内部被爆と世界史ー歴史家の考え方(1)
いつからだったか正確には覚えていないが、10年以上にはなる。私は、年賀状には、西暦でもなく、元号でもなく、「核時代後□■年」という表記をしてきた。ヒロシマ・ナガサキ後、□年ということであるが、それは世界史のもっとも大きな区切りになるのだろうと考えているのである。
歴史家として現在を考える場合に、もっともイメージが明瞭なのは、この表記である。これは羽仁さんがいったのだったか、誰がいったのだったか、それもおぼえていないが、私は62歳。この年賀状表記は、死ぬまで続けることになると思う。 いま肥田舜太郎氏と鎌仲ひとみさんの『内部被爆の脅威』(ちくま新書、2005)を読んでいるが、これはまさに核時代の本である。
放射線の内部被爆は怖い。私たちの世代だと相当に多数の人が読んでいるはずの、大江健三郎氏の『広島ノート』には内容的には同じことが書いてあるのではある。しかし、それをご自身ヒバクシャである肥田先生から、DNA、突然変異、活性酸素、細胞膜などという高校時代にならった生物学の基礎と関わって説明をうけると、そういう知識が人類と自己の生命や健康に直結する時代がきたということを実感する。
身体内部に入った放射能粒子は、活性酸素を作りだし、通常では突破できない細胞膜にアナをあけ、細胞内部に侵入してDNAを切断する。しかもその粒子は少数であればあるほど、排出されずに最近距離のDNAや細胞組織を攪乱しつづけ、癌その他の発症の原因になる。そのような内部被爆は、身体の内部を半殺しにするか、殺すか、別の生物組織を作り出すことであるから、治療手段はない。ということである。
内部被爆の存在、原爆病の存在をアメリカが一貫してみとめようとしなかったこと、これに日本の政府が追従してきて、今でも追従していることは、大江の『広島ノート』にも書いてあり、我々の世代にとっては常識的な知識である。そしてDNAの切断その他も多くの人が知っていることである。しかし、それを内部被爆の仕組みとの関係で正確に知ってはいなかった。
「内部被爆」については、いまでも新聞やテレビでは正確な説明がタブーになっているだけに、ぜひお読みになることを御勧めする。ということをさっき、妹との電話でもはなす。
さて、歴史家としての私の社会的な分担は、これは世界史の論理としてどういうことかを考えることである。話は、例によって、急に飛ぶが、世界史の時代範疇の中では、この核時代はどういうことになるかということである。しばらく前に、右の図表を作って世界史の諸段階についての話をしたが、この核時代は、たしかに世界史全体の中で位置づけるべきものであると思うので、続けて、次のエントリーで、この図表につけ加えながら、若干の試論を述べてみたい。
« 「ような=岩砂・山砂」長谷川勲氏の仕事の紹介 | トップページ | 内部被爆と世界史(2) »
「歴史理論」カテゴリの記事
- 何のために「平安時代史」研究をするのか(2018.11.23)
- 世界史の波動の図。(2018.01.14)
- 日本の国家中枢には人種主義が浸透しているのかどうか。(2017.10.22)
- 「『人種問題』と公共―トマス・ペインとヴェブレンにもふれて」(2017.07.17)
- グローバル経済と超帝国主義ーネグリの『帝国』をどう読むか(2016.07.01)