佐伯啓思氏と保守主義としての歴史学
今日の朝日に佐伯啓思氏のインタヴユー。歴史家は本質的に保守主義のところがあるので、おっしゃることの結論に賛成である。
民主主義というものの、そのままではシステムとしてのあやうさということはある意味で当然のことである。歴史家は人間社会それ自体には価値を置くが、そこから切り離された民主主義というものを理念的に価値化するようなことは差しひかえる。また現代社会に存在する閉塞感に対してもあまり共感することはしない。それにとらわれることからはろくなことは生まれない。大阪府知事選の結果が小型の俗物型独裁の生まれる動向を示しており、小泉よりも危険な方向である。あれはポピュリズムではないというのもその通りと思う。何しろ、石原、小泉、橋下と似たような俗物が三人もでてくるというのでは、三度目の正直、歴史家ならば、誰しも本格的に考えざるをえないことである。遅すぎるといわれるかもしれないが、昔々のことを考えている私などは、頭の労働としては、時々浮き上がっては海面をみわたすアザラシのようなものであるので御勘弁を願う。
そもそもああいう政治家を「俗物」の一言でかたづける(佐伯氏はそうはいっていないが)、私のような言い方自体が、一種の知性主義、あるいは保守主義・貴族主義であって、それが反発をもたらすことは承知している。そもそも右翼的な思考というのは、こういうものいいに対する反発なので、こういう物の言い方ではとらえられないものである。右翼的心情とは頭脳労働というキレイにみえる労働で収入を確保した人間あるいはその制度、いわゆるエスタブリッシュメントに対する反発をベースにしている。こういう右翼的思考は、それ自体は人間として自然な反応であると、私は思う。それは意味がある心情なのである。だから、そういう言い方はくさいといわれれば、申し訳ないというほかない。しかし、学者としては、これは職人のもつ鑿が鋭いのと似たようなもので、嫌な物は嫌、「反知性主義は墓穴をほる」というのはいわざるをえないことである。そういう意味では、これもまた信条・心情の問題なので、勘弁を願う。
歴史家としても右翼的信条の役割ということは知っている積もりである。「反知性主義」をかかげて、知的労働を自己の特権であるかに感じて生きている人間を脅かすというのは、右翼のもっとも有用な役割であると思う。けれども、佐伯氏のいうように、石原、小泉、橋下は右翼ではない。右翼というと、我々の世代だと赤尾敏氏であるが、あの時代、大江さんがどこかでいっていたかと思うが、ああいう、ともかくも偉い人とは違うのである。石原はただのお馬鹿の作家、小泉は政治家の息子、橋下は弁護士。どれも「頭」の使い方を要領よくやった人間で、本来右翼的信条の正反対にいる人間である。彼らは、右翼的信条をようするに利用するのであって、彼らは、詐術によって右翼のボスになったヤクザなのである。それが私が、あのタイプが嫌いな理由。橋下氏は原発廃棄という意見だそうだから、石原とは違うが、それにしてもという感じである。
アメリカによる占領を喜び迎えるということになり、右翼の政治的な中軸にならざるをえない王制、あるいは王制を中軸にせざるをえない右翼思想というものが、まったくの二律背反思想になってしまった現代日本には、右翼はありえなくなってしまったというのが、日本の思想の一つの困難である、それが続いているということなのだと思う。三島の英霊の声の、「などて、人となりたまひし」の時代の困難である。
佐伯氏がゆっくりとした見通しと変化が望ましいというのは本質的に賛成である。そして「日本人が維新という言葉に弱いのも考えものです。一気に変えるという発想はもう捨てないと」といわれるのにも共感する。これは「維新の精神構造」を問題にした丸山真男の見解に近い。私も、歴史家として、日本の政治思想の根本に「新制=維新=徳政」の思想があることを喝破した笠松宏至さんの仕事にそって、平安時代政治史を勉強してきた立場から、そう思う(笠松さんは丸山などは、所詮、素人であるとして読みもしなかったが)。維新思想と右翼急進思想が共有する根はふかい。
しかし、歴史家として佐伯氏と異なってくるのは、最初の入り口である。佐伯氏は「民主主義」というものへの考え方を問い直すことから出発するという。歴史家は、所詮、過去に関わる。そして私などは、とくに過去も過去なので、過去をどうとらえるかという「意識」の問題、つまりいわゆる「歴史意識」に結論をもっていかざるをえないので、たいしたことはいえない。しかし、基本は、やはり過去から未来へということが歴史学なので、現在をとらえるための過去ということになる。それは過去が客観の世界である以上、歴史学も現在の客観的構造を問い直す、あるいはその役割をもった社会諸科学の底支えをする役割をもたざるをえないのである。佐伯さんはそこをどう考えるのであろう。これは丸山「古層論」に対する違和感と同じ問題である。
「民主主義」を問い直す、それが制度として不全なものであるというのは、むしろ私たちの世代にとっては親しい考え方である。いわゆる学生運動時代の「全共闘」の論理は、「戦後民主主義を問い直す」であった。彼らの主張はようするに「意識革命」であった。しかし、それは無理な話で、現代日本社会がどういう構造をもち、なぜ閉塞感を生み出すのかを解くことがなくても何の役にも立たない。社会の経済構造に結びついた支配構造をどう考えるか。そういう中で、民主主義を力にすることこそが必要であるというのが、私たちが到達した考え方であって、私たちの世代からいえば、民主主義一般を問うことは、70年代への逆戻りであると思う。
さて、大阪市長選で大きかったのは第一にはこれまで政治的な局面での発言をあまりしなかった相当広い範囲の知識人が橋下の当選が危険であることを明瞭に主張したことである。これは橋下氏の任命した教育委員会が、全員、橋本氏の教員いじめに賛成できないという立場にまわってしまったことを同じことである。そして第二には、日本共産党が平松支持にまわったことである。これはやはり驚いたことで、共産党は、保守との共同という立場を打ち出しているが、歴史家としても、この知性主義の代表のような政党が必要な判断をしたことの意味に注目している。
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