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2011年9月14日 (水)

遠山茂樹氏、なくなる。『明治維新』のこと。

  京都出張中に、遠山さんがなくなっていたのを知った。実際は、8月末だからもう少し前だったということ。
 私は遠山さんだが、稲垣泰彦さんが遠山先生というようにいっていたのを聞いたことがある。稲垣さんは人のことを先生とはいわない人(佐藤先生をのぞいて)だったから耳に残った。亡くなられたあと、遠山さんが「自分を大事にしないと」と稲垣さんに忠告したという話を奥さまから聞いたことがある。その他いくつかの遠山さんのこと。稲垣さんを思い出すたびに、遠山さんはどうされているだろうと思っていたので、逝去の報はショックである。

 稲垣さんが亡くなられた時の東久留米の団地の集会場で、お通夜で遠山さんをみた。「戦後歴史学」の代表者たちが多く集まっていて、圧倒されながら、この人たち全員を批判すればいいのだと不遜な感想をもったことを思い出す。稲垣さんの奥さまもなくなってしまい、「戦後歴史学」の生きた姿をしる人々、そしてその風情から、私のような世代でも、それを察知できる人々が、みんないなくなってしまう。
 私が遠山さんをはじめてみたのは学生時代、大学一年の時(あるいは浪人の時)、東大の五月祭で講演をきいた。戦後史についてだったが、物静かでありながら、明解で身に迫るような話で、胸に落ちた。私のような最初の純粋戦後世代を歴史がとりあっているのだ、君たちの位置は大きいという言葉もよく覚えている。当時、私にはきわめて影響の強かった、羽仁さんに近い立場を、遠山さんがとり続けていたことも、親近感のひとつであったのかも知れない。
 この遠山さんの講演は、私の学生時代、あるいは個人の歴史学の方法意識にとっては決定的な意味をもったものかもしれないと思う。くわしくいってもしょうがないことだが、当時の横市大の学生運動が一つのバックにあった奧浩平の『青春の墓標』という本があって、強い影響をうけていたのだが、遠山さんは、横市大にいらして、この本の著者とは異なる姿勢をとられていることも、私の姿勢を冷静にさせた。
 後に家永訴訟を支援する歴史学関係者の会の事務に参加した時、学習院の児玉幸多さんと遠山さんが代表で、いつも総会でお会いしたり、訴訟支援の場でお会いして、緊張した。遠山さんの歴史教育関係の仕事は大きな位置をもっていると思う。

 私は、河音能平さんの著作集の解説を書くので、上山春平氏の仕事をよむ必要が出て、その関係で、大門正克『昭和史論争を問う』(日本経済評論社、2006)によって、著作集をひっくり返し、遠山さんの昭和史論争での発言を確認したことがある。遠山さんの論争での態度は見事なもので、情理を尽くしているとよめた。林房雄は別にして、亀井にも上山さんにもけっして打撃的な批判はしていない。研究者の中には、昭和史論争を自分たちの歴史学の問題と感じないような人々も増えてしまったが、右の大門編の論文集は重要なもので、遠山さんの関係では、とくに和田悠「昭和史論争のなかの知識人」には教えられた。
 御年齢もあって、遠山さんを歴史学研究会ではお見かけしなくなった後、横浜市金沢区の上行寺東遺跡の保存運動で知り合った、遠山さんの教え子の方から、消息をきいた。遠山さんが一時、老人ホームに入られたということだった。遠山さんがすこしぼけてしまって、奥さまが私はまさか遠山がこういうことになるなどとは信じられないとおっしゃったのを聞いて、彼がアドバイスをして、一度老人ホームに入って作業療法をやられるのがいいという話になったとのこと。遠山さんが藤細工をやられて元に戻られたということだった。『歴史地理教育』に論文をかかれるところまで御元気になった。私たちは、その藤細工を歴史家のお守りに一つもらえないだろうかと話したことを覚えている。
 
 下記は、以前、『アエラ』の歴史学入門特集のようなものに、歴史の名著というのを書いた時、遠山『明治維新』を上げたもの。

『明治維新』、遠山茂樹、岩波書店、1951年。
 羽仁五郎の提言を受け止め、初めてアカデミックな史料操作に基づいて「明治維新」政治史を論じた古典的研究。維新政権を近代的権力とみない立場、いわゆる絶対主義論の実証的基礎を提出した。要は、日本近代の中に前近代からの長期的連続性をどうみるかにあるが、これだけ広範囲で凝縮した内容をもつ明治維新の全体論は、今でも存在していない。冒頭の戦前歴史学に対する批判は痛快。

 絶対主義論をそのまま取るどうかは別で、私などは江戸期国家は封建制とは考えられない、東アジア型の都市ー地主国家だなどという意見であるから立論の拠点が違う。しかし、維新政権を近代的権力とみることができないのはまったく明らかなことだと思う。この点で上山春平氏の議論は無理だと思うし、またいわゆる労農派的な議論には歴史家としてしたがうことはできない。

  だいたい私は、「戦後歴史学」、何が悪い、無教養なことをいうなという立場で、今後もそれを維持したままで行くことになる。遠山さんの温顔をわすれずに、悪口をいうのは抑制しないとならないことはわかっているが、なかなかなおらない。
 下記は共同通信からとったもの。

歴史家の遠山茂樹氏が死去 明治維新史を分析



 死去した遠山茂樹氏(歴史家、横浜市立大名誉教授)

 自由民権運動や明治維新史の研究で知られる歴史家で、横浜市立大名誉教授の遠山茂樹氏が8月31日午前8時33分、老衰のため東京都内で死去していたことが9日、分かった。97歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で済ませた。喪主は妻重子さん。

 東大卒。戦後、唯物史観に立って明治維新史を分析・研究した「明治維新」で高く評価された。55年にベストセラーとなった共著「昭和史」は評論家亀井勝一郎氏らの批判を呼び、昭和史論争のきっかけとなった。

 58年から横浜市立大教授。横浜開港資料館の初代館長も務めた。主な著書に「明治維新と現代」「戦後の歴史学と歴史意識」など。

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