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2012年4月12日 (木)

「簀面・液面」「断層動・地震」

 120412_120601 朝の総武線。写真は赤門脇の八重桜
 昨日は、午後、農学生命科学科の先生がいらして、紙の大規模な装置による徹底分析について御相談。その後は、朝から取りかかっていた綴葉装の帳面の復元で半日苦闘。
 綴葉装(てっちょう)というのは、現在の本やノートの作り方にもっとも近い和本の作り方で、料紙を数枚そろえて中央で縦半折りして折束を作り、その折を複数重ねて、背面に切り込みをいれて糸で閉じるやり方。とり組んだのは、これが糸がきれてバラバラになった帳面。これは紙の表裏両方に字を書く。普通は墨の通りにくい鳥子紙(雁皮)をつかうことが多いが、これはやや厚手の楮紙である。
 問題は、現在の本の製本をばらばらにした場合を想像していただければわかるが、ページ順序がわからなくなってしまっていること。しかも、料紙が折り目から切れて、前半または後半の半分しか残っていない部分がある。ページ打ちはもちろんないから、半分復元をあきらめようと思ったほど難しかったが、ともかく集中して作業。写真のコピーを作って、あれこれ製本をし、中身が整合的にならぶ順序を考える。9時までには帰宅せねばならず、ああでもないこうでもないとやっていて、帰宅直前にうまくいった。これまでも気になっていたが、とにかく結論をえなければならないので確定した時にはほっとした。今日は、その作業を原稿に反映させる仕事から再開の予定。
 キーになったのは、まず半分になった紙が右側か左側かを確定すること。紙は化粧断ちしてあるので、どちらがわに化粧断ちした切断線があるか、どちらがわが破れてしまった不規則な線かを確定する。これは各ページ七欄づつの罫線が引いてあるので、その様子でも推定する。そして、次は、紙の表裏であった。
 綴葉装では、折りを作るときに、紙の「表裏」はそろっているから、そのページの表裏を一つ一つ確定していく。それをやっていって、だいたい重ね方がわかってきた。一般に料紙はそろえて扱われるので、表裏情報が装丁の復元には有用となるのである。そして内容と照らし合わせて合理的な編成がやっとできた時にはほっとした。おわってみれば簡単なことで御報告するまでもないが、しかし考証のトリヴィアリズムのもっとも単純な例のような話。
 紙の表裏をみる目はどうにかやしなってきたので、これは助かった。紙の「表裏」というのは曖昧な言葉で、単純な定義はむずかしい。これを私は「簀面・液面」ということにしている。つまり抄紙の時に簀に接する面を簀面、逆に簀の上面にたまった紙繊維によって懸濁した液が空気にふれている面を液面と称することにしたのである。製紙科学では、簀面をwireside、液面をnon-wiresideというが、それを真似したものである。最初は簀面を簀肌面ということにした。これはいかにも簀にあたったという感じの紙の肌が残っているからで実感的な言葉としてはいまでも使う。しかし、雁皮紙の場合は竹簀に紗がかけてあるので紙に簀肌のような触感はなく、そこからすると、ただ簀面というのがよい。液面というのを「取液面」「捨液面」などという言葉もつくった。これは懸濁液を汲んだり、勢いよく捨てたりする運動が働く面ということで、意味がある呼称であるが、結局、これも「液面」という単純な言葉がよいと思う。つまり「簀面・液面」である。紙の表裏という言葉は慣用的には可能だが、考証的・物理的な厳密さを要する場合は、それがよいと思う。
 永村真によれば、古文書の編纂とは料紙に記される二次元的な情報を一次元情報に還元することであるが、紙は物体としては三次元のものなので、一次元に直すときにも、いろいろな技術(私の場合は技術というほどの本格的なものではないが)がいる。編纂という仕事をしていなければ、紙の文化財科学などについて考えることはなかったと思うが、実際上の編纂技術に関係するところもあるので、よい勉強はした。こういう文書は、若い頃だったらあきらめていたと思う。

 昨日、こういう「苦闘」をしていたとき、スマトラでM8,6のインドプレート沈み込み帯のアウターライズ地震が発生したということを考えると不思議な気持ちである。遥か昔のバラバラになった文書の復元をしている時空と、はるかスマトラの地震。
 共通しているのは、「アウターライズ地震」という専門用語と、「簀面・液面」という専門用語を飯の種にしているという自分の生業と生き方であるのかもしれない。この一年で、ともかくも「アウターライズ地震」という専門用語を曖昧にであれ理解できるようになり、その一方で、「簀面・液面」という専門用語が必要だと自分で決めてくる過程が同時進行であった。専門性というのは、所詮、用語の体系を作り出して、そのカスミを食って生きることである。現実生活とは異なるところでの「苦闘」でしかないが、こういう落ちかかる蒼穹の中空での我慢に何らかの意味はあるのであろうか。
 しかし、「アウターライズ地震」 というのは、簀面をワイヤーサイドというようなもので、海溝の外側の斜面部分に震源をもつ地震ということなのであろうから、海溝外地震といえばすむことだと思う。専門用語にすぐに外来語をもちこむというのは、それこそ奈良時代以来の日本の言語の特徴だからしょうがないが、しかし、こういうターミノロジーの問題は大事なことだと思う。とくに東アジア全域での地震の激化が予想される以上、漢字で意味が何となく通ずるというターミノロジーに意識的になることは当然のことだと思う。
 また「アウターライズ地震」というのは沈み込む海側のプレートが、沈み込みに抵抗がなくなったために引っぱられて発生する正断層地震であるというが、この正断層という言葉も人を惑わす。「引張断層」といえばいいのではないのだろうか。逆断層は「圧縮断層」でよいのではないか。
 そもそも、地震学者は「地震」と「地震動」を区別する。つまり、地震とは大地における断層運動そのものをいい、地震動は、それと区別して、大地表面の体感できる揺れをいうというのである。これもターミノロジーとしてはどうかと思う。もちろん、地震とは地中の断層活動をいうというという地震発現の機構の説明をすることは必要である。しかし、断層という言葉で「地震」を理解してほしいということならば、「断層動」(あるいは断層運動、地下断層運動)とでもいったらよいのではないだろうか。「地震」という日常的な言葉は、私たちが体感する大地の揺れの体感の表現に残しておいてほしいと思う。「断層動(断層運動、地下断層運動)・地震」という訳にはいかないのだろうか。もしそれでよいとすると、マグニチュードは「断層力・震源断層力」、震度はそのまま震度などということになるのかもしれない。7年ほど前、マグニチュードと震度の相違をしらなくて先輩に笑われたことはある無知識の私の希望である。

 さて、昔でいえば、「断層動」という言葉は「龍動」である。つまり大地の揺れを起こす原因は地中にひそむ龍が動いたためであるという「認識」が「龍動」という言葉で昔は表現されていた。それを尊重して、「断層動」というのは駄目であろうか。地震学者が地震発現機構を説明するときに、昔は同じことを「龍動」といったという説明があってもいいのではないだろうか。昔の人も、今の人も、この地震列島に棲んでいる人類という意味では同じことということをターミノロジーレヴェルで認識するということのためにも、文理融合は必要だと思う。
 「簀面・液面」「断層動・地震」「断層力・震度」など。
 前半は電車。後半は食事の後のベンチ。大学は、(いいのか悪いのかは別にして)、平和な風景である。

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