国語教育と歴史教育ー益田さんの意見にふれて
朝の総武線。今週は栃木で高校の国語の先生方に「地震・火山神話の復元」という話をする予定。副題は「ー益田勝実氏の仕事にふれて、歴史学の側から考えたこと」とさせてもらった。 益田さんの『国語教育論集成』(筑摩文庫)を読んで、たいへんに驚いたのは、「原爆雨にさらされて神話を教える。これは一体なんだ」(益田)という一節だった。私は、まず、この本を、必要上、「海さち山さち」という論文から読み出したのだが、その最初にこうあったのに驚いたのである。
この文章は、益田さんの神話論にとって、その初心を語るという意味で重要なものである。その最初は、益田さんが戦地へ『古事記』をもっていって背嚢にいれて読んでいたという話から始まっている。そして、「戦後」になって、神話を考えることになり、「原爆雨にさらされて神話を教える。これは一体なんだ」(益田)という記述があるのである。戦場で『古事記』を読み、戦争から帰ってきて、原爆実験があり、原爆雨がふるなかで、神話を考えるという状態に、御自分がいることに驚き、「これは一体なんだ」と自問自答されているのである。
この本には、菊村到が新聞記者であったころ原発問題にふれた文章を教材としてどう取り上げるかという試みもある。そこには、「根底からの原子力と国民生活の関係を考えての批判」を重要だとして、次のようにそれが紹介されている。
「原子力の平和利用というものの、それは核の軍事的利用の下準備でもありうる。第一に使用後の燃料廃棄物が有害で、その完璧な処理法はまだ発遣されていないから、必ず放射能公害を引き起こす、という立場からの反対です。これは、全国の原子力発電所での小規模に生じた炉の故障や放射能汚染の問題として、いまだにたまる一方で、有効な処理法が世界的に発明されないでいる燃料廃棄物の処理問題として、その後、ますます深刻にもなっています」
これは30年前、1981年の文章であるが、私などの世代にとっては常識的な見方であった。もちろん、いわゆる戦後派知識人が「原発の夢」に踊っていたというような見方もある。私とてそんなことはまったくなかったという考え方は取らないが、しかし、益田さんがいうような意見が一九六〇年代から七〇年代には一般的であったことを忘れてはならないと思う。もちろん、それを「国民の常識」にできなかったのは世代的な責任であるが、これが無責任な推進者とのつばぜり合いであったこともいうまでもない。
この本、パラパラめくっていて、最初は、上記のようなところから読み出したのだが、本論の国語教育論は教育現場と教育手法に入り込んだ本格的なものであり、勉強になった。益田さんの国語教育、そして「古典文学の学習」についての期待はきわめて高い。つまり、「古典文学の学習」は「現代人と歴史との内面的なつながり、現代人と民族の文化伝統との内面からのつながりの実体験が可能な、唯一の教育の場となり、そこから他教科の今後のあり方にも指針を与えるものとなりうる」(「古典文学の教育」(1969年)ものであるというのである。歴史学は歴史科学・社会科学であって、直接にそのようなものとはなりえないと述べてある。そして「哲学」「論理学」の教育を中学・高校でやるべきであるとい御主張も印象的なものであった。たしかに、哲学と「国語」は、こういう問題をめぐる「唯一の教育の場」であるのかもしれない。
その上で、益田さんが「現在、いったい、どれほどの若者が、高等学校で<古典>を学ぶことの積極的意義を感じているか。国語教師であるわたしたちは、その点、虚心坦懐に実情を把握してかからねばなるまい」(「古典の文学教育」1967年)と述べているのも、印象的であった。これは歴史学・歴史教育ではどうなのかという問題に直結する。益田さんの本は、身に迫っては考えてこなかった授業というものがどういうものでなければならないのかについて個人的にも反省をさそうが、歴史教育のもっている困難の全体のことも考えさせる。
昨日日曜、歴史教育の方と勉強会があり、そこで歴史教育のカリキュラム・教授法が国語・数学とくらべてはっきりと遅れている。ただの物知りを(少数)作るほかの機能をもっていないという意見をきいた。これは社会科教育の中でも歴史教育のもっている困難に関わるのだろうと思う。
つまり、歴史学の対象は無限に多様であり、歴史に面する社会の意識のありかたも無限に多様であり、さらに歴史学そのものも方法論的に多様であるだけでなく、全体像を出しえていない。そういう中で「余談」あるいは「人格」自身で子供たちの興味を引き止めておくほかないというのが教室の実態であるというのは、否定できない側面なのではないかと感じる。
私見では、教材を教師・学者の協同で作っていくということは前提であるが、その上で、多様な教材と教育実践をそのまま電子化してネットワークにおいて蓄積していくという方策をとるほかないのではないかと思う。これは悪くいえば、教材のPPT化であって、教育の技術化になる危険性があるかもしれないが、しかし、終局的にはそのようにならざるをえないのではないかと思う。
歴史学者からいえば、教材は厳密に学術的な調査のもとに、というよりも史料そのものに根づかねばならないものである。そして、そのような教材は教師が厳密に史料自身から教材を組み立てるほかないということである。歴史学の成果は、その際、もちろん参考になるが、しかし、それを教材とする以上、カリキュラムの中心となるトピックを支える史料は(二次史料であっても)、かならず教師が確認しなければ、授業の迫力というものはでてこないのではないか。そういう迫力を背景にもつ教材を画像・史料入りの電子データとして多様・大量に作り出すということにならざるをえないのではないかと思う。もちろん、教科書も重要であるが、教科書には検定もあり、紙数の制約もあって最終的な解決にはならない。
もちろん、すべての教師個々人がすべての教材について史料あたりをしなければならないというのではない。史料あたりをした教材を教師の専門的なネットワークが共有するということである。最初はスライドシェアのようなソーシャルメディアを使って、試みを初めて見たらどうだろうかと思う。
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