火山地震48吉野ヶ里遺跡と火山雲仙
朝の総武線。昨日日曜は奈良女で講演「古墳と神話と火山」。土曜日、新幹線、名古屋駅あたりでレジュメを書き上げ、夕方、渡して用意をしていただく。さすがに疲れた。
講演は火山神と「日本」神話についての私見を全面展開という感じのものとなり、お聞き苦しかったのではないかと思ったが、研究者にはおおむね好評で、とくにご一緒した北條芳隆氏の講演とは期せずして一致点が多かった。
北条氏の講演は内容は多岐にわたるが、とくに驚いたのは、肥前国吉野ヶ里遺跡の遺跡配置が火山雲仙岳にむけて一直線になっているということ。これは考古では有名な話しなのだろうか。これは「火山噴火や噴煙との関連づけがともなった可能性がある」というもの。しかも、北条氏の講演では他の例の説明もされ、火山と遺跡、前方後円墳との位置関係の指摘とあわせて火山国家説にとって緊要なものであった。
帰りの近鉄で北条氏にいたただいたパンフ『古代史論争』(古代史サミットin伯耆、2011、10月)に、北条氏の講演が掲載されており、この問題の大要がのっているのを確認したのでブログに記してもいいだろう。吉野ヶ里では、「墳丘墓ー立柱ー掘立柱建築物ー北内角大型建物ー祭壇状方形マウンドー雲仙岳」というほぼ南北の配置が確認でき、このような山を起点とした直線配置は北九州に多い。そして、それが纏向遺跡に持ち込まれたというもの。会場では、立柱こそ、タカミムスヒ、高木神ではないかと発言した。
講演というのは、実際に語るということで、歴史学のように文章を書く仕事のものにとっては、つねに独特の経験である。蚕が体内に蓄えた糸をゆっくり吐き出していくというような経験である。そもそも昨年『かぐや姫と王権神話』を書くまでは、まさか自分が神話や古墳の話をしようとは思っていなかっただけに、例によって微音で話すということになる。そもそも、脳内と、音声と、言葉と、そしてこのPCの中に入っている、ここ1月ばかりの思考作業のメモとの相互間の微妙なずれを感じながら話す。しかも、聴衆に御理解をいただけているかどうかを見ながら話すということで、自分の立ち位置を実感しながら話す。
関西は東日本太平洋岸地震と原発震災による緊張が少し緩いような気がしていたが、主催者の側の話を聞いていると、そういうことではないようである。やはり相当の重さがある。地震火山の研究をしようとしている意図のようなものが自然に伝わったかもしれないと思う。
講演をしながら考え直したこととしては、イザナキの禊ぎで汚れから生まれる神々の中に女神が登場することの意味であった。彼女らは掃除をする女神である。その最大の神格は、「根国・底の国の速佐須良比咩」であって、彼女がすべての汚れを「持ちさすらひ失ひてむ」ということになっている。その史料を読んだら、ほぼ自動的に、ここにはいわゆる性別役割分担のシステムとイデオロギーがあって、それは神話の時代から現代まで続いているのかもしれませんという言葉がでてきた。これこそ自分のイデオロギーかもしれない。一種の自動思考である。
汚れが、黄泉→山→川→海→海底→地底と廻るというのは、当時の神話的知識の枠内での水循環の認識であるということができようが、その中に、すでに、こういう論理が孕まれていることをどう考えるか。男女間対立は、歴史社会の構造にとって本源的な意味をもつ。それが同じく講演をした小路田泰直氏の表現では「自分は楽をしようとする」という感情的イデオロギーの基本であるだけに、これが神話に論理化されていることをどう考えるかは、いわゆる地母神をふくむ女神論の基本問題となるのだと思う。
女性と掃除と箒という論点は、以前、『物語の中世』におさめた「天道花」の論文で考えたことである。速佐須良比咩から「箒」へという問題群がありそうに思う。そして、速佐須良比咩は鎌倉期以降は、地獄の「三途婆」に習合していくから、後々まで続く問題なのだと思う。