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2012年5月 5日 (土)

地震火山64津田左右吉の神話論と国生神話・火山

 いま、5月5日土曜。総武線の車中。私物の整理があって職場へ。
 来週水曜日にJ大学での特講で神話論を約束してあり、地震・火山神話の読み直しをやっている。我々の世代だと、歴史の研究者は神話論というとまず津田左右吉である。『津田左右吉全集』は一巻の記紀研究しかもっておらず、そのうちに全巻を購入して通読する時間があればと思っている。
 この一巻の月報には、坂本太郎の文章と森於?の文章の二つがのっている。坂本太郎氏の文章には感心しないが、森於?の文章は印象に残る。
 「私どもが先生に歴史を学んだ時が日露戦争の直前で、日清戦争から十年、台湾領有についで朝鮮も併合し、満州に驥足を伸べ、日英同盟を締結し、軍国日本の意気大いに揚がり、世界の何大強国かの一つという自信にあふれ、青少年はまず大臣大将を理想とした時代である。ある日、先生は講壇で時勢を論じ、いわゆる愛国者とはまったく別ものの悲憤慷慨をされ、ポカンとしている小僧どもを前にして、「こんなことをやっていると今に日本は世界中から袋だたきにあうぞ」と叫ばれた」。
 津田左右吉の仕事にはいろいろな批判があるだろう。私が「古代」を専門にしていないためではあろうが、津田についての文章で評判のよいものを読んだことがない。たとえば、友人の小路田泰直氏の『邪馬台国と鉄の道』(洋泉社新書y)はたいへん興味深い本だが、津田を「歴史として書かれたことには、必ず根拠があり、書かれたことからその根拠となる事実を探りあてることこそが歴史学の課題だという常識」をもたない歴史家であり、記紀神話を知識人が構成したものだというのはおかしいと切って捨てる。
 もちろん、津田の仕事に、いわゆる「脱亜論」と同じ側面があったことは事実であり、それは小路田がいう通りである。津田について根本的に考えるためには、ともかくそれらをそれを考える『津田左右吉全集』を慎重に読み、史学史を実際に考える中で意見を固めるべきこともわかっている。
 けれども、所詮、すべてを読むことはできない歴史家が、好悪の感情に左右されることはやむをえないと居直らせてもらうと、私は津田の仕事が好きである。最近の研究者は、ほとんど津田のことを身近に感じることはないのだろうと思う。たしかに、津田の記紀研究はけっして読みやすいものではない。その文章も論文体というよりも、もってまわった論理の繰り返しが多く、何か、柳田国男の文章に似て独り言のようなトーンがある。しかし、細かなことを気にせずに読み始め、その調子になれてしまえばさっと読めるものである。そして、そこにみえてくるのは、たしかに、「悲憤慷慨」する津田の精神なのである。おそらく第二次世界大戦以前の読者にとっては、そのような「悲憤慷慨」をふくめて読みやすいものだったにちがいない。「皇国史観」の時代であり、神話が事実であるかのように扱う建前があった社会であるということを頭におきながらともかく読み通すという読み方がよいと思う。
 津田のいう記紀神話の政治性、あるいは構成された政治神話であるという断言は、単にテキストの外からもちこまれたものではない。津田は記紀神話には「民間説話」、本来的な小神話の世界が編成されていることを認めている。津田は、それを承認した上で、しかし、記紀神話それ自体は、きわめて政治的な編成をとっているもので、それにそのまま「民間説話」を読み込むことは無理であるという文献学的なスタンスをとっているのである。
 そして、津田が「民間説話などは、さういう未開人の真理、未開時代の思想、によって作られたものであるから、今日からみれば非合理なことが多いが、しかし、未開人においてはそれが合理的と考えられていた」(一巻、7頁)としていることは大事だと思う。津田は、そのような「未開人の心理上の事実」を「未開民族の風俗習慣」と共通するものとして(11頁)理解するという人類学的な方法を当然のこととして議論を展開しているのである。もちろん、そこには「未開民族」の心理を「小児の心理」と同一化してしまうという傾向性があり、いわゆる人類学的なイデオロギーの影響がある。また政治的な氏姓制度(と津田のいうもの)の直接的な反映を神話世界にみてしまうというのも、私には疑問がある。
 しかし、津田は、その立場から、『日本書紀』『古事記』にすぐにそのままの事実を求めがちな江戸時代の議論を批判する。神話を強いて合理的に解釈して、その背後に「事実」を求めようとする新井白石、そして、「『古事記』の記載を一々文字どほりにそのまま歴史的事実であると考えた」本居宣長に対する批判は鋭い。両者は異なっているようにみえるが、どちらもテキストに直接に「事実」を読み込もうとする学問外的性格をもっている。ようするにどちらも屁理屈であるといのである。私はたとえば西郷信綱氏の注釈をふくめて、最近になっても本居の古事記注釈を便利に使いまわすような神話論の傾向はとても納得できない。それは津田以前への後退であり、学問の頽廃だと思う。
