたという(『今昔物語集』巻一二ー三四話)。(この霧島の問題については古代中世地震噴火データベースを参照。なお、性空は、別府鶴見岳の開山であるというのも興味深い話である)。性空が霧島岳で修行した時に、噴火の中に「不動」が顕現したというのは、仏教的には火山神と不動明王との関係が深いのではないか。それは不動の背後の火炎にもよるのであろうという想定をみちびく。
 いずれにせよ、この土地は、そのような僧侶が寺院を建立するにふさわしい場であったのである。そして、これが広峰社と祇園感神院の関係、祇園御霊会の起源、そして牛頭天王=スサノオの問題など多様な問題にかかわってくることはいうまでもない。
 なお、書写山とは「スサ」山の音便であるというが、この地域は播磨国飾磨郡の曽左村といい、速素戔烏神の神社があったことでわかるうように、スサノオの伝承を古くからもっていたらしい。その事情は、スサノオという神は、本来、地震神としての性格をもっていたためではないだろうか。スサノウが、アマテラスの仕打ちに怒って天上に昇る時に、「山川ことごとくに動み、国土みな震りき」(『古事記』上)とあることからすると、この想定は無理なものではないと考えられるのである。スサノオが地霊の神、地底に棲む神であったことは明らかなのである。
 これは、現在のところ、地震神の神名が明瞭になる唯一の例である。もちろん、さきに広田社の神の「ふしごり」(怒り)によって八六八年の地震が起きたという伝承を紹介したが、それは広田社に鎮座する神が地震を起こしたということで、残念ながら人格神としての地震神の名前を正確に知ることはできない。また古く、『日本書紀』には、五九九年(推古七)四月に発生した地震を恐れて「地震の神」を祭ったという記録がある。その記事は「地動りて舎屋ことごとくに破たれぬ。則ち四方に令して地震の神を祭らしむ」というものであるが(『日本書紀』推古七年四月二七日条)、これも「地震神」というものがいたとわかるだけの記事である。

 その意味で、播磨国地震と広峰神社、書写山円教寺に関係する諸史料によって、地震神=スサノウの存在が明らかになるのはきわめて貴重なのである。
 もちろん、これまで、神話学の側でも、「国土みな震りき」という表現からスサノオは「地震を引き起こす神格である」とされてきた。ギリシャ神話のポセイドンは地母神のデメテルと同じ父母(クロノスとレイア)から生まれた弟であり、海の支配者であるが、その原初的な性格においては、地下水をつかさどり、地震を起こすなど、大地、ことに地下の世界と関係深い神格であるが、スサノオとポセイドンの神格はそっくりであるというのである(吉田敦彦『日本神話の源流』講談社現代新書一九七六)。しかし、こうして、このポセイドン=スサノオ=地震神という神話学の想定は、『古事記』の一節のみでなく、九世紀(およびそれに関わる)歴史史料の側からも論証できたということになる。

(このブログで何度も述べているように、現在の人文系の学界の常識では、普通の研究情報は、しかるべき発表手続きをへて公表するのが通例で、自説をブログで述べ立てることは抑制すべきと考えています。しかし、東日本太平洋岸地震とその後も続いている原発震災に関わる歴史知識を、すこしでも早く提供することは必要なことだと考えています。また、これは若干のことを新聞取材にも示唆していますので、その意味でも執筆することにします。なお、以前も述べているように、ここで述べることには学者としてのプライオリティを主張しません。研究者の方は、引用元を明示せずに自由に引用してもいいですし、無視していただいてもよいという性格のものです。ただしこういう性格の研究速報ですので、論証手続きの瑕瑾がまったくないという保障はできません)。
 

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