院という言葉と「院政」
いま帰りの総武線。今日は歴史教育の方との相談会。
話題となったことで考えさせられたのは多い。結局、教材に必要な個別具体性と一般性の関係をどう調整できるかという話。個別具体性の重視タイプがほしいという趣旨は了解。しかし、それはなかなかむずかしい。
ただ、ここでは「女院」という言葉を教室で教えるかどうかについてメモを残しておく。王権の中での女性の位置については服藤早苗氏によって多くのことが明らかになっていて、それは何らかの形で教育でも伝えた方がよいと思う。その意味で女院という言葉を実際に教えるかどうかはべつにして、王妃の位置を歴史知識の中に位置づけてあるというのは必要ではないかというのが私見。教育の側からは、「院」というと、子供たちはもっぱら「院政」の「院」という言葉を思い出すので、なかなか使いにくいという意見があった。
そのやりとりで、「院政」という言葉の「強さ」のようなものを思い知った。もちろん、「院政」という言葉は便利な言葉であって、「院権力」というべきものが存在する以上、使うことは必要である。王家の「治天の君」ー「天皇」という体制は、他に一言で表現できるよい言葉は(現在考え及ぶ限りでは)ないように思う。
しかし、新井白石的な「院政」とは「降り居」の帝が政治をとる「不正常」「非本来的」な王権の姿であるという考え方がある。これは、一種のイデオロギー、名分論に過ぎないが、ところが、院政という用語の、このような意味は深く浸透して、今では「院政」というのは影の実力者による政治という一般用語として使われる。歴史家の立場からいうと、こういう一知半解の歴史用語の流用は本当に困ったことだと思う。ここでは歴史は、ようするに「それらしい言葉」を提供する媒体でしかないということになっている。強くいえば、そういう「隠れ実力者」という意味で「院政」という言葉が使われるたびに歴史の真実が曖昧になる。これは歴史文化を殺すためのもっともよい方法であろう。誰がこういう仕方で「院政」という言葉を使いだしたのか。名分論的史家の評論ではじまったのであろうか。それが同じ日本語を使用する以上、歴史家の心理まで左右することがある。迷惑な話である。
「院政」を行う「院」は決して裏から問題を扱うなどということはない。「院」こそが正面権力なのである。それ故に、この時期の荘園の基本典型である「院領荘園」は「王家領荘園」ともいうことができるので、荘園制を教える場合には、この時期の荘園の中枢が「院領荘園=王家領荘園」であることを伝えるのは根本的に重要ということになる。
そもそも「院」の語義が問題である。「院」とはそれ自体としては「区画によって囲まれた建物」という意味である。私は、この語義は少なくとも教えてもよいのではないかと思う。とくに「女院」という言葉は教えてもいいのではないかと思う。前近代では、普通、歴史上の天皇のこと自身を「院」と呼称した。院政をとらなくても、たとえば近衛院であり、二条院である。そして王妃身分が引退すれば「女院」身分となる。「院」とは、ここでは特定の格式を表現する建物の呼称なのであって、「院家建築」などという言葉も存在する。だから「院領荘園」などという場合の「院」は、女院領の「院」もふくめられているのだと思う。「平等院」「蓮華王院」などの言葉も想起してほしい。
いま現代語でもっとも多い「院」は「大学院」の「院」、「参議院・衆議院」の「院」であろうか。これらの「院」という漢字を、その本来の語義通りにしっているというのが教養というものではないのだろうか。「院」の語義を知らずに、これらの言葉を使っているというのは、漢字がただの記号となっていることを意味する。カタカナ言葉の氾濫と同じことだと思う。そういう日本語のあり方は、日本語を根無し草にする。歴史学の仕事や歴史教育の仕事には、こういう言葉の語義を歴史的文脈にそくして確認し、リテラシー、文字的教養を養っていくことも含まれると思う。遠山茂樹氏がいう基礎知識というのは、そういう視野で考えられるべきことと思う。
歴史学の教育と日本文学・日本語学の教育のカリキュラム的な関係を、考えていく場合、こういう言葉についての教養や、感覚を伝統文化にそくして養っていく仕事を相互に位置づけておくべきではないかと思う。またそういう視野で歴史用語を考えていくということ抜きには、歴史学の概念論は無意味であろう。もちろん、その場合、ただ「伝統」という名で、事実も名分論イデオロギーもなにもかもゴッチャ混ぜにして、「護持」するのではなく、必要な部分を注意して組み替えていくこともふくまれることはいうまでもない。
そういう意味で、歴史学の教育の場所で、漢字の語義にさかのぼって説明すること、「院政」の「院」というのは本当は、「建物」の意味なので、別に「裏の実力者」という意味ではない。院政をとる院は、裏の実力者ではなく、王権の主体・権力そのものであるということを説明するというのは意味があることのように思う。
こういう細部への配慮は面倒くさいものかもしれないが、それを一つ一つ、研究者・教育者の間で共有していくという、布を編んでいくような仕事が必要なのだと思う。
なお、いま、いくつかの教科書をみてみたら、「上皇やその住まいは院と呼ばれたので、この政治を院政という」とか「その住むところを院とよびました」などの注記もある。ただ、教師は、この注を利用して「院政=隠れ実力者」という図式を批判しておくことが必要と思う。











