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2012年7月17日 (火)

昨日、7月16日の集会にいってきた

 福島の原発災害と東北の津波災害については国家保障と東電による全面賠償を実現するほかないと思う。災害の多い、この列島の国家・政府が、国家保障の体系をもっていないのは決定的な問題である。阪神大震災の時に、現地で永井路子さんと一緒の講演会で話した時、「国家保障が実現するのは必然である」と述べたが、これは(若干の進展はあったものの)、結局、実現せず、苦い記憶になっている。この講演準備ではじめて地震について歴史史料によって考えたのだが、しかし、十分なことができず、その後に研究を継続しなかったことなど悔いが多い。
 これは長期にわたる課題となるだろうが、歴史家としてもできることを考え、実行したいと思う。妻は、先週金曜日、国会周辺にいって様子をみてきた。途中で咳きがひどくなって、帰ってきたが、たいへんな人だったということ。昨日、『大地動乱』の校正のメドをつけたので、今日7月16日、代々木公園で行われる集会に、私も一緒に様子をみに行く。いま総武線の中。
 様子をみにいくというのは変かもしれないが、多くの人々の動きに参加し、そのマッスの一人となることは自然なことだと思う。もちろん、人がどんなに集まっても、現在の政府中枢は無視するであろうことはわかっている。普通の国家であり、普通のマスコミ・ジャーナリズムがあれば、仕事の時間をけずって行こうとは思わない。しかし、なにしろ普通の国家ではないのであるし、ともかく、福島の人々が集会にも来るということであるから、それだけでも参加しようと思う。福島の状況は。人ごととはとても考えられない。人ごとではない以上、何をするかということを考えるのは自然なことであると思う。
 
 災害史の北原糸子さんの意見を読み、聞いていると、「災害」に対して義捐金と公共事業および貸し付けで処理をするという体制が明治の濃尾地震以降にできあがっていったらしい。共同体的な相互扶助のシステムが広がっていくということではなく、さまざまな行政手段で災害・被害の個々に対応するというシステムができあがっていき、国民としての共同性は十分には形成されないままということであったのではないかと思う。いわば災害対応の「分節化」である。もちろん、行政と全国的な義捐金のシステムで、当時としては、相当のことができたのは事実だが、そのために、逆に根幹の国家保障には及ばないということになった。
 ヨーロッパでは相当の国家保障があるにもかかわらず、なぜ、日本でそれが実現しないかは日本社会論にとって本質的な問題であると思う。これはなぜ国土計画・都市計画が不在であり、「乱開発」がもたらされるかという問題と裏腹の関係にある。そして、いわゆる「私有財産」の保障はしない、「私有財産の自由」のという日本イデオロギーが根本にある。正確につめてみたことはないが、これは資本主義一般の問題ではなく、日本資本主義に特徴的な論理である。
 昨年から、地震、津波、台風、竜巻、集中豪雨、土砂崩れその他、その他、多くの事件が起きているが、それらは個々の「不運」ということで処理されている。しかし、同じ国家共同体に属している人間が自然との関係で偶然的被害をうけた場合には、統一的に保障を行うという制度思想があっていいのではないか。憲法のいう「健康で文化的な生活」というのは、そこに及ぶはずのものである。協同主義というものがあるとしたら、これはその一つの制度的根幹であるはずである。
 前近代史の研究者からいえば、共同体というものの、最低の条件は、自然の「災害」に対して協同の対応をとるということにある。日本国憲法の下では法的には日本国民は共同体であるはずのものである。それ故に、国家補償があって当然ということであるはずであるが、それがないということは、現在の日本の国家共同体は共同体というべき実質がない、あるいは現実にはきわめて薄いということを意味する。国土と共同体を大事にしようとする以上、共同体の実態を形成するためにこそ、国家保障制度の形成は必然的な過程であると思う。
 人は、結局のところ、対象的自然(外的自然)に同じ人間として向き合うということで、同じ類的な存在であること、共存在であることを確認し、それによって共同体に帰属するのだと思う。理屈っぽい言い方は御勘弁ねがうとして、以上、ともかく今日の大集会にでてみたいという訳である。

Cimg0746_3  左の写真は大江健三郎氏。いま集会で大江さんの次の落合恵子さんの話しを聞いている。「生存」ということを訴えている。次は沢地久枝さんである。そしてその次ぎは瀬戸内寂聴さん。寂聴さんはお元気。私の敬愛する和尚さんとも縁が深いので、お元気そうな様子に励まされる大江さんの話はよく聞こえず。女の人の声の方がよく通る。
120717_183655_2  最後は福島の武藤類子さん。武藤さんは福島の賠償訴訟団の代表。今月号の世界の文章を共感をもって読んだ。ただ残念ながら、武藤さんの話は、私たちのいたところからは話がよく聞こえなかった。しかし、ともかく、福島の状態の解決と補償・賠償に集中して議論をしたいものだと思う。右の本は武藤さんの本だが、そこに「事故はいまだに終わらない。福島県民は核の実験材料にされるのだ。ばくだいな放射性のゴミは残るのだ。私たちは棄てられたのだ。私たちこそが、『原発いらない』の声を上げようと、声をかけあい、誘いあって、この集会にやってきました」とある。もっとも大変な状態に置かれている福島の人々だけに「原発いらない」という声をあげてもらっている訳にはいかないと思う。
 
 行進に参加するのはご勘弁を願って、アルバイトから帰ってきた娘を東京駅で拾って、いま、帰りの総武線の中。東京駅の混雑はもの凄い。集会に17万集まったといっても、東京駅近辺の人の動きの何分の一か。国会議員の多くは、そういうように考えるのであろう。集会などに集まる人々の人数はたかがしれているという訳だ。
 けれども、休日に首都中枢が、これだけ混雑するというのは、日本に独特のこと、あるいは東アジアに独特な現象である。国土計画・都市計画にそって各地域で過ごせるゆったりとした空間があれば、こうはならない。乱開発の結果の一極集中である。こういう群衆都市であるからこそ、都市防災ということを本格的に考えると、その前提として、国家補償制度を本格的に議論していくことが必要なのだと思う。
 一極集中と都市群衆を作り出してきたこれまでの政治家が、これに無自覚なまま、集会に集まる市民は、都市群衆の全体からくらべれば少数であるといって高をくくっているとしたら、それは困ったことだ。

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