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2012年1月17日 (火)

リルケ、ロマン・ロラン、そして宿敵ハイデカー

 今日16日は京都出張。いま、新幹線の中。スーツの上着をぬいで、先日奥さまが買ってきてくれたカーディガンに着替えたところ。
 戦争直後に生まれた世代。今、60前後の世代で、よく読まれた小説の一つはおそらくロマン・ロラン。そして詩人の一人はおそらくリルケ。私たちの世代で両方を読んだ人は、まったく違う小説家と詩人であると読んでいたと思う。もう新しい文学を読む元気はないので、今でもときどき読む。
 この前、『マルテの手記』と『ジャン・クリストフ』の相互で文章と内容が非常によく似ているところがあったような気がした。『ジャン・クリストフ』は「広場の市」の場面だったと思う。両方ともパリのアパートに孤独にいて隣室をどう感じているかという話であった。
 リルケとロマン・ロランはほとんど何もかも異なっている。しかし、ヨーロッパの都市世界の中で生まれた「孤独」というものを見つめる日常的な目は、意外と共通性があったのかもしれない。もちろん、『ジャン・クリストフ』のもう一人の主人公、オリヴィエ・ジャナンより、リルケが圧倒的に強い人間であることは明らか。リルケはドイツ生まれのジャナンのようにみえるが、リルケの散文は強い。何年か前、リルケの年上の愛人、ルー・アンドレアス・サロメの伝記を読んだ時の驚きを思い出す。
 19世紀世紀末から20世紀のヨーロッパの都市は、開放された「ブルジョア的な富」というものが最初に文化を世俗化し、席巻し、作り替えた時期。しかし、その中から生まれたものも多い。その中の「広場の市」、つまり文化をも商品化し、享楽の一部にはめ込んでいく中での「孤独」というものをロマン・ロランもリルケもみていたのだと思う。ここでともかくもフランス革命からはじまった時期が終わった。それ故に、ヨーロッパ史家には、この時代以降を現代とする人が多い。私は世界史全体の段階論からいくと、そうは考えないが、しかし、逆にこのヨーロッパ世紀末が世界史の未来へ向けては決定的な位置にあることも明らかであると思う。それはより深刻な「現在」の位置に関わることである。
 もちろん、世紀末は、その時代の中でも深刻な問題を惹起した。つまり、その都市の爛熟と格差の中からすぐに何が生まれてきたかは、歴史家ならば、誰でも知っていること。ドイツの暗い森である。そしてロシア社会主義は、ヨーロッパ文明の展開に対して何の力ももちえなかった。ヨーロッパとトロッキーの関係は悲喜劇に終わった。ロシア社会主義はロシアのヨーロッパ化、あるいはヨーロッパの東へのジャコバニズムの展開、ジャコバニズムの自己中毒という要素をもっていたという意味でも辺境文化であって、ヨーロッパへの影響を担保するようなことはできなかったのである。ロシア社会主義がロシアのヨーロッパへのコンプレクスのなせる業であったとすれば、アメリカはヨーロッパの夢と欲望の植民地への輸出であった。ロシアのヨーロッパコンプレクスは「革命の輸出」を結果したが、アメリカのヨーロッパコンプレクスはヨーロッパの夢のブルジョア世俗化であったということになろうか。
 18/19世紀ヨーロッパが作りだしたロシアとアメリカが、その建前としての理想を世俗化し、膨大な迷惑を世界中にかけてきたのが、20世紀という時代である。そして片方は醜悪な「党官僚」なるものの姿を世界にさらし、もう片方はお馬鹿のブッシュで終わった。こうして、原民喜のいう「ぱっとはぎ取ってしまったあとの世界」、広島に現出した核時代が、人間の肌をはぎ取り、核兵器が生体の核を破壊する時代をもたらす一方で、おどろおどろしい世俗化と国家理性の空洞化という時代がきた。「国家とはそれ自体として軽く扱われてはならないものなのです」というのは、たしかマルクスのルーゲへの手紙の一節であるが、国家中枢の骨粗鬆症というのは、以前は王権と貴族の享楽の末に生まれた事態だが、いまはシステムがそれを作りだしている。
 国家が、これだけ軽くて良いわけはないというのが、私などの考え方である。こういうと、保立は保守主義であるばかりか国家主義であったかということになるが、少なくとも、現在の国家の中枢部の個人責任のなさという意味では、そして中枢部個人の影響力のなさ、そして軽さという意味では前近代史をやっている立場からすると信じられない状態である。前近代身分社会は、ともかくも最後の結果は個人に懸かってくるからである。だからそこに(実態は見るにたえないとしても)劇もあるのだが、現代は最初から三文芝居の時代である。丸山真男のいう無責任の構造というのは、超歴史的な議論で歴史家としては容易に賛同することができない側面をもっているが、集団的な無能力と無見識の現象形態としてはつねにそれが登場することは事実であって、これは現在では、むしろ世界的な問題となっている。
