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2012年1月12日 (木)

イリノイ大学のロナルド・トビーさんの受賞

 昨日は人間文化研究機構の「日本研究功労賞」というのをイリノイ大学のロナルド・トビーさんが受賞され、その授与式とトビーさんの講演が日本学士院であって出席。
 行く途中、上野の東京文化会館の前で韓国史の先生にあって、韓国の地震の話を聞く。九世紀に韓国で地震があったという『三国史記』の史料はどこまで使えるかなど教えを乞う。私は東洋史の先生方は無条件に尊敬してしまうというコンプレクスがあり、教授に感謝。当面は、韓国の地震考古学の状況がわからないとむずかしいが、考えてみるというのが結論。
120111_162739  トビーさんもその意味で無条件に尊敬するべき人であったというのが出席しての感想。顔なじみのあまり、そして江戸時代初期の研究者なので、尊敬するという意識はなかったというのが率直なところだが、講演を聴いて尊敬度が増す。トビーさんは、半分、外国史研究者なのだ。
 講演はご自分の研究をふりかえったもので、トビーさんの研究の原点は、大学時代、日本研究をはじめる中で韓国からのは留学生から「日帝」批判を聞いたことであるということであった。当時のアメリカの東アジア研究は中国・日本中心で、近代化論が流行していて、日本近代のマイナスの面などはほとんどふれず、日本の韓国占領などの話はでてこない。
 ところが韓国人留学生から話を聞くと全然違う。学部卒業後、日本にきたが、それもあって夏は韓国に旅行をした。日本でえた様々な好誼と、それと同時に経験した韓国での文化ショックが研究の原点であったという話。
 釜山で下りたら、40くらいの女性が日本語で話しかけてきて、兄が日本に連行されたまま戻らず、20年会っていない、日本で探してくれないかと話しかけられたという話。もう一つは慶州の仏国寺に行ったら、当時はまだほとんど廃寺のような状態で、住職が礎石をさしては、これは秀吉のせい、これも秀吉のせいといったという話。植民地というものを実感としても知識としても知らないアメリカ人として、この二つの経験は大きな印象を残したという話であった。私は修復成った仏国寺の姿しか知らない。同じ世代なのだから、そして隣国にいるのだから、歴史家としては、当然にもっと早く訪れなければならなかったはずのものである。
 トビーさんは、この経験から秀吉の朝鮮侵略の状況をしらべ、その戦後処理の研究を始めたとのこと。その時、朝鮮史の研究をしないと日本史のことはわからないという判断をして、アメリカに返って朝鮮語の勉強を始めたという。これは1960年代末から70年代初め頃。まだ日本人研究者にもそういう研究は少なかったから、そのあとは一本道。
 その後は専門的な話に進んでいき、トビーさんの独壇場ともいえる絵画史料の写真を、沢山、時間オーヴァーで解説してくれた。講演の題名は「国境のない日本の近世」。秀吉の出兵の背景には日本の国境というものの曖昧性があり、それは江戸期もつづいたという意味と、国境のない学界で日本の近世の研究をしてきたという二重の意味。遠くのPPTがみえないのに愕然。これは目が悪くなったか。
 講演を聴いていて、日本と韓国を肌で知っているという形で研究をはじめ、まっすぐに歩んできたということがよくわかった。最近は、歴史学の勉強をなぜ始めたかなどというのを正面から聞く機会がなくなっていることを逆に実感する。古典学のK先生が、今日の話しは学生に聞かせたかったとおっしゃっていた。H先生にもご挨拶。江戸農業史をすべてやり直すために大量の本を積み上げたと御元気。
 ドナルド・キーンさんのお祝いの挨拶も心温まるもの。トビーさんの著書がでたころ以降、日本の研究者とアメリカの研究者の論文や著書が日本人研究者にも利用されるようになってきて、注に引用されるようになってきた。その前までは別々にやっていて、しかもアメリカでの研究が日本の研究者に相手にされることはなかった。その後、少しづつ実際の協力がされるようになってきて、それはトビーさんの努力のお陰であるということ。それからトビーさんが卒業の後に、朝鮮語講座をコロンビア大学に設置したが、それを最初に勉強したトビーさんが研究者として成長してうれしいと。
 たしかに、トビーさんは、史料を利用したオリジナルな研究をする実力がある研究者で、外国人研究者と日本人研究者という形で区別しないですむ共同研究仲間である。しかも日本・朝鮮・中国の史料をみれる、読める研究者として実力のある人。残念ながら、そういう日本史研究者は少ない。
 最近はほとんど学会らしきものにもいかないので、懇親会も楽しく過ごしたが、若干、飲み過ぎた。このごろワイン1杯も呑まないのに、4杯も呑んでしまった。暴言多謝。

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