内部被爆と世界史(2)
世界史の時代範疇の中では、この「核時代」はどういう位置にあるのか、ということろ論ずることになると、事柄が生物としての人間に関わるだけに、人類の起源から論じなければならない。つまり、放射線が突然変異を起こすということはよく知られているが、人間およびほ乳類の身体組織は、自然放射線に対してはさまざまな抵抗力をやしなってきた。生物の進化過程は、それとのつき合いの歴史である。人類の発生に、それがどのように機能したかは不明であるとしても、いわゆる進化論、進化科学の立場からしても、それは根本的な問題であるはずである。
そういうことで、はるか過去の話から始めるのであるが、人類の歴史は、700万年前ほどから始まったといわれる。この「旧人」の動物としての成長を起点とし、旧石器時代の終わりまでの時代は、モルガン『古代社会』の用語を使えばWildheitの時代である。これを「野蛮」と訳すが、これはバイアスの強い偏った表現であるので、私は「野性」の時代ということにしている。
そして、それから若干の過渡期があって、Barbareiの時代、これも、普通、「未開」と訳すが、これも適当な言葉、翻訳ではないので、私は異文明あるいは前文明というように決めている。バルバライ、鳥の鳴き声のように意味のわからないことを叫ぶ人々などというギリシャ人が使った言葉をそのまま使うなどというのは「東洋人」にとっては考えられないことである。異文明、あるいは前期的文明であるといってよいと思う。
野性の時代は、生存と種の保存そのものが時代の性格である。これに対して、前文明の時代のイデオロギーは、エロスであって、リーディング産業は商業であったと考えている。商業とはようするに「違いがわかる」こと、異なる自然への適応であり、物の効用の発見である。低級な農耕・栽培と動物利用・牧畜は「野性」からの移行期に獲得ずみである。新人の地上への拡大の後、約13000年前にこの異文明の時代への移行が始まった。
日本でいえば縄文時代、縄文のヴィーナスのような像は世界各地ででている。 ここに掲げたのは縄 文時代の「誕生土器」といわれる土器を女体と見立てて胎児の出産を描いたもの(山梨県須玉町、津金御所前遺跡)、女性性器そのものを形象した砂岩製品(秋田県東由里町、三升刈遺跡ーーおのおの岡村道雄『縄文の生活誌』講談社日本の歴史より)である。
これはようするに母権制の時代である。人間のエロスというものは、所詮、 男性が女性に拝跪することを本質としており、エロス=母権制である。もちろん、そこには、原始的群団からの解放と個人性の発展があるが、社会組織は性的紐帯を基本とすることはいうまでもない。
女に対して、衆を頼む男の連合が現文明の開始である。familyとは本来は奴隷を意味する言葉であることはよく知られている。男権主義的な家族は、家内に奴隷を抱え込み、社会では「男の連合・ホモソーシャル」が幅をきかせる時代ということである。これが国家の起源に重なる。これを便宜上、「古代」とすれば、BC4000~3000頃であろうか、アフリカとの近さからいっても、地中海・インド洋間世界を起点としてよいであろうが、ほぼ同時期に中国でも国家が開始されている(夏・殷)。国家の開始は、ほとんど洋の東西をとわないと思う。この時代のイデオロギは、明らかに神話、自然神話である。神話の対象は自然であり、それはすでに体系化して、一つの世界観となっている。国家神話の中心はどこでも基本的には「男」。この「古代」の時代をみちびく産業形態は、一般に、都市であり、鉱業・馬牛・奴隷であり、ようするに労働用具の集積である。自然世界の中に有用性と効用価値を発見する時代に対して、今度は主体の側の蓄積が進む。