 ともかくも、21世紀になっても、19世紀末期のヨーロッパの知的爆発と資本主義の矛盾の結合の中で、現在は存在している。こういう事態の中で、現代を現代としてとらえる新しい思潮がどこかで生まれているのであろうが、私などのout of dateの知識水準ではもう一度ヨーロッパ世紀末の思想というものを考えること以外には手はない。
 数学のヒルベルト、哲学のハイデカー、経済学のパヴェルクの世界である。これらは一種の共通した側面をもった哲学として括ることができるはずのもので、ようするにマッハである。マッハの議論がイギリス的なバークリの主観的観念論の焼き直しにすぎないというのは、堀田善衛のいう「男らしいレニンさん」の概括批判であるが、しかし、これらの哲学的議論が全体として世紀末に組織体としての様子を明瞭にしてきたアカデミーの内部議論を反映していたものであることは看過できない。それは、その方法的な厳密化の要求をうけたものである側面、そしてその範囲での有効性をもっていたと思う。私はフッサールは読んでないが、ウィトゲンシュタインには明瞭にそういう有効性があると思う。
 ともかくも、その環境の中で自然科学のニュートン以来の再突破、相対性理論と量子力学が誕生し、コンピュータと核技術の中枢が形成されて、「現在」はその知的爆発の中にとらわれた社会なのである。この爆発、ビックバンによって世界が広がるスピードに追いつくためには、無人格的な致富欲と意識の呪縛の世界を表面においた怪物的な経済社会システム、情報資本主義(電信電話からコンピュータへ)によるほかなかったというのが、20世紀の歴史であって、しかもこれだけ惨酷な時代は、人類史上、存在しなかった。人間による人間の大量殺害と環境破壊。
 21世紀は、ヨーロッパの知的爆発の影響を世界的に最終処理する課題をもつ世紀である。学術の世界の側からいえば、そこからはじまった自然科学のビッグバンに社会科学の拡大が追いつけず、社会科学の拡大に哲学が追いつけず、歴史学は所々で道草という状況である。これはスティグリッツがいうグローバル化の波状現象、つまり金融のグローバル化に経済のグローバル化が追いついて行けず、経済のグローバル化に政治的なガバナンスのグローバル化が追いついて行けないという状況と、実際上、二重化した、その学術世界への反映なのかもしれない。
 こういう状況の中で、学術世界にどこから変化がおきるかといえば、一般には哲学からのはずである。ヨーロッパの知的爆発が人類史上に巨大な意味をもった最初の原点は、ギリシャ自然哲学にある。もちろん、それが八世紀ヨーロッパに復活したのは、まったくヨーロッパ外部の事情によるものであって、その意味では同じヨーロッパが続いている訳ではないが、しかし、そこにはやはり連続性もあるのである。ヨーロッパ中心主義といわれようと何といわれようと、ギリシャの画期性は否定できない。同時代の中国儒教、インド宗教の勃興の中で、ギリシャはもっとも辺境であり、それが有利に働いた。いわゆる三月弧地帯の帝国の周縁文化である。それは完成系を前提にしてその論理的操作によって先へ進もうとする、もっともよい意味での物真似文化であった。そういう限定をつけるとしても、またヨーロッパ独走ではなかったことは宮崎市定などを読めば分かるが、しかしやはりギリシャ文化、そしてそれを受けた近世ヨーロッパ文化の画期性ということは否定できないと、私は思う。
 問題は、二一世紀に、ヨーロッパの知的爆発の最終処理をおこなわなければならないということは、ヨーロッパの中心性が、この世紀に最終的におわることを意味するだろうことである。このグローバリズムの中で、再度、人類史において、ヨーロッパというような地域性が意味をもつ時代が来るとは思えない。その意味で、現在は、ヨーロッパ中心が本当の意味で終わる、終わらせなければならないという時代である。これがいまだにヨーロッパコンプレクスにとらわれたまま、迷惑をかけ放題した後に、普通の国家に利己主義的に縮小しているアメリカには処理できない課題であることはいうまでもない。
 19世紀ヨーロッパの知的爆発の原点は、アカデミズムの生理にあった。アカデミズムという知的機構の形成の中での人間の知的能力の形成。これは誇りと名誉欲と、常識と非常識と、知的活動が動物としての人間にもたらす異常活動性を石臼の上で砕き出す組織である。問題は、この組織の自己組織原則が学者の自己位置づけ、観測者としての自己位置づけの論理によって形成されたことで、ようするにその種の人間の自己像の反映としての観照哲学である。それが経験批判論あるいは現象学という形式をとったのは、現象記述の厳密化が学者の職能的役割であるからであって、そこにあるのは「学者のための哲学」であった。現象学が二〇世紀の哲学界を通じて首座をしめたというのは、世界哲学史の中では奇妙なことである。学者用の哲学で、人間としての哲学の代用品にしてくれと二〇世紀哲学はいいつづけてきたのである。知的爆発なるものの原点の俗物性とみじめさは、爆発の内容の恐るべき豊富さと奇妙な対照をなす。
