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2012年1月13日 (金)

元年という表記を採用しない理由

 新年になったが、昨年大晦日から今年元旦にかけての初詣の写真を載せるのをわすれた。自宅の近くの作草部神社。お酒とお汁粉をいただく。
120101_003846  ここ6・7年であろうか。初詣に近くの神社に行く。子供が小さかったころ町内の子供会の関係があったころは何度か行った記憶があるが、中年の間はまったくであった。ただオランダから留学生を受け入れていたとき、彼が行きたいということで、作草部神社に初詣に行き、さらに靖国神社にも連れて行ってから行くようになった。
 作草部神社の夜神楽はよいものである。お神楽を外からみているだけでいろいろなことを考えるのは昨年の年頭のブログでも述べた通り。お神楽を聞いていると、そのうち、日本の音楽と学芸というものについての加藤周一の図式を点検してみたいものだという形で頭が自動書記をはじめる。
 ところで、私は歴史史料の年代を述べることが必要な場合、最初の投稿論文から、「貞観1年」などとして、「元年」という言葉を使わないようにしてきた。その投稿の時に(25歳?)、審査でこれは史料通り「元年」とすべきだという指摘をうけたが、応じなかった。つまり、「元年」という用語は、元号イデオロギーの一つで、それに歴史家は染められてはならないというのが一貫した考え方。佐藤進一先生が『花園天皇宸記』や『御記』という呼称を拒否されるという有名な話と同じ考え方というのはおおけないが、元年というのは単なる数詞ではなく、元号の変更にともなう祝儀を表現するイデオロギーが入っている。
 自分および家族や友人たちの間で、元旦を元旦というのは私的な祝儀の表現であって、たとえば今年、謹賀新年という気持ちになるかどうかは別として、私的な祝儀は祝儀としてありうる。しかし、学術の世界に、特定のイデオギーをあたかもイデオロギーではないかのような顔をして持ちこむのは世慣れぬ非常識というものである。もちろん、過去の実在として元号イデオロギーは存在したわけだから、その意味で「元年」を使用することはある意味で自由であるが、あまりに無自覚のような気持ちがする場合もあるので、自戒のために依然として「元年」は使用しないという風習を維持している。歴史史料の引用において年号を使用するのは史料検索の便宜からしてやむをえない。より一般的にいえば、過去に関わっている以上、過去のイデオロギーに知らぬ間に染まっていき、out of dateになっていくのはある種の必然で、そのために常識的な歴史学者は一般に保守化していく訳であるが、しかし、そうはいっても研究者としての世俗への超然さはどうしても必要なものである。
 一般に歴史学者の傾向としては、年を取ると、「過激化」していくタイプがある。歴史家というのはとくに執拗な、しつこい人種であるので、一歩間違うと、執拗な繰り返しのループの中に入っていく。それが学者一般の心理としてのよい意味での「純粋化」=超然化と、下手に化学反応をすると「過激化」ということになる。これは自戒の意味でいっている訳ではないが、それよりはむしろ「保守化」したい、あるいは「保守過激」がよいというのが、私の感覚。もちろん、もっとも格好のよかった「過激化」は網野さんである。あれは人柄が大きく、実力もあったから、シャイにもみえて格好がよかった。
 昨日は、ある学会の「中年部会」の仲間二人と実務相談もあって、昼の食事という珍しい機会があって、「過激化」現象の話となった。お前はすでに老人性過激症であるというご託宣もえたが、我々のような「戦後歴史学」の文化財的立場になってしまうと、友人たちに暴言を聞いてもらえることほど楽しいことはない。
 ついでにもう一つ。「昔はよかった」という言葉の効用について。
 私も定年が近いので「昔はこうであった」という種類の発言をすることが多い。昨日も別の場で、その種の発言をして、そこには「過去」に対する若干の美化と現在の立場から都合のよいフィクションを(半ば無意識に)入れているのを感じて苦笑いである。
 しかし、世の中において、理想が過去の美化という形をとるのは、もっとも素朴な人間心理の動きである。理想を理想として語り、あるいは理論を理論として構想することは、これは真の意味では必要なことでもあるが、同時に危険なことである。それに対して過去と経験にかこつけてあるべき姿を語るというのはレトリックとしてもっとも安易ではあるが、普通は大きな害はないものである。これは保守主義のもってもよい側面であり、保守主義の中にあるもっとも納得的な歴史意識であると思う。そういう意味での「昔はよかった」という言説は大事にしなければならないし、大事にしてほしいと思う(これは老人を大事にせよと要求するのと同じか)。しかし、これはレトリックであって、事実調査にもとづく過去分析ではないから、それにそのまま依拠して現実を進めることはできない。そこで焦ると老人性過激症と五十歩百歩ということになるので、これも自戒しようと思う。
 (なお、念のため追記。上記の保守主義と政治的な復古主義は違っており、元号イデオロギーの本体は、それに関係する代替りイデオロギー、代替り徳政と新制のイデオロギーであることは歴史専攻の方はご存じの通り。丸山真男のいう「維新の論理」(復古的革新の論理)である。これは保守主義ではないというのが私見)。

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