3,11から1年、「生存」が脅かされる仮設住民たち
昨日、昼間、「思想と信条の自由を守る2.11集会」があり、「戦後成長と福島」というテーマで開沼博氏(東京大学大学院学際情報学府)の講演があった。開沼氏は『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』で第65回毎日出版文化賞を受賞した人。何しろ若い。社会学が元気。
何のための学問か、という、今歴史学がもっとも答えにくい状況になっている問いを問題にする前に現実に飛び込んでいる。地域史は、もちろん、現代史家がもっとも重視してきた論点だが、具体的で、系統的である。福島を第二次世界大戦前から操作してきた人々、吉田、白州、堤、そして木川田などの系列が示される。それらの人々と、それにつらなる人々が招いた構造的な災害であることがよくわかる。そして、何よりも問題なのは、原発反対の人は「変わり者」にしてしまう社会構造。
開沼氏が著書の元となった論文を執筆したのは、3,11前。そのフィールドワークと聞き取りの様子を具体的にきいていると迫力である。
大学の研究者は、ほとんど、自分たちのことを特権をもった集団と考えなくなった。私たちの世代のいわゆる「自己否定」というのに戻れというわけではないが、しかし、特権的構造への敏感さというのは、つねに問題の出発点だろう。
考え方は、同級生や親戚と比べれば別に特権的な地位にいない、給料は低いという訳で、一種の世俗化である。もちろん、こうしてアカデミズムの権威がただの世俗的な疑似労働になってしまったというのは、悪いことばかりではないのかも知れない。しかし、そういう仕事でも、構造的に様々な問題を隠蔽したり、支えたりする構造の中にいることは明らかな事実。それを認識していなくては、そして自分たちの仕事を内省し、仕事を通じて、社会に貢献することなくしては、自分の仕事も守れないはずである。
私は自分の仕事の社会的意義を語ろうとする歴史学者が、これだけ少なくなった時代・社会というのは珍しいと思う。
ここ20年、歴史学にとっては、そういう構造的なものの見方が消えていく時代であったが、それを取り戻した上で、さて、どういう方法論が構築できるのかが問われている。というよりも、現代社会分析と深いところで通底しうる方法論がなければ、そして歴史学の伝統の再発見がなければ、そもそもそれを取り戻せないだろう。それはなかなかむずかしいことだ。しかし、職業であるのだから、結局のところそこらへんは厳格にとわれることになる。「原子力ムラ」は対岸の火事ではない。
ヒューマンライツ・ナウからメルマガで声明が届いた。以下に紹介する。復興予算を使えてないというのが今日の朝日のトップ。何ということか。
読者の皆様
東日本大震災から約一年がたとうとしている今、被災地
では何がおきているのか。
ヒューマンライツ・ナウは、2月18日、19日の気仙沼
事実調査を踏まえ、以下の声明を発表いたします。
この深刻な事態については、詳細な報告書を近々公表
予定ですが、一日も早い行政、関係者の対応を求める
ため、緊急に声明を公表することにいたしました。
是非普及いただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。
ヒューマンライツ・ナウ事務局長 伊藤和子
東日本大震災からまもなく1年、今も「生存」が脅かされる仮設住民たち
1 東日本大震災からまもなく1年が経過しようとしている。
各自治体が復興計画を策定する陰で、支援が遅れ、存在すら十分に知られていない孤立した仮設住宅があり、被災者は未だに「生存」が脅かされている。そして、こうした事態は冬の寒さとともに深刻さを増している。
2 国際人権NGOヒューマンライツ・ナウは、2012年2月18日、19日の二日間にわたり、宮城県気仙沼市の仮設住宅、なかでも地元住民が「特に深刻だ」と訴える仮設住宅を訪問した。
ヒューマンライツ・ナウ調査チームが訪れた「赤岩牧沢テニスコート仮設住宅」は、傾斜の厳しい山間に位置し、車がないと市街地への移動は困難である。
しかし、最寄りのバス停までは1kmほどで、街灯も十分に設置されていない。住民は「夜は真っ暗だし、周辺には熊、鹿、まむしがいて外出するのが本当に怖い」と、実情を訴える。
この仮設住宅に入っている56世帯中、36世帯が独居老人というが、行政からは食糧支援や医師・看護師の訪問支援は全くない。
集会場に顔を出す住民は80名中10名くらいに過ぎないが、引きこもった住民への心のケアや、孤独死対策も行政はほとんど講じていない。
