著書

twitter

公開・ダウンロード可能論文

無料ブログはココログ

« 地震噴火55、茂木清夫『地震ーその本性をさぐる』 | トップページ | 3,11から1年、「生存」が脅かされる仮設住民たち »

2012年2月23日 (木)

折本に苦闘ーー和紙の雁皮・三椏・楮論に光明

 折本の編纂に手間取っていて、50字分くらいの原稿を確定するのに、一週間以上かかっていてピンチである。昨日やっとむずかしいところの処置が終わって1枚半を原稿化。ややほっとする。
 今日も作業が続くが、原稿用紙がなくなり、倉庫に取りに行くので事務の人に鍵をもらって入る。彼女がもうすぐ入稿なのに原稿用紙をとりに来たのを心配してくれる。事務には心配の懸け通しなので、原稿はもう前につくってあるのだが、文字の大きさ指定などのほか修正と確定が大変なのだと説明した。「奧が深いんですね」といわれて喜ぶ。
 さて、どう手間取っているかだが、和紙は相剥ぎ(あいへぎ)ということができる。つまり、うすい和紙を表面と裏面のあいだで裂いてしまうと、一枚の和紙(文書)が2枚になってしまう。前には、もっとうすく剥いだのではないかと思うが、墨の層の真ん中ではいでしまい、写真で見た感じでは同じ文書二通という極端な例もみた。
 この折本は、本当に痛んでいて、修復のために、この相剥ぎということをやって、表皮と裏皮の間に補強紙をいれて見事に修復してある。ところが、痛みすぎている。
文書表面の記載の裏側に裏書が書いてあるのだが、その位置が整合しない。細かく調べていくと矛盾がでてきてニッチもサッチもいかない。おそらく30年以上前の修復だろうか、実にうまい修補がしてあるだけに、修復のあとがみえず、整合をとり、復元をし、正しい順序で編纂をすることが逆に困難になっている。本当に困った。
 痛みのひどい場合は、中身を調べ、他の史料も調べないと問題を残すことがあるという見本のような史料で、苦闘を重ねた。古文書は、編纂をして、文字の理解を確定してから修復するという手順が最良というのが私の持論。それを再確認した。もちろん、コンサヴェーターの実力は、ここ10年でとみに上がっているから、現在では、ほとんど問題はないのだが、念のために念を入れ、しかも修復過程を完全に記録に残すことが必要だということで、職場の専門家とずっと議論をしてきた。これが私が和紙問題にかかわらざるをえなくなった理由。
 この折本もコンサヴェーターのT君によく見てもらい、相剥ぎであることを確認してもらい、専門家の目でみてもらっていた。今日、昨日の復元結果を点検してもらい、モザイクのようになっている状況についての私の解釈に賛成していただき、さらにその証拠もみつけてもらう。専門家の紙を見る目の速さ、そして同業者のやることへの判断力に感服。
 それが午後3時。そして、夕方おそくまで、ともかくも作業を進めていると、7時ころにもう一度連絡すると、まだいてきてくれた。その時、同時に、最近の和紙研究の報告をしてくれた。見事な方向がでている。この和紙研究という研究課題(仕事)も、手をつけながら中途になっていた仕事なので、彼が片をつけてくれるのに、本当に感謝感激雨霰。
 以上のようなことを書いても、編纂仕事や修復仕事をしていて和紙に興味のある人以外には分かりにくいだろうが、ともかく、T君から今日聞いたことで、この間、農学生命科学研究科の江前敏晴先生の教示の下に、この間、追究してきた研究手法の妥当なことが確認されたという感じである。
 つまり、和紙材料繊維には日本の平安時代以降では、楮・三椏・雁皮の三種類がある。その素材によって、紙の密度、表裏、繊維の並び方などの基礎的な点で、どういう相違があるかが、だいたいのところを確定しつつあるということである。内容はT君の仕事なので、ここではふれないが、まず、以下、簡単に抄紙について説明する。
 そもそも、右にふれた相剥ぎというようなことが和紙でできるのは、抄紙、つまり紙漉が、何回かにわけて和紙材料繊維の懸濁液を簀桁の上でふり、捨水するためである。これは一度でも紙漉をやったことのある人ならわかるが、一枚の和紙は、何層かの薄い繊維膜が重ねられたものなのである。
 この時、簀に当たっていた簀肌面と捨水が上にある捨水面との関係で和紙の表裏ができる。一般には簀肌面は最初の第一層目の捨水の際の斉一な水流による紙の繊維の流れによって繊維がよく上下に流れている。しかも、実際に和紙を漉いたことのある方ならわかるが、この簀肌面を上にして紙が紙床につまれていき、乾燥板に張る時は、そこから剥いで張っていくので、自然に簀肌面が乾燥板に貼り付けられることになり、それによって簀肌面はいよいよ紙の繊維が整っていく。これが和紙の表になるのである。
 こういう基礎的なところで、楮・三椏・雁皮がどう違い、どういう特徴があるかということが、紙表面繊維の反射光画像、それをフーリエ級数解析で分析した繊維配向姓、そして透過光画像などをくらべ、さらに密度・光沢度などを調べることではっきりしてしまうのである。繊維配向姓の分析、つまり江前先生の方法がキーになる。
 もちろん、むずかしいのは、これを前提にして、もっとも量が多く紙のできに違いの多い、楮和紙の内部分類なのだが、それも研究方針の大枠の有効性がきまれば、今後、どうにかなる目途がつきそうである。
 これは歴史学にとってはもっとも日常的な格闘相手である文書史料の史料批判の精緻化、そしてそれにもとづく歴史学のミクロ化という方向の技術的な基礎を提供するはずである。そして、それがいわゆる「真偽鑑定」の決定打であることもいうまでもない。編纂に際して、この文書の料紙が「真」であることを確認しつつ仕事をすることは新たな緊張感をあたえるということでもある。
 時間の関係があるので、気を許せないが、いま、総武線の返り。ともかくほっとしている。
 
 実は、これまで東大では本当の意味での文理融合はなかなかむずかしい状況であったように感じている。東大はなにしろ巨大な大学であって、その1960年代半ば以降における実態は、東京工科大学というに近く、また人文社会系も第二次世界大戦以前の伝統はやはり大きなものがあり、その残り物で自足できた。そういう中では、文理融合はなかなか進まない。自然系は忙しく、社会的視野を極限されてきた。人文系も自然系との関係を推し進める主体はなかった。文理融合は、むしろやはり先をみる京都大学そして、学内の人的資源を分野をこえて全力動員せざるをえない各地の大学が進んでいる。こういう状態は、大学の学術体制のあり方として好ましくないことはいうまでもない。歴史学の役割は大きいと思う。

« 地震噴火55、茂木清夫『地震ーその本性をさぐる』 | トップページ | 3,11から1年、「生存」が脅かされる仮設住民たち »

和紙研究」カテゴリの記事