「中世」は、宮崎市定氏がいうように、だいたい紀元前300?頃に始まる。上の図の左側には、「世界史は、この図表以上には簡単にならない」と宮崎市定氏がいう図表を宮崎著『東洋的近世』から掲げたが、「中世」については、この図表によって考えることができると思う。その起点は民族大移動にあり、ユーラシア北辺に始まったそれは、紀元後になって、漢・ローマという東西の「古代国家」を崩壊に追い込むことになる。これは宮崎図式がいう通りである(この考え方は本来は内藤湖南のもの)。この時代のイデオロギは、世界宗教、つまり、仏教、ギリシャ自然哲学、ゾロアスター教、キリスト教、そしてやや遅れてイスラム教などである。イスラムにおいて、この「中世」は究極のもっとも栄える姿を見せたということになろうか。その手段は文字による経典(巻物)の成立であって、これによって、はじめて瞑想というものが可能となった。瞑想はもっぱら個人的な営為であるようにみえるが、実は、同一の経典の存在を前提としてはじめて可能になる心的な態度であるということは中井正一がいったことがある。そして、この中世の時代の産業形態は、農業と大地であるということになる。ここでは、山野河海をふくむ大地を広範囲に開発・領有して、生活の形態を作り出すことがユーラシア全域で展開する。
「近世」の時代は、ほぼ10世紀前後から、東アジア(キタイ帝国と宋帝国)ではじまり、モンゴルにおいてもっとも繁栄した姿をみせた。そのイデオロギは、知識・技術のグローバル化、商品化にある。東アジアにおける羅針盤・火薬、そして知識の伝達手段としての「本(ブック形態)」の発明が時代の開始を告げる。経典の巻物(スクロール)は、記憶するものであり、瞑想の手段であるが、本は、知識の貯蓄場であって、すぐに参照することが可能な媒体として巻物とは異なっているといわれる。そして、この時代の産業形態は、手工業である。この東から始まった動きが、イスラム諸国を媒介としてヨーロッパまで到達して、ヨーロッパの手工業の発展を準備する。
そして、「近代」は 16世紀に始まり、その起点はヨーロッパであり、そのイデオロギーは、欲求そのものであり、資本の原始蓄積は、人類の年代記の最悪の一節といわれる時代を導いた。その産業形態は、機械・資本(全産業の包摂)である。
以上は、宮崎シェーマに依拠しながら考えてきたことだが、宮崎シェーマは、世界史の時代範疇の起点地域と波及期間を設定する点で勝れていると思う。これによって、一種の世界史を場として展開する文明の胎内時計のようなものを考えることができると思う。ここでは「古代・中世・近世」という用語はあくまでも便宜的なもので、ただ順序をいうにすぎない。
それでも、こうまとめてみると、世界史の時代範疇の枠組みのようなものがみえてくる。つまり、産業形態を中心にまとめれば、(異文明)商業発見→(古代)都市・道具(生産施設としての都市)→(中世)大地開発→(近世)技術開発→(近代)機械工場ということになる。これは、より抽象化していえば、商業(対象的使用価値の発見)→都市・道具(主体的労働手段、媒体・ミッテルの発展)→大地(対象的使用価値の基盤)→技術開発(主体的な道具と頭脳の内部の発見)→機械工業(環境=主体としての生産諸条件の発見)というようなことになる。物質代謝の形態が、世界史を場として、客体の開発に重点があるか、主体の開発に重点があるかの間を揺れ動いているとでもいえようか。客体(対象的な生産諸条件)の開発と主体(主体的な生産諸条件)の開発の間を往復しながら、徐々に世界史を場として物質代謝の諸形態が複雑化し、高度化していく様子をみてとることが可能だろうと思う。
これに対して、イデオロギーに現れるのは、精神と身体の変化と内部開発の諸側面である。エロスは、自己の肉体の道具化である。エロス的な集中は身体的な目的意識性の常同化という人間労働の基礎経験に関係しているとバタイユがいうのは正しいのではないかと考えてきた。
この時代の大量のヴィーナス像や男根石、あるいはそれらの画像が表現衝動の最初のスタイルであったことは本気になって考えるべき問題であると思う。
これに対して神話世界の展開は、人間を基準にした世界像の形成であって、はじめての外側世界への精神の解放ということになる。これが世界観にとって大きな意味をもつこと、三木清『構想力の論理』が必死に検討しようとしたことの意味は、いまになってみるとよく分かる。
それを前提とした世界宗教は、再度内界への測錘をおろす作業であったが、その瞑想は、実際には文字と巻物によって可能になるという皮肉な構造をもっていることは前述の通り。バタイユがいうように世界宗教には、エロスの世界からひきつぐエクスタシーへの憧れがつらぬいているが、しかし、現実には心的エネルギーを組織する上で、スコラ哲学も禅も瞑想の集団的な場の組織であり、身体に考えさせる心的な技術の哲学であった。
