地震火山65地震学の方々と
24日(木曜日)は、幕張で地震研の都司先生、平田先生と座談会。
都司先生は、膨大な江戸時代史料は地震学と防災にとって必須なものと強調される。調査経験を語られる中で、地震・津波の調査に行くと鹿島社にぶつかることが多い。鹿島社に先行されている。ここで地震・津波があったのをいまごろ気づいたかといわれている感じがするという述懐が印象的。
平田先生は、地震学は自然科学であり、細かく細かくなってきた。阪神大震災後に蓄積された地震の膨大な精密な情報、そして3,11の後の日本の地盤の揺れの驚くべきデータの解析は、研究をさらに細かく細かくしているが、社会的災害の問題を考えることが、広い視野を確保するために必須になっているとおっしゃる。
私は、歴史学の枠組みの中でまず議論がされなければならないこととしては、第一には政治史と地震・噴火の密接な関係、第二には神話と地震・噴火の問題があると御報告。前者は、歴史学研究会から発刊された『震災・核災害の時代と歴史学』に載せてもらった「地震・原発と歴史環境学ーー九世紀史研究の立場から」という文章と同趣旨。つまり、大仏建立には河内大和地震の影響があり、背後には長屋王の怨霊の問題があった。そして九世紀陸奥海溝地震と前年の播磨・京都地震も、伴善男の怨霊に帰せられた可能性があるという話である。
また、歴史学界では阪神大震災の経験から各地で地震に際しての歴史史料のレスキューと保存のために行動するネットワーク組織が形成されている状況を報告し、歴史学者は、その第一の職能的な義務として現在に伝わった歴史史料、広い意味での歴史的文化財や歴史的環境を将来につないでいくということをおわされていること、そして、東北の平川新氏がいう防災の基本は歴史史料の保存と解析にあるという問題を御紹介。都司先生も平田先生も、その体制を強化しなければならないとされていた。
なお、最近の落雷・竜巻についても話題。私は、日本の神話の神々、自然神のトップはタカミムスヒという神で、彼は雷神。これはギリシャ神話のゼウスや北欧のオーディンが雷神であったこと、そして中国の神々も雷神であったことに対応している。これは自然界の激しい運動の中心には雷神がいるというのが神話的な考え方を示すが、これは当時としては、それなりに合理的な考え方というべきであることを説明。
つまり、これは人々はが自然の現象の原因と結果を取り違えるためである。つまり、落雷は大地を震動させるが、そこから雷は大地を震動させる力をもつものだ、地震の原因は雷電にあるのに違いないということになる。また噴火の時には、火山雷が鳴り響き、火山性の地震が発生するが、これは事実としては噴火の結果なのにも関わらず、噴火を目撃した人々は、そうではなく、雷電が黒雲を呼び、地震を目覚めさせて、山を内側から破砕し、中の溶岩を噴出させるというように感じる。
最近の落雷・竜巻をみていると、こういう雷・地震・噴火の三位一体の考え方というのは、日本列島に棲むものにとって非常に根が深い自然観だというように感じる。その意味でも、神話のもっている意味を、一つの自然観の問題としては、考えておいた方がよい、神話というものをもう少し文化の問題として大事にする方がよいと思うようになったと述べた。
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