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2011年8月29日 (月)

協同組合と野菜と、おいしいものと世界

 昨日は、帰国前のNATSUちゃん、連れ合いのTさんと食事。シモン君も呼び出す。
 新宿駅の南口のホテルで待ち合わせだが、南口の変化におどろく。ずっといったことがない。そもそも前の(普通の)南口にでる階段よりさらに南、ホームの一番南に「サザンテラス」という出口ができている。いったい何年前にできたのかもしらないが、ここはどこだと出ていくと、南から人が歩いてくる。どん詰まりに国鉄をまたぐ跨線橋があって、その向こうが高島屋。そういえば高島屋が、ここにできたころに、そのそばを歩いた。もう何年前なのであろう。こんなところにデパートを建ててどうするんだと思ったことを思い出す。東京の消費文化と無縁な生活を送っている証明。
 ホテルのロビーは20階。御苑がみえ、あっちが新宿高校かという方向感覚だけはわかる。少し遅れてシモンが来て、東京がむやみに広いことに驚いている。そして、山がないんだと感心している。スイスの人には山がない風景は面白いらしい。彼にいわせるとスイスはボアリングだと。NATSUちゃんたちの部屋は30階。「東京には空はあるが、山はない」というところか。高いところからみた東京はあまり感心しない。どうしても虚飾の場という印象になってしまう。
 跨線橋をまたいで、伊勢丹の方面へ。「農家の台所」という店。伊勢丹の向こう。これはあたりであった。
110828_185716  シモンは生野菜のままのサラダバーが気に入って6回も交換。冬瓜、白ゴーヤ、トウモロコシの輪切りがうまい。今、こういう店がはやっているのだそうである。NATSUの旦那さんはシェフなので、日本に来たのは食材の取材がてらである。グローバリゼーションが食べ物から始まるというのは、15世紀以来の通則であるということを説明するが、そのくらいのことならば、私の英語でも通ずるようである。
 こういう店はたいへんに面白い。本店は国立。ようするにまずは東京の畑でできるものを中心にした協同組合で、その販売組織を基盤にした台所ということだろうか。天井からは提供者の農家の名前を書いた垂れ幕
がさがっている。

 110828_190143 どういう風に計画し、資本を集め、起業したのか。協同組合的な組織と商品、資本、利潤の関係を具体的に考えると、どういう理論理解になっていくのだろう。これが将来社会のあり方を考える上でも基本問題であることはいうまでもない。農家という職能的な専門性と資本・販売・消費の一般性の関係。職能組織や地域組織が商品関係を含みこみ、それによって商品や資本の貪欲な自己運動を押さえ込む多様な仕掛けなしには、将来社会の構想は不可能である。そして、肉を切らせて骨を断つためには、社会の肉と骨を自己自身のものとして理解する感性と文化・知識の水準がないとならないということになる。

 商品経済は、さまざまな歴史的な社会構造の中に併存するというのが経済学の定式であるが、どのように生まれ、どのように併存しているかということについての精細な理論は存在しない。そもそも併存というようなレヴェルの問題ではないだろう。理解の共通性もなく、議論の方向もない。私などは大塚久雄先生の「前期的資本」論に戻って考えてしまうが、大塚さんの理解の基底には、商品生産は共同体間の世界に始まるという定式があって、そこから組み立てられている。それはそうなのだが、しかし、その共同体間分業論は形式的に過ぎるというのが、大学時代以来の考え方。少なくとも、その組み立てはあくまでもデッサンにとどまっていると思う。
 歴史理論にとっては、まずは共同体あるいは職能組織と商品経済の関係の多様性という問題である。商品生産が商品生産として発展するのは、村落の生産物が共同体間の商品市場をめあてとして営まれることなしにはありえない。それは一方で、共同体内部の規律化の条件となり、実際にはこの規律化を条件として、「特産物の貢納」と地代化という問題が起こる。そして、共同体間の世界は公的世界であるとともに、無法世界。網野さんのいう「無縁」の世界。国家がそこから生まれる世界である。ここに目を注いで、東アジアにおける国家と商品経済の関係の理論的な理解まで汲み上げていかなければならない。この問題はどうしても理論が抽象的になってしまう。宮崎市定氏の仕事に違和感をもつのはここ。『東洋的近世』に書かれた単純な「宋代=マニュファクチャー」論は、どうして、こんなに図式的なことがいえるのか。まったく理解できない。
 問題は社会的分業(精神労働と肉体労働の対立)が職能の身分的体系として現象する局面と、社会的分業を媒介する商品経済との関係という種類の原論的な問題になる。これを労働論、価値論の基礎レヴェルから解いていくというのが、私の考える大塚先生批判の初心である。これは大塚先生に直接に御話ししたことはない。こういう方向で考えようとした時には、もうなくなられる前であった。
 どのような社会でも、社会の最終的な理解のためには、社会の向こう側に存在する自然との関係まで見通すことが必要である。社会の網の目の体系を理解し、その総体を相対化して、それを背後において、正面から自然と向き合うところまで進まなければならない。こういう視座をつねに研究過程に確保すること。これは現代社会ならば、いわゆる資本の三位一体定式のレベルから自然をみることであり、それは経済学的には大地・土地・地代までを理路一貫して理解することを最大の前提としている。どのような社会構成でも、このような全体的理解の上にたって、経済的・社会的利害の配分の体系をとらえ直すことによって、社会的職能の体系の理解が可能になる。そして、それが可能になって始めて、社会的利害状況の対立、社会の内部における敵対的対立構成の理解が可能になり、社会の現実的な運動の根本的な理解は、理論的にはその上で可能になる。人間労働・蓄積生産手段・土地の三位一体、トリアーデの理解が職能理解の基本になることは『資本論』でも書いてある。
 大塚先生の山田盛太郎講演にあるように、再生産論は、このレヴェルの理解に展開することなしには現実的な社会認識にはならない。前近代史の研究者には、この職能論と身分論の理解が決定的な位置をもつ。

