政治学・法学・経済学と歴史学
京都出張の帰りの新幹線。じっくりと文書を調査してややほっとする。細部の調査は原本を拝見できるにこしたことはない。今日の朝の石階。昼過ぎの山門をでたところの飛行機雲。
細かな調査である。過去を細大もらさず、できるかぎり確定していく作業。もちろん、確定にはさらに長い時間が必要であろうが、不明部分の原稿を埋めることができやはりほっとする。こういう仕事に何の意味があるかといわれれば、過去を確定する作業に参加することと答えるほかはない。
政治・法・経済に関わる人々と、その学問のことを尊重している積もりではあったし、いよいよ尊重しなければならないと思う。けれども歴史学のような学問を仕事と
するもののとっては、社会との関係で、むずかしい問題がある。
その難しさの第一は、学者にも学者としての立場以外に、市民・国民としての政治・法・経済についての立場というものはあり、それは社会人である以上、学術とは異なる問題として正確にもっている「べき」ものである。そしてこれは当然に「歴史学を何のためにやっているのか」に関わってくる。ここで「べきものである」といったが、これは「べき」ということであって、「べき」と考えない学者もいる。この意見の相違は、相互に「歴史学は何のためにやっているのか」と問うほかに有効な議論はありえないが、相互に問うこと自身が最近ではまれになっているように感じる。しかし、本来、いくら議論をしても、「歴史学は何のためにやっているのか」ということについて一致することはまれであった。そもそも、それはおのおのの歴史学の作業が、実際に結果するものを考え、経験し、それを交流するなかでしか議論にはなりえない。この問いは絶対的な必要であるとは考えるが、しかし、結局は「べき」と考える学者、あるいは「べき」と考えない学者の歴史学の作業そのものの説得性に依存してしまうことになる。
もちろん、その説得性は、市民・国民としての立場自身の説得性の問題もあるが、これ自身も学者にとっては、なまの形では現れない。これが第二の困難である。市民・国民としての立場を、ここで仮に「A」とすると、しかし、学問としての政治・法・経済というものがあって、それを「A'」とすると、「AーA'」の関係なしには、学者のAは成り立たない。広い意味では仲間・同輩である政治・法・経済の研究者に問うことなく、ある歴史学者が「A」をもつということはありえないのである。その意味で、私は、A' への問いを抜かして、学者としての人間が、国民的・市民的立場によって自分の社会的行為を直接に律することは、私は正しいとは思わない。
もちろん、これは学者の倫理の問題である。平安時代の言葉に「等倫」という言葉があって、同朋・同年齢集団と同じような意味であるが、「倫」という漢字の語義は「仲間」というような意味であるから、ようするに学者内部の「理」あるいは「道」というような意味であり、それはまずは研究者個々の心理の問題である。もちろん、国民的・市民的立場というものは、それを越えて存在するが、しかし、非生産的労働にたずさわらせてもらっている立場、いわゆる「全体の奉仕者」としては、自己の社会的立場については抑制的でなければならないのは当然であろう。もちろん、社会的実践と言論は異なるものであるから、言論の自由は享受しうるものである。そして言論の自由である以上、それは信条の自由でもあって、信条は、必ず、それに対応する心情をふくむ。しかし、その心情の抑制が本質的に必要なのである。学者・研究者の社会的な中立性というのは、単なる仮面ではなく、このような倫理によって支えられるのだと思う。そして、このような倫理に支えられることによって、個別学問の主張が学術世界全体の主張となった時に、変化がやってくる。
第三の難しさは、歴史学と政治学・法学・経済学の性格の根本的な相違である。政治学・法学・経済学は直接に実践の学問、政治的実践、法的実践、経済的な実践に関わる学問であるが、歴史学はそうではない。歴史学は、基本的には「頭脳労働」のみの学問、いわば考証と雑学の学問である。もちろん、現代史家は、直接に学者としての社会的実践を行うが、実際には、それは政治学者・法学者・経済学者としての実践であるというほかないと思う。実践の領域には「歴史」というものはないのである。政治学・法学・経済学の実践には保守、進歩、conservativeとprogressiveの両方があって、これはそのどちらも必要であることはいうをまたない。方向のゆがんだ進歩に対しては反動的実践さえも必要になるのである。これらに関わる政治学・法学・経済学の学者の責任はきわめて重い。このような分野の学者は本質的に単なるスペシャリストでいることを許されず、実践者として同時にゼネラリストでもなければならない。
直接的な「実践」である以上、現場を「践んでいること=踏んでいること」が要求される。そして「場慣れ」と「賢さ」が要求されるし、その中で鍛えらえるのだと思う。もちろん、歴史学者の中にも、私のような「場慣れ」しない現場感覚の弱い人間のみでなく、よい意味で「世慣れた」「賢い」人もいる。また過去の史料は現代の中に存在するから、その限りでの社会に対処することはもとより必要であり、「現場を踏む」ことは大事である。
しかし、歴史学者が踏む現場は、現在ではなく、やはり過去であり、過去に関するスぺシャリストなのである。歴史家は、過去から現世に浮き上がるとき、見当識の揺らぎを感じる。そして、歴史学者は、哲学者のように、思想者としてゼネラリストであることは本来的にきわめて困難である。一般に、そのようなゼネラリストしての欲求と嗜癖をできるかぎりさけるところで歴史学者は仕事をしているからである。歴史学者は、ゼネラリストに必要な弁証とレトリクをむしろ拒否するところで学問をするのである。歴史学は対話の学問ではなく、独語の学問である。もちろん、「戦後歴史学」の担い手たちのようなエリート集団はいたが、一般には(少なくとも私は)頭脳の瞬発力はそんなに強くない。マラソンタイプである。それ故に、歴史学者がゼネラリストとなるのは、実際にはきわめて茫漠とした感性のレヴェルに限られるように思う。すくなくともそこがベースとなるのだと思う。
以上、「歴史学を何のためにやるのか」「歴史学は政治学・法学・経済学をつねに意識していなければならない」「歴史学は実践の学ではなく、頭脳労働の学問である」という三つの問題は、歴史学者の人生に様々な色合いをもたらす。これは一般には、なかなか人間としては稔りの少ない学問ではないかと、私は思う。しかし、もちろん、歴史学者の中には、そういう中で逆に勁いバランス感覚をやしなう人もいる。一昔前までのヨーロッパの政治家には歴史学の専攻者が多いというのも有名な話である。そういう稔りの多い人も現実に存在し、存在する以上、これはあまりに個人的な感じ方で、一般論にはなりえない憂鬱な傾向論かもしれないが、私はそう感じている。
ともかくも、歴史学というのは、細かな細かな知的労働であり、WorkであるまえにLabourの部分が多いのである。そういえば、政治学・法学・経済学の研究者は我々の仕事もLabourであるというであろうし、私のように編纂を業としているのは一部の歴史学者に過ぎないという意見もあるだろう。しかし、外在的・偶然的な事情で(多くの場合、無秩序に残った)史料からの事実復元を、実際上、アーカイヴズが存在しない日本社会で営む歴史学者には、上記の事実は多かれ少なかれ当てはまるのではないかと思う。
そして、これらすべての問題の上に、今ふれたアーカイヴズの不在をふくめ、モダン日本、現代日本の歴史離れ、歴史的伝統の無視という固有の病理がはたらくのである。こういう中できちんと「悟る」にはまだまだ修行が足りないわい、身仕舞いが悪いというのが、帰京の際の感想。今、小田原、新幹線の帰京時間は懺法の場にちょうどよい。











