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2012年3月12日 (月)

地震火山58石橋克彦『原発震災』

 3月11日は、半日かけて石橋克彦氏の『原発震災』を読んだ。せっかくいただきながら、余裕がないまま通読せずにいたが、今日、時間をとって全部読むことにして自転車で出た。花見川の自転車ルートにでる前の谷戸は春。はこべの花の写真をとったが、青がきれいにはでない。
120311_131024  この本のプロローグは「いまこそ地震付き原発との決別を」という題。そして本書の全体の構成と趣旨の説明がある。福島原発事故について、「もし、この事故並みか、それ以上の原発事故が再び起これば、日本という国は立ち行かなくなるだろう」とある。これが本書のキートーンである。そして、本書で同じように目立つ言葉は「起こる可能性のあることは、すぐにも起こる」という言葉とあわせると、本書のもつ問いが根源的という意味でラディカルであるということがよくわかる。
 プロローグは、「津波の前に地震動で重大事故が起こった可能性」についての詳細な分析としても重要なものである。東電の公表資料にもとずいて著者は、福島第一原発の揺れの加速度時刻歴波形のグラフを作成し、その地震動の強さと継続時間を算出し、それにもとづいて津波以前に原発の機器の重要部分が破壊されていたことを、ほとんど否定が困難な精度で示す。そして問題を津波の高さのみに帰そうという一部の曖昧な主張を退ける。
 著者は、現在、(政府の事故調査委員会、畑村委員長)(この部分あやまり、失礼しました)、国会事故調(黒川清委員長)
に参加されているから、この作業は、その委員としての職責にも関係するものであると思われるが、これによって、日本の原発のすべてが、事故を起こす可能性が論証されている。そもそも建設の安全基準が甘いという重大問題である。
 こういうものが自然科学者のラディカリズムなのだと思う。歴史家は、基本的にはリベラルで保守的な判断を日常意識としてはもたざるをえないというのが、私などの考え方である。そういう意味でのリベラリズムは歴史家にとっては大切なもので、リベラリズムと(史料を扱う上での)トリヴィアリズムなしに歴史家は職業を営むことはできない。もとより、歴史家にとっても根源主義という意味でのラディカリズムは必要なものである。そもそも「根=ラディックス、Radix」に入り込むのが歴史家の仕事である以上、それは当然のことである。しかし、歴史家にとって、リベラリズムとラディカリズムを現実に統一して仕事を進めることはむずかしい。歴史家にとっては理論と論理はそのためにあるのであるが、これに対して、自然科学は仕事それ自身が理論と論理なしには進まないのである。自然科学のラディカリズムは、その意味で本当に頼もしいものだと思う。
 本書の全体の紹介は、私の任ではないが、まず構成だけを紹介しておくと、第一章「福井志摩第一原発を地震・津波が襲った」、第二章「地震列島の原発震災」、第三章「科学と科学者の責任」、第四章「安全神話と危機管理」、第五章「自然の摂理に逆らわない文化」、エピローグ「浜岡原発震災で何が起こるか」となっている。
 もっとも考えさせられたのは、原発の「燃料」のゴミ処理問題に対する地震学者としての見解である。ようするに(少なくとも日本列島における)地層処分は無理、無責任以外の何物でもないという見解である。これを読んでいると、一体、それでは、この「核のゴミ」をどう処置したらよいのかということについて、自然系の学者、学界は公開で徹底議論をする義務があるということを強く思わせる。そもそも地球科学の学界と合意なしに地層処分が計画され、法律まで存在するというのは、原子力研究の乱暴な独走であって、第二次大戦後の自然科学界の最大のスキャンダルである。それなしに企画されて政策的に遂行された「もんじゅ」計画の賛同者・責任者は、文殊菩薩の前でどう説明するのであろうか。これは学者・学界として他人事ではない。一時、大学では「説明可能性、アカウンタビィリティ」ということがいわれたが、おそらく、これは最大の説明責任であろう。
 私も直接の関係者から、この地層処分の話をきいたことがあるが、座談の場であったこともあって、十分に問うことをしなかった記憶がある。核のゴミ処理をふくめれば、原発はとても経済的に成立する事業ではないというのはよく知られていたことではあるが、これが「科学と科学者の責任」にかかわる最大の問題であるということを大学は明瞭にしなければならないと思う。第二次大戦後、「科学者の社会的責任」という議論が、湯川・坂田などの核物理学グループを中心にして議論になったことはよく知られているが、そのような議論が自然系から出てきた理由を実感させられた。
 歴史地震の研究を始めたものの立場から引き込まれたのは、「『駿河湾地震説』小史」である。人文社会系のメンバーにとっては、ここを起点にして地震学の研究史を辿るのがわかりやすいと思う。ちょうど、その時期が、現代地震学の二つの基礎理論、つまり著者のいうところの「現代地震学の二本柱(地震がどのように起こるかを示す断層模型論と、地震がなぜ起こるかを理解するプレートテクトニクス)の誕生・普及」(38頁)の時期であったことが何よりも興味深い。学史といわゆる「予知」問題、学問と社会的な責任が重なり合って問題になる状況はなかなかきびしいものがある。
 なお、これとの関係で、この時期こそが「原発が新・増設されはじめた60年代後半から70年代前半」にあたることは歴史的な皮肉あるいは悲劇であるというのが著者の原点であることがよくわかる。この時期、地震学からの原発立地についての議論を組み立てる学問条件が十分でなく、しかもこの時期までは、地震活動の相対的な平穏期であったことが、原発の異常な立地の条件になっているというのが著者の一貫した観測。

 その他、いろいろなことを考えさせられた。歴史地震論にかかわる部分は重要だが、省略する。

 なお、私個人として興味を引かれたことがある。私は、原発の安全「神話」という用語は、神話の思想的な意味を過剰に低くみるものだという意見である。著者は、同じことを「空疎な呪文」というように表現しているが、これが正しいと思う。たしかに原発問題の根っこにあるのは、「自由なエネルギーに対する」呪文、呪物性、フェティシズムである。それが商品のフェティシズム全体を支えるものになっているというのが、日本の資本主義的消費風俗の根っこにあるということだと思う。水は天下のまわりものが、電気に変わったという訳だ。

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