 学者の安心立命のための観照哲学と呪文。これを代表するのがハイデカー哲学である。ダーザイン、つまりそこにあるという「物」の世界に「まずは」安住できる立場で、それを観照することから始めるというデカルト以前への退行がまず宣言される。そして、その「もの」の世界そのものを「現象」として、現象の膨大な網の目の中をさすらう研究者に、網の目は膨大だ、その網の目の詳細な追跡をするだけでも君の知的労働は意味はあるのだ。「存在論=オントロジー」と呪文をとなえればよいというのが、彼の提供した特効薬である。殺し文句は次。「研究の独自の進歩は、その結果を集録してそれを「ハンドブック」の中に収めることよりも、むしろそれぞれの事象のこのようにして増大した知識から、多くの場合、反作用的に促されたところの、それぞれの領域の根本構造への問いの中に存するのである(『存在と時間』上、三〇頁)。理屈と哲学の不得手な自然科学者を、こういう言葉でひっかける訳だ。いまでもコンプレクスの強い情報学研究者、あるいは諸学の王者としての自信のない情報学研究者は、「オントロジー」という言葉をハイデカーから借用する。
 重要なのは、この「もの」の世界をハイデカーが有用性という言葉で捉えることで、有用性についてのバカバカしい「経済原論」らしきものをやって、「世界内存在」についてのドイツ人(ドイツ語を使う人)にしかわからない素人哲学を展開することである。ドイツ的、というよりもドイツ語的な地方的難解さが、しかし、哲学の深淵さであるかのように受けとめられるのは、ドイツアカデミーの総合力、19世紀末期において多様な諸科学においてアカデミーを形成したドイツの総合力によるものであろう。
 前から確認したいと思っているのは、ハイデガーが、その経済議論のもとねたとした新カント派の経済学の範疇議論の内容と系譜である。ハイデカーが批判したとされるが、おそらく、その程度の低さに逆規定されているはずの新カント派、リッケルト、シェーラー、ロッツェなどの経済議論である。大塚久雄先生が価値論の論者として高く評価している左右田喜一郎氏の仕事も、新カント派をうけていたはずである。彼らとパヴェルクなどの効用価値説の関係は、実際上、きわめて深いのではないだろうか。リッケルト、シェーラーなどは三木清の最初の格闘相手である。三木清と新カント派の関係となれば、私などにとって古典的な問題なので、いつかつめてみたいものと考えてきた。
 ともかくもここら辺を読んでいると、ハイデガーの議論は、素人経済学の域を超えないものというのは明らかである。たとえば、ハイデガーの道具論は、有用性という用語がキーになっている。正確に引用しておくと「世界内存在とは、道具全体の道具的存在性にとって構成的な諸指示のうちに、非主題的に配視的に没入していうということに他ならない。配慮的な気遣いは、世界とのある親密性を根拠として、そのつどすでに存在している」という(16節76)。普通の言葉で言い換えると、道具は、その使用方法を自身で指示する力をもっており、それによって、使用者は、一定の気配りをすれば、その道具を使えるものだということになろうか。しかし、こういう議論は何か意味があるのだろうか。滑稽な感じがしたのは、ハイデガーによる「近頃の自動車に取り付けられている回転式の赤い矢」についての説明である(17節202)。この方向指示器について、いろいろ言った後で、「指示は、何らかの有用性が、そのために用いられる用途性の存在的な具体化であって、ある道具を、この用途性へと規定するのである」と説明する。「方向指示という機能は、安全という効用のための手段に具体化されて、ある道具を方向指示器にする」という訳だ。こういうのは実際の経済学的な分析ではなくて、言葉の遊びである。
 ハイデカーにとっては、物の有用性によって結びつけられた親密な配視的世界と、道具が問題なのである。これはドイツ小市民の夢、ドイツ職人世界のたわごとだというのが、私などの感じ方である。
 私はハイデカーの有用性についての議論を読んでいると若い頃に読んだサムエルソンの『経済学』の冒頭の無概念な叙述を思いだす。実際上、ようするにハイデカーの議論は、効用価値学説に密接な関係があったのであって、ハイデカーの謎は経済学から解くべき点が多いのである。ベーム・バベルクとハイデカーという問題領域である。使用価値あるいは効用価値の世界は現象であって、価値実態や労働の問題が入ってこない。これは効用価値の世界で経済を解こうとするということであるのは明瞭なことだと考えている。経済学者にハイデカー批判をしてほしいものだ。(なお、私は使用価値という訳語は、use-valueの訳語としては適当でないと考えており、日本語としては川島武宜のいう利用価値あるいは効用価値の方がよいと考えている。効用価値説それ自体には、重要な実用性があるというのが大塚先生の御意見)。
 考えてみると、ハイデカーは歴史学の宿敵である。下手な哲学者は歴史哲学をやることによって、自己の哲学の玩具性を表現してしまうが、このような玩具にえらそうな顔をさせてきたのが20世紀の学術世界であったというのはなんと奇妙なことか。

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