「ような=岩砂・山砂」長谷川勲氏の仕事の紹介
入間田宣夫さんから「ような」についての教示をいただく。
「な」が「土」を意味するという問題について、電話で話していたところ、山砂のことを東北では「ような」ということを教えていただく。いろいろ調べたが分からなかったので、改めて教示を御願いした。
入間田さんは、お宅にきた行商のおばあさんに聞いたことで、その後に確認した記憶があるということだったが、今年五月に刊行された『阿賀路』(49集、2011年5月)を送っていただく。そこに掲載された昨年の総会での長谷川勲氏の講演「阿賀町の地名ー綱木・御前ヶ遊」に「ゆう→よう」についての言及があるということで、御送付をいただいたもの。
「綱木」の方も興味深いが、「御前ヶ遊」は阿賀町の柴倉川上流の菅倉山と井戸小屋山の間の尾根路を登り切ったところに広がる岩場と洞窟で、山全体が緑色凝灰岩でできていてまったく草が生えていない異様な風景であるという。平維茂の妻(「御前」)が、ここに逃亡して暮らしたという伝説があるが、長谷川氏は、この「遊」は、それとは直接の関係はなく、岩窟を意味するという説明をしている。東京堂出版の『地名用語語源辞典』には「ゆう」はイワ(岩)または岩屋、洞を意味するといい、柳田国男の『分類山村語彙』にも岩窟をユウと呼ぶという。たしかに「岫」はユウとよみ、史料にも登場したと思う。
そして、『民俗地名語彙辞典』(山一書房)のユウの項目に、伊豆八丈島で渓谷の岩石の多いところを「ヨウ」というとあるのに注目して、ユウ・ヨウは通ずるものであったろうという。
それに加えて長谷川氏は「筆者は長らく岩にかかわる地名を全国に追ってきたが、その中で奥秩父で『ヨウばけ』という地名に出会っている。埼玉県小鹿野町、赤平川の左岸。およそ千五百万年前に海底に堆積した泥や砂が岩となり、やがて隆起して赤平川に削られてできた崖だ。高さおよそ百メートル、幅およそ四百メートルというスケールの大きさ」であるという。『阿賀路』から写真を掲載させていただいた。 こういう陸地の大岩壁について、長谷川氏は「村上市蒲萄字矢吹に横幅約120メートル、高さ約45メートルの大岩壁があり岩窟もある」という事例も紹介しているが、これは「岩に関わる地名を追ってきた」とおっしゃる長谷川氏の大きな発見であると思う。私は、(海岸の岩壁とあわせて)このような岩壁の様子が、大地の内部についての昔の人々の観念に影響しているのではないかと考えたい。
それはともあれ、こうして、「ヨウナ」の「ヨウ」は岩を意味する語である可能性が高いということになっていく。こうして「ような」というのはイワスナ、岩砂、それ故にヤマスナのことであるという入間田さんの記憶にそって、一つの問題がつながっていった。本当にありがたい。
ヨウナという用語は大部な方言辞典にも、他の辞書類にもでてこない。しばらく前の記事で述べたように、「ナ」という語彙が重要なだけに、この確認は一つの重要な蓄積であろうと思う。
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