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2012年3月28日 (水)

地震火山60 地震学と歴史学ー茂木清人『地震ーその本性をさぐる』(

地震火山60 地震学と歴史学
 茂木清人『地震ーその本性をさぐる』(東京大学出版会)を読み終わる。一章のプロローグが地震の高周波の直接計測の実際の経験を述べたもの。伊豆の群発地震を船の上から実際に計測するという臨場感にあふれた叙述である。そういうことをやった最初の経験らしい。第二章が地震発生機構論序説で、ようするに茂木先生は、もっぱら剛体や岩の破砕実験から地震の研究をはじめたらしい。第三章が「地震の規模別頻度分析」で、ここは私にはよくわからないが、やはり剛体破砕の物理実験と密接に関係する話しで、地震の規模別分布のあり方を表示する指数によって地殻の物理構造がわかるという話らしい。第四章が「地震群」で、空間的・時間的に集中する地震群は、(イ)本震が急に始まる本震ー余震型、(ロ)前震ー本震ー余震型、(ハ)群発地震型に分かれ、これもそれによって地震断層が走った剛体の均一性や不均一性を表現するという。
 そして第五章が「前震」、第六章が「余震」、第七章が「地震空白域」、第八章が「巨大地震のくりかえし」、第九章が「地震活動の移動」、第十章が「地震活動期」となる。ここら辺になると、分からないながらも歴史地震の
史料を分析するなかで、少しづつ学んできたことに関係するところが多く、実に興味深い。
 この本の出版は、1981年。日本の地震学で本格的にプレートテクトニクスの理論が導入されてから、まだ10年もたっていない時期。石橋克彦氏の駿河湾地震説がだされたのが1976年(120頁)。モーメントマグニチュードの金森による提案が1977年(126頁)、さらに「最近、アスペリティ・モデルといわれるもの」(107頁)という叙述もあって、この時期の直前に、現在につらなる諸学説が生まれてきている状況がよくわかる。
 いま仕事をしている歴史地震論にとってもっとも重大なのは、第十章の「地震活動期」であった。「本章では活動期というべきものがあるかどうかという問題について述べる」として、「この問題は、これまでまともに取り上げられることがきわめて少ない問題であった。しかし、本章では、不十分な史料にもかかわらず、活動期あるいは静穏期というべきものが実在することを示し、その特徴について述べてみたい」としている。
 歴史地震論にとって重要なのは、日・中・韓の地震の活動期を15世紀からの約300年、1700前後までということを明瞭な図をだして論じられていることである。この図はうまく画像化できなかったので、この本についてみてもらうほかないが、この活動期について、15世紀の享徳の奥州津波の史料によって、追補できることは、以前のエントリーで述べた通り。そして、享徳の奥州津波の一月後に韓国の大地震が発生していることである。九世紀陸奥沖海溝地震のしばらく後にも、肥後国地震があり、韓国の地震記事がみえるから、これは、この本のいう「地震活動の移動」の事例にもなるのかもしれない。
 地震学者の人に聞いてみるつもりだが、このような「地震活動期」についての議論は、管見の限りでは、この茂木の本の後にはまとまったものはないのではないかと思う。
Nityuukanjisin_2   問題は、今村明恒のいう、七世紀から一〇世紀の日本の「地震活動の旺盛期」についても、同様の東アジア連動構造があるかどうかで、これは、茂木さんの図の左側に追補する図として作ってみた。宇津徳治さんの「世界の被害地震の表」からMが6以上、または死者100人以上という条件で落とした地震をグラフ化したものである。そうすると、ここには明らかにピークが存在するようにおもわれる。これは重大な問題だと思う。
 今村のいう七・八・九世紀が「地震活動の旺盛期」であるという意見については否定的な意見も多い。この時代には『日本書紀』から『三代実録』にいたる六国史が揃っていて多くの地震が記録されており、これはそれによる見かけの現象に過ぎないというのである。たしかに、六国史の時代はよく地方の大地震の史料を残している。また一〇世紀については史料の残存状況は悪い。しかし、それ以降は平安時代史料の量と多様性は相当のものがあり、プレート間地震のような大地震があったとすれば相当の確度で史料は残ったろう。また平安時代を通じて地震を観測する職務をもった陰陽道や天文道は発展の道を辿っていたから、もし大地震が連続すればより多くの記録・伝承が残っはずである。そもそも、今村の仕事以降、八八七年の仁和地震が南海・東海の連動地震であることが石橋克彦によって史料的に論証されており、さらに近年、八六九年(貞観一一)の貞観地震の規模が津波砂層の調査によって明らかとなった。九世紀に大規模なプレート間地震が重なっていることは否定できないのである。そして、上の図は、このことを東アジアの動き全体から傍証するものであるといってよいと思う。
 茂木さんの本は、一種独特な感じの本である。剛体の破壊実験ということからはじめて、「巨大地震のくりかえし」「地震活動の移動」「地震活動期」という空間的にも時間的にも大きな地震の運動の仮説的な説明にまで展開している。現代地震学とプレートテクトニクスが成立する70年代の雰囲気ということなのだろうか。しばらく前、地震学のH先生にお会いして、歴史地震からわかる諸問題について報告し、茂木先生の仮説が現在どうなっているかをお聞きしたが、こういう研究は受け継がれてはいないらしい。現在のような精細な地震の分析を前提にして、もう一度、このような古典的な問題がいつかふり返られることになるのかもしれない。それは歴史学も同じことである。

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