ベン・シャーン『ここが家だ』、NHK日曜美術館
日曜美術館がベン・シャーンやっていると呼ばれて急いで下へ。 アーサー・ビナードさんがでていて、『ここが家だーーベン・シャーンの第五福竜丸』(集英社、絵ベン・シャーン、構成と文アーサー・ビナード)の紹介をしているところに間に合う。昨日は例年の監督業務で日曜美術館のことなどはなす余裕はなく、就寝。
いま、総武線の中で『ここが家だ』を再読したところ。出る前に探したが、書棚の居間から移した分にはいっているのがわからず、一騒ぎ。Mちゃん、疑って、という訳ではないが父母で聞いてごめんね。
大量のベンシャーンの史料を蒐集・分析しているという、福島県立美術館のキュレーター荒木康子さんがでてきて、ベン・シャーンの「The Voyage of Lucky Dragon」を紹介している。Lucky Dragon、第五福竜丸である。
日常の圧倒的な力の中で埋没する記憶をあらためて語る力をのっていると。「日常の圧倒的な力」。たしかにその通りである。
『ここが家だ』で紹介されたマーシャル群島での核爆破の情景描写は強烈な印象。
いきなり 西の空が まっ赤に もえた。「太陽がのぼるぞぉー!」と ひとりが さけんだ。西の空の 火の玉は 雲よりも 高く あがっていた。
けれど ほんものの 太陽は 東の空に のぼる。にせものの 太陽みたいな ばけものが うようよ もくもくと もがいているのだ。
この核爆発の描写は、一種の神話である。巨大な悪神の立ち上がりを世界に告げた神話である。これが悪と恐怖の神話として真正であることは、人類史最初の神話が真正なものであったことと同様である。人類にとって最初の神話と、この核爆発を伝えるものとして語られた「詩」は、その神話性において区別されることはない。
原始神話というのは、意識をもつようになった人間にはじめて映ったおそるべき、そして光々しい、神々しい世界の形象である。視神経と脳髄の自己意識の力がはじめて直接につながった人間の中に入り込んできた無縁の自然、圧倒的な自然の力の形象化である。
原子力の「安全神話」という用語における「神話」という言葉の使用のあり方は正しくない。実際には「原子力安全神話」とは「みえていること、知っていることを隠す」ということであって、本来の「神話」は「みえないものをみる精神的営為」を意味しているからであるというのは、前に、このブログで書いた。「安全神話」というのは曖昧主義、オブスキュランティズムであって、これもマスコミが作りだした操作的な言葉である。しかし、さらに問題なのは、この「原子力安全神話」の背後に、真正の神話、しかも原始神話とは異なるもっぱら恐怖のみの神話が控えていることであると考えた。「安全神話」という言葉はこのことも曖昧にする。
ともかくも、アーサー・ビナードさんの「詩」が、原始の太陽神話、世界創造神話の印象に酷似することにショックをうけた。そして、世界の神話の中で、もっとも濃厚に火山神話が分布するのは太平洋、環太平洋圏であるという最近の神話論研究で確認したことにあまりに一致することにもショックであった。マーシャル群島にも、大林太良氏が報告しているような世界創造神話があるに違いない。そしてそれは火山神話であるというのが最近の確認点であるので。
いま、総武線の中。明日からの出張準備で出勤。ベンシャーン展を神奈川近代美術館で、1月29日までやっているということなので、できれば行こうと思う。
ベン・シャーンは、私たちの世代だと、ドーミエとケーテ・コルヴィツとベン・シャーンという形で親しい版画家。1898年リトアニアの貧しい農家に生まれた。父は帝政ロシアに抵抗し、シベリアに流刑され、逃亡し、社会主義運動に参加し、スウェーデンやを放浪してアメリカへ逃げた人。少年時代から石版工房で働く。
私たしの世代だと、無実の罪で処刑されたアナキスト、サッコとバッサンディの救援運動に参加し、連作を作ったこと、そして、1945年の「解放」題されたフランスの子供たちが深刻な顔でブランコをしている綺麗な絵がなつかしい。これはテレビでも出てきた。
番組の最後に、ニュージャージー州のルーズベルトのベンシャーンの家が映し出され、リルケの『マルテの手記』に題材をとった版画集「一行の詩のためには」の紹介がでた。「追憶そのものからでてくるのだ」、追憶がわすれさられた時にでてくるものを語るという言葉は、歴史家にとっても重大なもの。亀戸に、昔、娘とみにいった第五福竜丸はどうなっているのだろう。
途中9時45分に地震
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