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2011年9月13日 (火)

和紙調査、柔細胞膜の確認

 御寺での調査を終える。今は、7日(水)の朝である。
 この写真は御寺の蔵を、裏手からとった写真。御覧になってわかるように、屋根から壁板がさがっている。御蔵の本体は、漆喰の白壁でできていて、万が一の時にも火が蔵内に入らないような作りになっている。屋根も浮いていて、その浮いた屋根から板をさげて、遠くから一見すると木壁があるようにみえる。
 Img_0993 帰京したら、写真を追加する積もりだが、『春日権現験記絵』には、火災で壁のみが残った土倉の絵が残されているから、『春日権現験記絵』のできた鎌倉時代後期には、こういう土蔵作りの仕方が確実に存在したことになる。現在は、建築学で、こういう蔵の作りを分析した仕事はあるに違いないが、30年ほど前、探した時には見つけられなかった。
 さて、御寺では、貴重な古文書料紙の精細な観察をさせてもらい、ありがたかった。歴史学・製紙科学などの全体となると、ここにはすぐには書けないような色々な成果があったが、製紙科学的な面から、とくに重要だったのは、戦国時代後期の「美濃紙」を顕微鏡でみたところ、美濃紙の特徴と考えている「柔細胞」膜を確認できたことである。これは以前、王子製紙の研究所の協力で作成した現代の美濃紙の画像ほど綺麗ではないが、史料和紙での確認であることが決定的である。
 この膜は、普通、歴史家が和紙の材質確認をするときにつかう携帯用の100倍顕微鏡ではみえないが、背面からの透過光が一定の強さをもっている場合は、その種の顕微鏡でも、顕微鏡に接続した肉眼でならば確認することができる。「顕微鏡に接続した肉眼」というのは変な言い方だが、その時、顕微鏡をのぞいている人の目そのものでならば確認できるということ。私たちが使っている携帯用顕微鏡をコンピュータディスプレイにつないでも、良好な画像をえることはできなかった。同僚の写真の専門家いわく、「肉眼ほど性能のいいカメラはない」ということである。
 実際、この問題が顕微鏡による和紙観察においては最大の問題であって、顕微鏡をのぞいていても、その画像イメージは個人の記憶の視野の内部に存在するだけであるから、集団的な認識のつきあわせが不可能なのである。しかし、今回はより精細な顕微鏡によって調査をしたので、はじめてコンピュータディスプレイからも、この膜が確認できた。そして御寺のご厚意によって、この顕微鏡画像および全体の透過光画像もネットワークでオープンして良いという御許可をいただいているので、確実な共同的研究の基礎とすることができる。本当にありがたいことである。宅急便で送ることが可能な重さの顕微鏡なので、今後は活用が期待される。この顕微鏡は、東京大学農学部製紙科学研究室の江前先生が調達してくれた。
 製紙過程で、この膜がどのようにしてできあがるかはまだ確定しておらず、それ故に、この膜の組成もまだ確実ではないが、私は、江前先生からいただいた楮を水中で叩解する途中の画像にみえる柔細胞が、美濃紙の作成の特徴をなす強い叩解によってつぶれて、このような膜状になったのではないかと考えている。
 以前のブログには、「この膜は、楮繊維の内部に存在する柔細胞が、鞘などに入っている状態から出て、つぶれて重なって膜状になったものである。この膜を作るために、丸く、広く、平べったい面のある木槌で、楮の繊維をよく叩解する。こまかな過程は、実際に顕微鏡観察をしながら和紙の作成をしてもらうほかないが、この膜がキーであり、その基本組成もだいたいわかったので、研究の方向はほぼ明瞭になったというところである」と書いたが、それを実際に確認しつつあるというところである。実際に顕微鏡観察をしながら美濃紙の作成をしていただく算段が次の大きな課題である。
 問題は、楮の柔細胞そのものは鞘に入って虫の腸内に楕円形の糞が入ったようにみえるものなど、いくつかの形態があるように思われることで、この柔細胞を叩くと各々がどうなるかが知りたいところ。美濃紙は叩面の大きな木槌で石盤にのせた楮繊維を徹底的に叩くので、それで潰れるのではないかと考えている。
 P1010004

 上に掲げた繊維の顕微鏡写真の中央と右上にみえるのが鞘に入ったままの柔細胞である。ただ、問題は、ご覧のように、(細かく分離すると)右上ではみえるような糞のような楕円形の形になる柔細胞は薄茶色をしているので、たたくと透明の膜になるのかどうかが最大の問題である。あるいは楮の表面に薄い膜があるということを聞いたことがあるので、それが叩解の過程で楮繊維それ自身から剥離して膜の一部になるなどということもありうるかもしれない。しかし、叩解途中の楮を検鏡した画像をみると、これだけ広汎な膜が紙面に形成されるだけの質量をもっている物質は、柔細胞としか考えられないのである。
 昨日の夜は京都大学の生存圏研究所の川井先生と。祇園社の南のところで先生の指導の研究員のMさんや、東大農学部製紙科学の江前先生などと一緒。川井先生は木質科学の研究者で、文化財の木質の研究では第一人者。若干のご縁があって、紙の話をすることになった。当方の研究の紹介や職場の話だけでいろいろ忙しく話す。共通の知人というのはいるもので、いわゆる文理融合の必要についてまたまた考えさせられる。
 以上、11日(日)の朝、S書店の会議にでかける朝の総武線の中で、書き終える。それにしても、昨日のTBSの世界不思議発見には驚いた。マリヤ・ギンブタスの仕事は相当前に読んだものなので、もう一度確認してみたい。そもそも、この原始のエロティシズムについての興味は、ラスコーの洞窟絵画を分析したG・バタイユの仕事を、学生時代、『朝日ジャーナル』で読んだことが最初のとっかかり。ただ、それは記憶にすぎず、いまでは、本当に『朝日ジャーナル』であったかどうかも定かではない。しばらく前に図書館で探したが、はっきりしない。当時はバタイユに対しては何かよくわからない議論として、批判的であったが、いまは現代に必要な議論をしている思想家、いわば現代のフォイエルバハであると評価するようになった。閑になったら、その雑誌記事を確認してみたいものだ。

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