 NATSUちゃんの話で面白かったのは、町に有名人を作り出すというパフォーマンスアートの授業の話。授業で役割をきめ、脚本を決めて、街角に待機し、スポットと時間順序にそって、クラスのある子の名前を有名にして、物見高い人々で、道を一杯にするというパフォーマンスアート。これは面白いらしい。適当な町の大きさでないとできないので、東京のようにだだっぴろい文化果てる地ではできない。社会の操作性、猿芝居性を実感的に考える機会を提供する芸術は教養であるということ。

 有名というのは、みんなが注目するから有名になる。ところが有名人は俺は有名人だから、みんなが注目するという錯覚をもつ。この有名関係を物化させるのが商品関係であるというのが現代。しかし、この同じ単純な構造が前近代の身分の本質にあることは、マルクスがフィフィテをからかいながら述べたこと。「王と臣下の弁証法」である。人々が王を王としてあがめるから、王は王になるのであるが、王は、特定の身振り・扮装などと自己を二重化させる過程に臣下の共謀を連続的に獲得することによって、俺は王だから王なのだという身分意識を確保する。そしてそれが空気伝染するという訳である。この錯覚がうまく組織されると、人々は、王が王だから臣従し、あがめるのだという逆転した意識をもつことになる。ここでは王も、学者も俳優も同じ論理で職能が固定されるということになる。
 商品も自己が流通力をもつから商品であるというように理解するが、これは購買が基本になる。商品の流通力の幻想が商品フェティシズムの物化の原点であり、その媒体が貨幣であるという考え方。商品論からトリアーデまで社会的職能・機能をめぐる一貫した理路を復元する仕事に早く取りかかりたい。

 それにしても、民主党の猿芝居をみていると怒り心頭になる。あれはまったくの猿芝居である。下手であることも自覚していないのをみるといよいよ怒りがつのる。家にかえって、NHKのETVの放射能計測と「徐染」に関わる木村さんの奮闘の番組をみる。木村さんに意見を聞くNHKのディレクターの話振りがいい。「政治不快情報」を流す垂れ流すマスコミはどうしようもないが、これは一貫した追及。しかし、それだけに、みているといよいよ怒りがつのる。政治=猿芝居は長い間の「日本の伝統」であるが、現状、これでは困るだろうと話す。
 こういうのをみていると、「本当の」日本の伝統を誉めあげたくなるという心理が発生するのは自然である。それが健康で発展的なものになるように下支えするために、歴史家もパトリオティズムに共感する能力をもたなければならないと思う。「農家の台所」での結論は、愛国主義は、食事と野菜のうまさから出発するということになる。そしてうまいものは国籍が違ってもうまい。食物のうまさを知り合うというのが、よい意味でのコスモポリタニズムの原点である。NATSUちゃんには「おじちゃんのこむづかしい」ブログといわれたが、以上が単純な結論。
 さて、しかし、いつかNATSUちゃんの彼、Tさんの店に行くことを約束した。いつ行けるか、楽しみである。

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