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2011年11月11日 (金)

美濃紙工房調査見学

 昨日、一昨日は長谷川和紙工房で和紙材料下ごしらえの調査。昨年は同工房で職場の同僚が抄紙の過程をふくめて調査したが、今回は農学部のE先生と一緒でむしろ材料科学の方から、和紙の物理的成分の調査になった。そこで下ごしらえ中心となる。柔細胞が膜状になることを確認した。
 Img_1135 長谷川和紙工房は、岐阜県(武義郡)美濃市蕨生。旧町名、下牧村。下牧村は美濃厚手が中心で、上流の上牧村は美濃厚手が中心の産地であったという。戦前はここで1300軒の紙生産集落であった(美濃市全体では3000軒)。庄名は上有智(こうづち)。山一つ越えた大矢戸は室町から紙産地として著名で、市庭地名も残る。山を北に越えるとすぐ福井。こんなに近いとは思わなかった。E先生は美濃と福井は紙の生産で交流があったのではないかという。たしかにそう思う。歴史の方の現地調査、というよりも土地勘を養うための旅もしたいものだ。
 美濃紙という呼称は、室町後期にならないとみえないが、一昨年、南北朝期の東大寺文書の美濃茜部荘園文書に、材質の上で確実な白美濃を確認しており、これだけの良質な紙を作れる専業集団が美濃にいたのは確実になった。現在、美濃紙を世界無形文化財に推薦しているが、今年度は未審査となったということ。昨年の石州半紙との差異がつかないという理由であったようだが、美濃の方が史料の点では古いので、来年度は通過することを願う。
Img_1087  今回使用の楮は近隣の山野で野生化しているもの、黒皮・甘皮・白皮の状態をみせていただく、水にさらした後、甘皮が濡れたままでぶよぶよしている様子を初めて見る。淡い緑色で、顕微鏡でみると、皮の植物細胞の様子がきれいにみえる。繊維の並びと並行に間隔をおいて糞のつまった腸のようなおなじみの柔細胞が確認できる。腸状のものは一定間隔をおいて出現。その繊維のならびと直行する方向に俵状の柔細胞がならんでいるのも確認。表皮での柔細胞はこの二類型があるらしい。石州半紙は甘皮をすべて残す。美濃はすべて残すということはないということ。
Img_1098  (1)灰汁で煮熟が終わる頃、我々は到着。現在はソーダ灰で処理するのが一般的だが、今回は灰汁で処理。ソーダ灰のものは白いが、これは黒灰色。現状の美濃は甘皮もとった煮熟であり、今回もそうした。煮熟すると軟らかくなる。これをしないと繊維が離解しない。美濃は煮熟後、あげてそのまま保存する。灰分があった方が酸化が遅くなるのでとっておける。
 本格的にみせていただくのは、(2)煮晒から。庭のコンクリートの水槽にまだ熱い皮を入れていく。干瓢の太いの(幅4センチくらい。柔らかさもそういう感じ)にみえる。
Img_1109  その後に、(3)「ちり取り」。水槽の横に、簡単な屋根のついた川屋があり、その中を幅50センチほどの水路が通っている。その水路の両岸に縁がかかるようにして笊(現在では金網製)を置き、そこに干瓢状の楮を一本浮かせて、繊維をいためないようにチリ(節のところで黒くなっている者など)を取る。自分でもやってみたが、これは根気仕事である。
Img_1120  その後が、(4)「叩解」。石盤の上に「ちり取り」の後の楮をおき、両手に美濃でよく使われる短い木槌をもってやる。15センチかける15センチくらい、厚さ7・8センチにまとめたちり取り後のものを横40センチ、縦1㍍くらいに打ちのば  Img_1129_3 す。蕎麦か餅を打ちのばす感じで、これを4/5回繰り返す。徐々に薄く伸びやすくなっていく。これは繊維を離解するためであるという。
 長谷川さんによると、この叩解のやり方が美濃紙の特徴を作り出すのではないかという人も多いが、二本槌だと女性でもできるというのが理由で、長い棒(ばい)で打つのと繊維にあたえる影響は変わらないのではないかということであった(石州も長い棒でうつ)。たしかにこれによって柔細胞がつぶれるということはなさそうであると感じた(正確には叩解のやり方で繊維状態に変化があるのかどうかを実験する必要はあるのかも知れない)。これもやらせていただくが、腰にくる。
 さて一番興味深かったのが、叩解の後の(5)「紙出(紙振)」であった。川屋で「 ちり取り」とおなじように笊を構え、ペースト状の叩解後の楮のまとまりを水にひたして繊維をほどく。これによって繊維が離解して雲のように湧いてくる、出てくるという感じ。固まりをふると紙繊維が湧いてくるという感じである。まさに「紙振り」。
Img_1140  ここでもチリをとるが、基本は不純物を流すことに意味。水が白く濁るほど不純物が流れる様子をみた。これで量がへる。本来の美濃は、この工程を行わないので、半分は「紙だし」をしないままの楮ペーストを残してもらった。
 翌日10日には抄紙をする。まず、練りになるトロロアオイをみせていただく。例年は茨城の小川町(石岡の北)の楮を使うが、これは高知のもの。(イ)紙だしをせず、練りも加えずに抄紙、(ロ)紙だしをせず、練りを加えて抄紙。(ハ)紙だしをし、練りを加えないで抄紙、(ニ)紙出しをし、練りをいれたもの、そして最後に叩解を手でなくビータでやったものの抄紙。以上5種類をやっていただく。
 乾燥に時間がかかるので、紙自身は送付していただくことになったが、紙だしをせず、練りも加えないままの楮ペーストに柔細胞の膜を確認した。しかし、美濃に確認されるきれいな全面をおおうような膜が柔細胞だけからなる膜なのか。あるいはそれに練りのトロロアオイの成分も膜になるのか。これは送っていただく紙で確認しようということになる。
 以上、業務報告のような感じだが、紙の材料レヴェルから、ようやく理解できたという感じがする。歴史学の文理融合とミクロ化のためにと考えてはいるのだが、まだまだ道遠しではある。

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