 そして記紀神話の全体像がイザナミ・イザナキ、スサノオ、オオナムチ、「天孫降臨」神話などの諸構成部分をあつめて「構成された」ものであることは、たとえば松前健氏の仕事にも明らかで否定しがたい。津田の政治的「結構」論の基本が神話学研究で受けとめられていることを無視してはならない。もちろん、津田の「神代史の結構」、つまり記紀神話の構成論がすべて正しいということではないが、しかし、この記紀神話のもつ体系性が「結構」されたものであるという指摘はテキスト論的にも否定できないものだと思う。
 ただ、最近、神話を研究していて、津田の自然神論について考えることが多い。それは三宅和朗氏が、最近の神話研究が日本神話における「自然神」の存在を軽視する傾向は津田左右吉の議論に一つの由来があるとしていることに関わっている。これはたしかに三宅氏のいう通りであって、津田は、記紀神話の政治性を強調する作業をまず第一の仕事とし、それは正しい研究戦略ではあったが、しかし、記紀神話が前提とした「民間説話」(原神話)が自然神話としての一定の体系性をもっていたであろうことを直接の論及の対象としていない。
 たとえばスサノオがアマテラスに会いに高天原へ上る説話について、「この命を暴風雨の神とし、この話を自然神話として見ようという説がある」(429頁)として、それは無理であるとし、スサノオの物語自身は、「皇祖神に対して反抗的態度をとったものとして説かれている」のが本質であるといのは(446頁)、文献学的には正しいといわざるをえないだろう。そして、スサノオ暴風雨説に対する批判も説得的であると思う。しかし、スサノオが水神・海神であり、その関係で「穢の神」であり、「疫神」であり、同時に人間を穢や疫病から守る神である(西田長男)、そして小川琢治、吉田敦彦がいうように、ポセイドンと同じ地震の神であるというのは説得的なものである(WEBPAGEに載せた「海の神話」についての文章を参照してください)。そう考えれば、スサノオの神格に「民間説話」(原神話)が反映していることは否定できない。津田のいうように、スサノオとオオナムチが結合したのは、そのベースがあった上でのことではないだろうか。
 問題は、記紀神話が前提とした「原神話」が自然神話として、どのような体系性をもっていたと考えるかということになるのだと思う。そして、これは津田の文献学的な方法では解くことができない問題である。
 そういう意味での津田批判の第一の出発点は、ここ、つまり自然神としての地震神論にあると思う。そして第二の出発点は自然神としての火山神論である。これはいわゆる国生神話をどう考えるかということであるが、津田は「土地の起源が人の生殖として語られたことは(世界で)他に類例がない」(344頁)「国土が子として生まれるというのは当時の思想においても無理な考え方である」(563頁)としている。これは津田の記紀神話論を通読すればわかるように、津田の基本的な前提の一つであった。
 しかし、神話学の古典業績の一つ、松村武雄の『日本神話の研究』が、国生神話を、火山の爆発によって大地が生まれることを地母神の出産にアナロジーする神話であると捉えたことによって、この前提は成立しなくなっている。また、神話学の大林太良によっても、出産によって国や島が生まれるというスタイルの神話は、太平洋地域に広く分布しているという。大林太良の挙例の中では、「父なる天」と「母なる大地」の性交によって世界ができ、大地震によって地中から生まれた火によって、地上に木や植物が萌え出で、山々がそびえ立ったというインドネシアのセラム島の神話が重要であろう。大林のいう沖縄からインドネシア、ミクロネシアまで分布する「海中に火の起源を求める神話」とは、海底火山の噴火の経験の神話化なのではないだろうか。そして、この二つをあわせれば、日本神話における噴火の神が地母神イザナミであることは明瞭になるだろう。
 そして、自然神話論からの津田批判の第三は、津田が日本神話には「天空」の神話の要素が薄いと断定していることである。これについては、以前、勝俣隆の議論を紹介した。私は、勝俣の日本神話における「星」の位置の高さという議論に賛成である。
 以上、津田左右吉の仕事が乗り越えられなければならないことは明らかである。しかし、それは津田の仕事にもう一度内在することを必要としている。

 さて、以上は、昨日、考えたことだが、津田左右吉というと、我々の世代では羽仁五郎と連想して考える。羽仁に「神話論の課題」という論文があって、大学時代には一生懸命に読んだ記憶がある。昨夜、念のため久しぶりに『羽仁五郎歴史論著作集』を引っ張り出して点検してみようとしたが、私の本は線があまりに多く、汚くなったのでは廃棄したため、相方のものをみた。どこにそんなに引かれていたのかがわからないほど抽象的で乱暴なもので、読むのに疲れた。いわゆる「戦後歴史学」のもっとも悪い側面を羽仁が代表しているように感じる。歴史学にとっては一時期の羽仁の位置は大きかっただけに、個人的ないろいろな記憶もあり、夜、何となく悲しくなった。

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