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2012年7月31日 (火)

東大教職員の賃金減額

 東大でもいま給料を減額するという話がでていて、だいたい、役員・教授が4パーセント減額(役員は年間75万、教授は45万)、准教授が3パーセント、助教が1パーセント減額、43歳掛長が2,5パーセント減額云々というカット案が決定されている。大学法人の賃金は大学にわたされた運営費交付金の中から配分されるが、減額分の交付金は返却するという話である。
 問題はそのやり方と理由で、若い人や職員からの不満は大きい。とくに職員は大学の意思決定に直接に参加する制度がない。大学の意思決定は評議会と部局教授会で行われるという仕組みはまだまだ生きていて、職員と学生の参加の制度的権利は認められていない。これが1960年代から70年代にかけて全国の大学で大問題となり、東大でも、いわゆる全構成員の自治の方向に行こうという合意はあったはずなのだが、これは実現していない。そして職員の賃金は低い。そういう状態の中で「非常勤職員」が増大させられ、若手の研究者は採用が少なく、しかも任期制が増えているのだから、諸方に矛盾が蓄積している。昔から基本問題の壁というのは変わらないものだと思う。
 私だと、このまま行けば、50万弱ほどの減額かということになる。これは困ることに変わりはないが、教授というのは三分の一は管理職的な側面があるし、大学執行部の意思決定には教員としての責任がある。
 必要があって意見を聞いてみると、まず管理職の給料をもっとへらせというのが若い人や職員の意見である。たとえば、だいたい助教は600万、掛長は600万という賃金だが、おのおの7万、15万と減額となると、生活にかかわってくる。これは痛い。なぜ、もう少し上を切らないのか。教授の賃金減額率と理事役員の減額率が同じなのは了解できない。全体の減額をもう少し上の方にあてられないか。役員・部局長は30人前後以上はいたはずだし、教授は1000人いるのだから、ということになる。ともかく、職員は、どこまで昇格しても(運営費交付金の使途決定をふくむ)基本的な意思決定に参加できないのだから、もう少し考えてほしいというのは当然だと思う。
 もう一つの減額の理由というのが納得できかねるものである。それは「東日本大震災復興への対処の必要性に鑑み」というものである。これ自体にはある意味で自然なことであると思うが、けれども、今問題になっているように、消費税は、消費税増額分が福祉に行くとは限らない。それと同じで運営費交付金の国庫返却に使途指定ができるとは思えない。そうすると現在の政府の「復興」についての金の使い方、そしてその背景になる予算思想全体を信頼せよということになるが、私は現在の内閣を信頼できない。なかなか、こういう理由をかかげるというのも勇気のいることだと思うが、そう思ってかかげているとは思えないのが大学の見識にかかわるところである。
 そして、震災ということになれば、東大はまずは原子力発電の動向について大きな責任がある大学であって、いうところの「原子力ムラ」の中心である。これだけ重大な事態を引き起こしたのだから、なにか一言あってしかるべきであるが、一言もない。大学は部局の集まりで部局・部門の自治は最大限尊重されるが、大学として大震災や原発震災にどうかかわるかは、明瞭になっていないと、私は感じる。それは学者の集団としては努力くらいはするのが当然であろう。職員の賃金を下げようというのならば、学者らしい態度と論理を貫かなければ申し訳ないと思うのが自然な心情であろうと思う。
 そもそも、昨年、2月に元東大総長の有馬氏が呼びかけて、経団連・東電・関電などの会長・社長が参加して「原発ルネサンス懇談会」という会議が発足している。そののちに三月、東日本太平洋岸地震と原発震災が発生して、この懇談会は名前を変えたが依然として続いている。私は、その改称する前の第一回の会議の様子をビデオですべてみたが、会員には東大現総長浜田氏、京大前総長尾池氏、早稲田前総長白井氏などが参加していた。東電の勝俣会長が実際上の中心になっているような様子であった。これをみて、「原子力ムラ」などといっていられない。大学の全体が原発の体制に呑み込まれているというのが正確なところであると思ったことは記憶に新しい。
 東大が「秋入学」などということをいいだしたのは、賛否は別として間の悪いときにあたったものである。大震災発生時に、大議論が必要なので、少なくとも、この秋入学の議論は先送りするとするべきであったと思う。それ以前に議論すべきことは山積している。

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