「森の水車」「ムラの鍛冶屋」と「黒の小川」
いま総武線。帰り。
先日からボン大学のタランチェフスキ氏がきていて、今日は二度目の昼食を一緒。
帰りに本郷の角で、彼にもI君からビッグイッシュウを買ってもらう。ドイツではホームレス支援の雑誌を定期的に買っているが、フィフティ・フィフティというとのこと。作成組織が半分、販売者が半分もらうという意味。ビッグイッシュウと同じである。
朝、地下鉄で柏の理系研究所のN先生に久しぶりにお会いする。以前も気象の歴史的変化が話題だったが、今度も、そこ。ただ、今回はやはり原発事故が自然科学への不信を呼んでいることを深刻に考えているという話に展開。理系でも、歴史や文系の人の意見をもっと聞かなければならないという雰囲気があるように思うとおっしゃる。
「そういうことだと、原発はやめないというのが最初の意見」と申し上げると、自然系はそういうことを考えたり、いったりする風習がないということ。東大の前の総長の小宮山宏氏は、工学部だが、21世紀半ばには原発から離脱するという戦略を書いていたから(『地球環境維持の技術』岩波新書)、自然系には若干でもそういう雰囲気があるのではとお聞きすると、そうでもないということ。
私の持論、つまり「東大でも、理系の各学部で、たとえば地震研と工学部原子力で意見を調整してくれないとどうしようもないのではないか。そうすればその中に人文社会系もはいっていける。同じ大学なのに部局相互で意見の調整ができなければ、大学が不信を呼ぶのは当然」という持論を申し上げる。そこで時間切れ。それでも地下鉄から東大まで色々な話はできるものである。
地下鉄であったときは、まず気候の話。竜巻のことを聞くのを忘れた。それから、二三日前にタランチェフスキ氏と話した話に話題が飛んだ。原発の話になってしまって、それも時間切れ。その話というのは、ドイツは小規模電力を水車と牧畜業から発生する屎尿のガスから作るシステムが動いているという件。これに太陽熱を組み合わせて地域によってはいいところまで行っているという話である。
以下、タランチェフスキとの話に戻る。タランチェフスキ氏の話を聞いたとき、これはずっと昔に大塚久雄先生に聞いた話を思い出させるというのが私の反応。つまり、パンを作るための製粉のミル=「森の水車」を「村の鍛冶屋」が世話をするというのが「局地的市場圏」の基礎にあるのだというのが先生のよく話されたこと。しかし、タランチェフスキ氏は精密な水車のためには鍛冶が必要とおっしゃる。
これは以前にもこのブログで書いた。「森の水車」「村の鍛冶屋」の歌は、日本の近代においても下からの生業圏を作り出そうという発想があったことを示すのだと言うことを先生はいわれていたと思う。不肖の弟子は、まだ、先生の著作集を繰って、それがどこに書いてあるかを確認していない。タランチェフスキの話で、「森の水車」「村の鍛冶屋」は結びつくものなのだというのをはじめて考えた。
もちろん、パン・製粉・ミルというのはブローデルも述べている。ミルがヨーロッパの工場の代名詞になるのは、そのためであるとあったと思う。ブローデルは、地域社会では、いわゆる価値法則が貫徹しているともいっているから、なんだ、そんなに大塚先生の「局地的市場圏論」と違わないじゃないかというのが、一つの感想である。
話が飛んだが、その関係で、以前読んだ『世界』(2010年1月号)の茨城大学の小林久氏の「小水力発電の可能性ー温暖化・エネルギー・地域再生」という分析のこともメモしておきたい。以下、引用。
「日本にムラの機能が発生したのは、集団的利水行動(灌漑)によるところが大きい。水のエネルギーとしての利用にも地域性がある。日本の水の利用は主に産業・商業用取水として発達した。江戸時代には、撚糸、線香・火薬製造、製薬、たばこ刻み、砕石・陶土粉砕、都市部での精米・製粉などに水車が利用された。ただし、これらの産業・商業も水力利用の効率化や大規模化が求められるほどに、集積したり、発達したりすることはなかった。水田に水を汲み上げる揚水水車は、美しい田園風景の構成要素として多くの人に共感がもたれている。しかし、田園の中の水車は日本の基幹的な水力利用の風景ではなかったといってよい。日常的に必要となる精米や製粉などの動力はおもに人力でまかなわれた。一方、ヨーロッパでは、酒食とするムギを食べるためには、よく粉砕し、ふるい分ける作業を行わなければならなかった。粉砕・篩い分けのためには複雑な道具の発達が求められた。さらに、これらの道具を効率的に使うためには、畜力・風力・水力などの動力を利用することが求められるようになった。MILLはMILLSYONEから派生した製粉場を意味する英語であるが、今日でSTEEL MILLのように工場を示す詞として使われている」 こういう中で19世紀半ばに水力利用の技術は発電とむすびついた。そして「森の水車」の伝統、小規模発電の伝統は、現在にも続いており、ドイツの小規模発電の根っこにはそれがあるというのである。さらに具体的な指摘があって、きわめて面白い論文である。 今は翌日の出勤の総武線。タランチェフスキ氏と、昨日、食事をしたのは、こちらから別件で質問をした。「王様は一人か」という問題である。 この写真は一月にベン・シャーン展に行ったとき、葉山の美術館の前。
これをタランチェフスキ氏に話したのだが、彼にとっては、これは常識らしい。彼がいったことで重要だったのは、彼の故郷には、もう一つ「シュバルツ・バウ」、つまり「黒い小川」というものがある。これは牧畜と結びついた皮革産業、なめし革などの工程による小川の汚染で、激しい臭いがするが、この臭いは故郷を思い出させる。日本のある平野を調査していたときに、同じ臭いを嗅いで懐かしさにうたれたが、それが日本では差別にむすびつく場合があるのを知って驚愕したということであった。ドイツの風景としての「森の水車」「村の鍛冶屋」「黒い小川」という訳である。
日本にも水力利用の伝統はあったのだが、地域における小規模利用の根っこは、明治期の国家資本主義の中で崩れたということであろう。すべて生産諸力は風土に結びついているから、現代の環境問題と自然力利用を見なおすためには、実際に前近代の伝統を想起し、保守することが、少なくとも文化の上では必要なのだと思う。
ミットカイゼル、ドッペルカイゼルということはしばしばヨーロッパではあるという意見を聞いたので、それをさらに具体的に教えてくれと頼んだ。
これは別の機会があろうが、ここでメモだけしておく。
私は、日本は複数王制の国家であると考えていて、たとえば道長は後見王であると書いたことがある。また清盛も頼朝も覇王(あるいは覇王のなり損ない)と考えている。これを無思想・没概念な自己流でなく議論するのにはどうしたらいいかというのが年来の疑問。そこでタランチェフスキ氏の意見に飛びついた。ただ、具体的にお聞きしたところ、ブルンナーから読まねばならぬということで、すぐに追いつけそうにない。
しかし、いまやっていることで「清盛=後見王」ということは明瞭にいっておく必要があるので、勇気づけられる。高橋昌明氏は「六波羅幕府」論ということをいうが、これは、平家政権も頼朝政権も「武家政権」であるというのと概念論としては大きく変わることではない。そこで「清盛=後見王」論ということになるのだが、昌明氏と一致するのは、頼朝より、清盛の方がまだいいという点。
ここで時間切れ。











