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2012年6月 8日 (金)

地震火山神話の講演

Cimg0313  この写真は卯の花。花期は終わっているが、2メートル以上の高さがある。東大の懐徳門という門のところにある。昆虫学の人が観察をしていたので聞くと、これだけ大きいのは珍しいとおっしゃる。ミツバチ・マルハナバチ・クマバチがよくあつまるということ。卯の花垣がならんでいた時代には、相当の蜜があつまったのであろうか。以下は、昨日から今日の朝の電車にかけて書いたもの。

 今、東北新幹線の中。宇都宮に向かう途中である。朝早く目が覚めてしまい、『方丈記』の地震記事について締め切りの過ぎた原稿を書いていて、疲労。新幹線の中で書きつぐつもりでいたが、それに必須の西山昭仁氏の論文をファイルごと家に置き忘れてきたことに気づく。
 『歴史地震』にのった西山氏の論文二本のうち一本しかコピーがなく、昨日、地震研にいってコピーさせてもらう。『方丈記』は高校時代に母や妹と一緒に読んだことがあり、また堀田善衛の『方丈記私記』もよく読んだので、ともかく歴史学からの感想をふくめて書いているのだが、不消化のまま頭が熱い。
 宇都宮では「地震火山神話」についての講演である。パワーポイントを用意してあるが、それを見なおすことにする。私は講演はうまく行くときと、まったくうまく行かないときがある。うまい、うまくないといっても主観的なことであるが、考えてみると、うまく行かない時の条件は三つ。第一は(これが一番多いのだが)「意あまって」という奴で、とくにその「意」を講演や授業の冒頭にいって、それへの聴衆の反応がよくわからない場合に話の接ぎ穂を失うことが多い。第二は疲れている場合であって、慌ただしく仕事をしている時のエアポケットのようなものに入ると「語ろう」というエネルギーがでてこない。今日は注意しなければならない。第三はいうまでもないことながら、話がよく練れていないときである。私は講演は、だいたい原稿を書いている、または書いたことについて話すことが多いのだが、書いて分かったと思っていても、話すと、曖昧なところ、筋の通らないところでつっかえることが多い。わかりにくさというのは書き言葉の状態だと、どうにかごまかせるのである。とくに困るのは、すでに原稿を書いてあるが、書き終えた時の感情・感覚を忘れている時で、エーとどうだったんだっけということでつっかえることが多い。これも今日に当てはまるので注意しなければならない。

 今、帰宅途中。駅について珍しく自転車に乗る元気がなく、コーヒー。原稿の締め切りが重なっているのが意外と負担になっているようである。一つは上記の『方丈記』。もう一つが、ある文庫本の解説というもので、これが頭の隅にある。二つも三つものことを同時進行させるのが、そろそろ無理なのかもしれない。
 講演の最後で疲れて御心配をかけてしまった。しかし、国語の先生方なので話しやすく、かつ歴史学と国語・国文学で一緒にできることは多いのではないかという年来の意見を聞いていただけたのがありがたかった。また、このブログを細かく読んでいただいているのに驚く。御質問で「富士の九世紀貞観噴火の溶岩を富士吉田市では「まるひ」といっている」ということを教えていただく。過分の紹介と、講演後の応答をいただき光栄であった。ありがとうございました。

 下記が講演の要約。
(1)本来の神話は益田のいうように呪術の克服の最初であり、人間の発見であり、「大きな自然・自然神との人間の空想による戦い」である。
(2)記紀神話はたしかに政治的な創作物であるが、独特な文学的叙述の中には自然神の体系が反映している。そこには雷神=タカミムスヒ、地震男神=スサノヲ、火山女神=イザナミの三位一体の関係が隠されている。
(3)人々の神話的な観念の中では、噴火・地震・津波などの災害が中心的な位置を占めており、そこには巨人伝説や墳砂と火山などの日本の風土にそくした多様な形象を含んでいた。これは、歴史文化において、学校教育において自然科学的な知識とあわせて記憶され伝えられる必要がある。
(4)九世紀の大地動乱と国家・社会の構成的な矛盾の中で「自然神の祟り神」化といわれる事態が起き、自然神の三位一体は(1)龍の三位一体と(2)地域のアジールの地主神の体系に変化していった。この時代の激しさが道真の文学や『竹取物語』など、この列島の歴史文化の新たな段階を作った。
(5)地球科学による自然の運動法則の解明を前提として、文理融合の原則にたった協同的研究を進める必要がある。その場合、歴史学と文学の間での神話を素材とした研究議論は最初の重要な仕事の一つとなる。
(6)歴史学研究と言語・文学史研究、そして教育は、東日本大震災と核災害の重層の中で、古典の現代性を取り戻し、「民族の遺産の国民への浸透」という益田の問題提起にもどってともに考えるべきことが多い。

 益田さんの『国語教育論集成』に、講演(授業)は必ず10分は時間を残し、要約をすることとあるのをみて要約を用意していった。これはたしかに正しいと実感。

 授業ではなく、先生方への講演というのは、ようするに仲間への話なので、やりやすかった。そして、内観というか、視線をつねに脳の内側にむけておいて、目の前にあるメモに触発されながら、意識の中に浮かぶことを紡ぎだすように語っていくというやり方で話が進めていいのがありがたい。ずるずると話が繋がっていくのでお聞きになる方は聞き難かったかと心配だが、パワーポイントというのは、そういう講演の時は使い勝手のよいものだと実感する。
 

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