平塚らいてう(2)ー元始、女性は太陽であったか。
らいてうの起草による『青鞜』発刊の辞は見事なものである。これはらいてうが文筆の人であったことをよく示している。しかし、私は、「元始、女性は実に太陽であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く」という冒頭の有名な一節の真理性には、歴史家として疑義がある。細かなことといわれるかもしれないが、らいてうが目の前にいれば正確に話してみたいことである。らいてうの文章は、日本の思想史にとって面とむかって考えるべき問題を含んでいると思うからである。
考えてみると、月が「他の光」、つまり太陽の光をうけて輝くというのは近代の地動説にもとづく知識である。
地動説をもって、「元始」の時代を考え、どうしても「太陽神」を中心に考えてしまうのは神話論としてはまずいと思う。そして、フェミニズムの問題を歴史から考える場合には、これは意外と重要ではないかと思う。
それについてふれた著書の一節を下に引用しておく。
「広瀬のワカウカ姫と伊勢のトヨオカ姫などは、月神であると同時に、より地上的な富の神、農業の神なのである。どの国でも、月の周期的な満ち欠けは、再生と復活、不死の象徴となり、種蒔き、収穫などの労働の季節とテンポを決め、枯れては再生する穀霊の神、農業神となる。同時に、女性の身体の月毎の変化を導くものとして人間自身の不死と再生の象徴となり、そして人間の性行為や出産が大地の稔りの招来すると信じて行われるエロティックな儀礼に大きな影響をあたえる。月の女神「豊宇気姫」について「穀霊なり。俗詞に宇賀能美多麻。今の世に、産屋に辟木・束稲をもって、戸辺に置き、すなわち、米をもって屋中に散らすの類」(『延喜式』祝詞大殿祭)といわれるように、月女神=穀霊は、女性のお産を守る神でもあったのである。
こうして、大地は、月の女神の光によって「母のような豊かさ」をもった一つの人格であるかのように感得され、地母神となる。広瀬のワカウカ姫と伊勢のトヨオカ姫がこの地母神としての性格をもっていたことは疑いを入れない。もちろん、東アジアで代表的な地母神は、中国古代の巨大な女神、女媧である。女媧は日本神話でいえばイザナミにあたる存在で、彼女らの巨大な肉体は大地そのものである。そこでは肉体の性と出産に表される生産力が、原始的な大地の豊壌と生産諸力とのダブルイメージになっている。それはこの時代の中国で流行していた西王母という月神にも引き継がれており、小南一朗によれば、彼女は、年に一度、冬に、太陽神・東王公と抱擁しあい、それによって宇宙が再生すると考えられていたという。宇宙の四つの方向を表す四神の内、北方・冬を表す「玄武」が蛇と亀のからみ合った奇妙な形で描かれるのも、冬至の季節の冷え切った宇宙(太陽)に再び活力をあたえるために、宇宙的な規模での性的結合が必要であると考えられたのだともいう(小南一朗一九七四)。
日本における冬至の祭は新嘗祭である。この新嘗祭の後の豊明節会で天女、月の仙女の格好をして舞った舞姫たちが、しばしば天皇と共寝したことも同じことであろう。そこに、中国と同様、月の力によって太陽の力を復活するという考え方が潜んでいたことを示唆するのは、最初の人臣摂政として有名な藤原基経が、清和天皇の大嘗祭の五節舞姫に出仕した妹の高子についてみた夢である。彼女は、五節舞姫として出仕した後、若干の事情はあったが、結局、清和のキサキとして陽成天皇を産んでいる。その夢というのは、高子が庭にはだかで仰向になって、大きく膨らんだお腹を抱えて苦しんでいたところ(「庭中に露臥して、腹の脹満に苦しむ」)、腹部がつぶれて、その「気」が天に届いて「日」となったという生々しいものである(『三代実録』)。それは高子が清和のところに参上する前のことであるから、ちょうど大嘗祭の五節舞姫となった前後のことであったろう。つまり五節舞姫=月の仙女が、地上で裸体となって新しい太陽を産んだという訳である。
「元始、女性は実に太陽であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く」とは、平塚雷鳥の起草した『青鞜』発刊の辞、冒頭の有名な一節である。しかし、考えてみると、月が「他の光」、つまり太陽の光をうけて輝くというのは近代の地動説にもとづく知識である。それ故に、平塚雷鳥の真意を受けとめた上で、高子の横臥の姿から、さらにトヨウケ姫ーワカウカ姫ーイザナミとさかのぼっていくと、東アジアにおける日月の観念としては、むしろ「元始、女性は月であった。しかし、太陽を産む月であった」というのが正しいように思われてくるのである」(保立『かぐや姫と王権神話』、ただこの最後のパラグラフは枚数不足で一部削除したような記憶がある)。
「らいてう」と「高子」を通じて考えるということがあってもよいと思うのである。
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