ビッグ・イッシュウの卒業、追加で地震神について
今日10月4日朝、本郷の角で、ビッグイッシュウの今号を買って、いい天気になったねといったら、販売の人が、来号で「卒業」することになりましたと満面の笑みで報告してくれた。「何か別の仕事ができたの、この仕事もいいけど。昨年の藤田くんもたしか夏前後に部屋をかりて仕事をかえるといっていたけど、アパートを借りたの」と聞いたら、そうだということ。彼の笑顔をみると、今後もうまく行くに違いないと感じる。おめでとうである。
いま、総武線の帰り。ビッグイッシュウの彼は、帰りの時も、7時頃まで本郷の角に立って売っていた。無理をしないようにと思う。
さて、先週ゲラを校正した小文(東大の海洋アライアンスのパンフ)が、そろそろでるので、その一部にスサノオが地震神である理由をのべたところを紹介しておく。
すでに神話学の吉田敦彦氏がスサノオが、アマテラスに会いに天に昇る時に、「山川ことごとくに動み、国土みな震りき」(『古事記』上)とあることを根拠として、スサノオは地震神としている。このスサノオの行動は普通は暴風雨の神であるといわれているが、吉田氏の意見が正しいと思う。スサノオは海の神であることが明らかであるが、これはギリシャ神話のポセイドンが海神であると同時に地震神であったことと同じであるという吉田氏の議論は神話論として反論できない内容をもっている。
九世紀以降の史料からも、それを論ずることができるのであるが、『古事記』でもう一点、重要なのが、スサノオのもとを訪れたオオナムチ(大国主命)が「天の沼琴」を盗むという場面である。スサノオが寝ているところを見計らって、オオナムチが、これを盗んだのだが、琴が木に引っかかり、それによっれ「地が動」んだというのである。
何か『ジャックと豆の木』のような話であるが、これは、地底に棲むスサノオが地震を起こす呪具として、琴をもっていたということを示すのだろうと思う。右の小文では、これを吉田氏の仕事の上に追加した。
さて、地震史料を読む必要から、おもわず神話研究の世界をかいま見ることになって苦闘している。それは八・九世紀の地震と噴火の史料にはしばしば神話世界が表現されていることが明らかとなったためで、こうなると、これらの史料を正確に読み込むためには、『日本書紀』『古事記』『風土記』などに描かれた神話世界の研究を参照する必要がでてくる。ところが、実際に、神話研究の状況を点検してみると、地震と噴火の神話という観点の研究はいくつかの古典的な仕事をのぞいて歴史学のみならず、神話学・文学研究などの分野をふくめてまったく存在しなかったことに気づく。ほとんど、松村武雄氏の古典業績に戻るほか手がないのである。
これは驚ろくべきことであると思った。もちろん、現実の歴史世界において地震・噴火が大きな位置をもっていたことがほとんど認識されていなかった以上、それに対応する観念の世界の研究が無視されるのは当然のことであったといえるのかもしれない。しかし、神話を議論するためには、本来、この種類の自然神論は必須のものだと思う。ところが、研究の精緻化とともに、神話の政治的・文学的なフィクションとしての性格が強調され、神話のもつ自然神話としての性格が徐々に等閑視されていったように思う。
私は西郷信綱氏の仕事が好きで、相当のものを読んでいたつもりだが、どうも、これは、西郷氏が自然神嫌いなのがすべての根っこにあるように感じている。私には、西郷氏の人文主義より、益田勝実さんの民俗主義の方が身のたけにあっているのかもしれない。西郷信綱氏の『古事記注釈』と益田さんの『古事記』を読んでいると、少なくとも、現在のところ、益田さんの方が、私には面白いのである。
そして、どうも西郷氏の仕事が行き止まりになるのは、西郷氏が本居宣長をまじめに読もうとしたためであるという印象がする。本居宣長には、神話的な日本というのは稲作農業のみずほの国、日本という印象が強く、すべてをそれで読もうとする農本主義がある。益田さんにもその影響はあるが、益田さんの方が自然を見る目は柔軟なように思う。