車等の移動手段のない高齢者・障がい者への移動支援も
全くなく、こうした人々は、通院のために有料・高額の介護タクシーを利用せざるを得ず、所持金を使い果たしていく状況という。
この仮設住宅は山間に位置するため、周辺地域に比べて気温は5度くらい低い。ところが、暖房器具が入ったのは、昨年12月20日であったという。
仮設住宅の水道設備の凍結防止が十分なされないまま、水道管は長らく凍結していた。この仮設住宅に限らず、気仙沼市では昨年10月末頃から水道管が凍結して使えなくなってしまうことが多いという。
こうした事態に見かねた、地元や県外からの個人ボランティアの連日・無償の活動により食糧・物資供給等がなされ、人々の生存がなんとか支えられている状況であるが、今後どこまでそうした支援が続くのか懸念される。
独居老人の孤独死等、あってはならない事態をどうやって
防ぐことができるのであろうか。
3 気仙沼市の西八幡前仮設住宅、小原木小学校住宅、旧月立小学校住宅の合計3箇所がハザードマップ上、土砂災害の危険地域と指定された場所に建設されている。
西八幡前仮設住宅住民によれば、入居から2か月ほど経過した頃に市の職員が訪れ、ハザードマップであることを告知した文書を手渡され、その場面を写真撮影され、市職員はそのまま説明せずに帰ったが、その後によく読んで初めてそのような危険地帯の仮設住宅であるとわかり衝撃を受けたという。
危険に脅えながら暮らしている住民は、「津波の被害を受けたのに今度は山津波の危険と隣り合わせ」と嘆いている。
山の斜面に接した同仮設住宅は日当たりが悪く、「土台はべニアにタイル張りで、畳も敷かれずカーペットを敷いているが、布団で寝て起きると布団が著しく濡れている」「結露やカビも生じやすい。扉が凍って外出から帰ってきても扉があかないこともある」と住民は訴える。
工事の手抜きのために部屋に隙間があいていて、家の中から外が見える状態で、市民団体が見かねて応急措置を講じたという。
水道管が破裂して流れた水で、仮設住宅の前の道路面は長らく凍結していた。この仮設住宅にも食糧支援や医師・看護師の訪問支援もなく、仮設住宅のかくも劣悪な状況にあるにも関わらず、行政による対応はなされていない。
政府は、仮設住宅に対する寒さ対策として、畳の設置、断熱材の追加、水道管等の凍結防止(水抜き、断熱材追加、凍結防止ヒーター整備)を災害救助法上の国家補助の対象となるとするが(厚生労働社会・援護局 社援総発0928第1号等)、気仙沼市ではこうした寒さ対策は実現しないまま水道管凍結・破裂等の事態を迎え、未だに対策は不十分である。
4 こうした過酷な環境のもと、住民は、義捐金・生活再建支援金等の給付金をしだいに使い果たしつつある。
ところが、被災者が、津波で流され、建築制限がかけられたまま利用できる見通しもない土地を有していたり、仮設住宅からの移動手段を確保するために自動車を保有していること等を理由として、生活保護の道が閉ざされることが懸念される。ヒューマンライツ・ナウが、気仙沼市に生問い合わせたところ、「津波で流された土地に建築制限があるとしても、建物建築をせずとも土地の有効利用ができる以上、生活保護は受けることは難しい」との回答であった。
5 被災地では支援格差が深刻化している。
被災地のなかには、行政の対応やボランティア組織の対応により、比較的支援が届いている仮設住宅も存在する。
同じ宮城県でも石巻市では気仙沼では一切認められていない畳が敷かれており、移動が困難な仮設住民への移動支援もきめ細かい。
しかし、その一方で、人の目の届きにくい仮設住宅においては、支援が届かず、生存の危機・新たな災害の危機に晒され、過酷な日々を生きる被災者がいる。
「赤岩牧沢テニスコート仮設住宅」「西八幡前仮設住宅」の住民はヒューマンライツ・ナウ調査チームに対し「ここは姥捨て山だ」と訴えたが、仮設住宅のあまりにも過酷な条件、そして行政の対応の欠如が、被災者にそのような感想を抱かせている。
声を挙げにくい立場に置かれた被災者にひたすら我慢と犠牲を強いたままでは、真の復興はありえない。
国、宮城県、気仙沼市はこうした住民放置の実態を速やかに調査し、憲法が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」が実現するよう、すみやかな対策を講じるべきである。
以上
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