そして、その中から新しい外界への知識態度と技術が生まれるのであって、その場所は中国であり、そこでは宋代理学(朱子学)のみでなく、禅の位置が高かったことはよく知られている。これにもとづく手工業の展開こそが、やはり近世世界の中から資本主義の生産諸力の水準を作り出す上で決定的な位置をもったのだと思う。
こうして、近世から近代資本主義のイデオロギーは、内界ではなく外界への超越と自然科学に重点をおいたものとなるのであるが、問題は、現在である。
以前、このブログでも国会図書館の長尾館長の話に関係して書いたように、現代はたしかに新たな「情の時代」である。長尾さんのいうのは、現代は「心情」の時代であるとともに「情報」の時代であるということであるが、以上のような世界史的な諸段階からみていくと、ようするに、新たな「内界」への沈潜の時代であり、その意味ではエロス・神話・世界宗教の時代への逆転の時代であるということになる。
「情報」の時代というのも、人類が自己の精神活動のために、拡大された肉体としての外部脳、電脳を確保したという意味では身体論的な意味が大きい。この外部脳が生まれたことの社会的な影響が身体に及びつつあるのが最大の問題の一つである。これは、世界史的にはスクロールからブックに進んだ知識蓄積の手段が身体の一部に近いところまで進化し、電脳という言葉がふさわしいほどになったということであるから、これを使いこなすことができれば、新たな「情(心情)」とそれに対応する「瞑想」を強力に支えることが可能になる。しかし、現状では、マスコミュニケーションの網の目の中に、エネルギー過剰なPC(パーソナルコンピュータ)が宿り、個々人の人間的な心理と精神の秩序のそばで強力な磁力を発揮することによって、マスコミユニケーションの毒素が大きな攪乱要因となっている側面が明らかに優越している。
「現代的な情報革命が量子力学にささえられた半導体物理学を科学的基礎とし、トランジスタ制御と微細加工技術による電子回路の集積化を技術的な基礎としている。また、それを直接に導いたのは、情報を”0”と”1”の電磁符号に転換するデジタル技術と、それをささえる電磁情報理論であった。産業革命の中からうみだされたファラデーやマクスウェルの電磁気研究は、電気・電子工学の発展、電信電話・ラジオ・テレビなどの情報技術の発展を導いたが、情報革命はその新たな発展と刷新であり、これによって二一世紀は人間社会におけるまったく新しい情報のあり方を生み出す時代となりつつある」ということは、WEBページに載せた拙稿「情報と記憶」という文章で論じたことであるが、これが心理過程に大きな影響をもたらしている。そしてそれが心理的な失調、鬱その他の諸問題を大規模に生みだしていることが、本当に心配である。これをどうにか乗り越えることが人類社会規模の課題となっていること、それを世界史の全体の流れの中で理解することがきわめて重要になっていると思う。
そして、「核時代」は、同じ量子力学の作りだしたものである。そして、第二次大戦後の核開発(兵器とエネルギー)が肉体組織そのものへの巨大な影響を明らかにし始めたのが現状である。これも世界史の全体の中で考えるべきことである。
PCが人間のコミニュケーション過程で、あたかも細胞膜を破壊する極端な活性をもった活性酸素のようにして、個々人の精神の保護膜を突き破り、神経組織をいためる、脳の物質過程を攪乱する状況を惹起する様子は、放射性粒子が身体組織の中で、細胞の微細構造を破壊する様子とそっくりである。
世界史のすべてが人間個々人の神経と肉体の組織に食い込む形で決算を求めつつある。「核時代」というのはそういうことなのだと思う。
『内部被爆の脅威』を読んで、ご自身ヒバクシャである肥田先生から、DNA、突然変異、活性酸素、細胞膜などという高校時代にならった生物学の基礎と関わって説明をうけると、そういうことが徐々にわかってくる。
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