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2011年9月 2日 (金)

平塚らいてう、つづき(3)

 らいてうの家(らいてう記念館)の館長をされている米田佐代子さんは、私の都立大時代の先生。半年ほど前の電話ではまったく変わりがないし、写真でみると御元気そう。らいてうを読んでいるというと、「保立さんがらいてうを読むの?」とからかわれるに違いない。いつか行ってみたい。

 自伝でも、この本でもでる、らいてうの「協同組合運動」との関わりも興味深い問題である。らいてうは、この問題を理論的にも相当につめて考えている。当時のアナキズムが協同組合運動という側面をもっていたことをふくめて、その積極的な意味を考える必要があることを実感する。私はW・モリスが好きになってから、「協同組合」というものを考えるようになった。これはいわゆる「アナボル論争」というものから考え直す必要があるということなのかもしれない。こんなことは近現代史家にとっては明らかなことなのであろうが、私は「アナボル」論争のことまで考えるのは始めてである。
 『元始、女性は太陽であった』を読んでいると、戦前の都市社会が一種の市民社会になっている側面が目に立つ。らいてうの協同組合運動との関わりは、その延長という側面もある。その意味では、戦前の市民社会のもった独特の豊かさと文化に対する評価は正確に行う必要があると思う。
 それが江戸期から連続するものであることも否定すべきではない。戦前社会を「封建社会」の一語で印象してしまうのは社会科学的にも問題ということは大塚先生もおっしゃっていた。しかし、その枠を越えるものに対する圧迫と緊張のレヴェルをみあやまってはならないと思う。日本の近代というものはそういうものだ。日本の近代をみるためには、らいてう、そして戦前社会、戦争への抵抗者を中心にものごとをみなければならないと思う。

 明治維新、さらには自由民権運動の「志士」たちに過剰に思い入れをするのは間違いである。その時代に、アジアのさきがけをして、植民地化の危機を乗り切る画期的な主体性を発揮し、経験をしたなどという歴史観は、日本が東アジアにもたらしたバランスシートの全体をみないという点で了解できるものではない。民権運動の中心人物もふくめて、彼らの行動はエリートの(あるいはエリートをめざす)行動にすぎない。出発点ではなく、1900年代以降に、ようやく時代の頂点を構成できるようになったとみなければならない。

 以下、歴史学の業界内部の話であるが、一昨日、届いた『日本史研究』には、宮地正人氏が、岩波新書の『日本現代史シリーズ』のうち、明治維新と自由民権運動の巻について厳しい批判を展開しているという特集があった。私は、そこで紹介された限りでは、どちらかといえば、宮地氏の意見には反対である。宮地氏の意見がわからない訳ではないが、私は、いわゆる明治維新や民権運動の運動家には共感をもたない世代である。その点で、明治維新と自由民権運動の巻の著者と同じ。私たちの世代にとっては、井上幸治『秩父困民党』がでてから、民権運動家の運動は庶民の政治利用であり、すぐに国権的なそれに転化するものであるというのは分かっているはずのことだと思う。ああいう運動ではない地下水脈を探っていくほかない、そしてそれをたぐり出していく原点は、1900年代以降に求めるほかはないはずである。らいてうを読んでいると本当にそう思う。

 あれは何で読んだのだったか、石川三四郎と福田英子のこと。高群逸枝の回想録で読んだのだったか。近代の社会運動を、福田英子、平塚らいてう、土方梅子などの自伝、そして宮本百合子の自伝的小説から見るという感じになっているのに気がつく。
 そして、男では河上肇だろうと思う。河上の「禅」から「経済学」への思想的営為は「日本」の土壌にそくして展開した近代では最高の達成であると思う。
 そう考えるようになったのは、20年ほど前、河上の自叙伝を読んでからのことで、らいてうの『元始、女性は太陽であった』を読んだのは、『かぐや姫と王権神話』を書きながらだった。この二冊を最初から受けとめていればよかったのであろうが、私も徐々に変わっている。

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