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2012年7月16日 (月)

71地震火山箸墓古墳の赤色立体図と火山

 ようやく、『歴史のなかの大地動乱』(岩波新書)の校正を終えたが、この箸墓古墳の形はやはり火山の形であるというように考える。
Hasihakas  これは、6月5日に橿原考古学研究所が発表した箸墓古墳の赤色立体地図。この効果は見事なものである。校正を終えた『歴史のなかの大地動乱』では百舌鳥耳原中陵の略図を自分で書き起こして図版としたが、これを使った方がよかった。「前方後円墳は火山の形」というのは、『かぐや姫と王権神話』で書いたことであるが、『歴史のなかの大地動乱』でもそれを繰り返した。
 この赤色立体図をみると、前方後円墳は最初はまず後円部を作るのではないかと思える。最初からこの形を構築するのではあるまい。まず円墳状の基体をつくるのではないか。これは工法の上で論証できるかどうかが問題だが、しかし、古墳祭祀にもそれが関係するのではないかと思う。
 これらをふくめて、机辺にいろいろなものが積んであり、一つ一つ確認をしながら片づけていく。私の部屋の「上司」であった稲垣泰彦さんについて奥さまが、研究テーマが代わる時は、机の廻りにおいてある本やノートを一挙に片づけて次のテーマにむかうので、それは見ていても見事なものであったとおっしゃっていたが、なかなか見事には切り替えられない。上記のように、まだ頭が地震と噴火、そして8・9世紀にくっついていて、なかなか離れない。
 『写真でみる京都自然紀行』(京都地学教育研究会編)もその一つ。この本は京都府立洛東高校の西村昌能先生からいただいたが、西村先生からは石黒耀『死都日本』が面白いとうかがっていた。この小説は地質学者の間では有名ということであるが、先日注文したら、今日、届いた。『日本書紀』『古事記』のイザナミの出産は火山爆発の表象であるという記述は興味深いもの。肝心のところのみに目を通したが、次の執筆にむけて読む積もり。
 Cimg0738 以上、メモ。片づけで最初にやったのが、この種の『大地動乱』の執筆のメモや原稿を閉じるのに使っていたファイル。中身を処理し、廃棄しようとして、このごろ、ホチキスの針を外してから、紙ゴミのみの袋に弁別していれるので、ホチキスを外した。ふと、裏側を表にして再利用できるのではないかということでやってみた。題の側に紙止めのバーが来ているのはそのため。こうやれば、ファイルを、再利用できる。記念に残す。
 次ぎに手がとまったのが2007年5月号の『UP』。松浦寿輝氏の文章。哲学の井上忠氏の授業の記憶についてふれたもの。中身は半分も分からないが、重要ということだけは分かる話を論理的に聞かされ続けるという経験についてふれたもの。そういう授業に憧れてきた。たしかにパワーポイントを使ってわかりやすい授業をするのは大事だが、それはできそうにないし、松浦氏は別の理想をもっているという話である。
 たしかにその通りなのであるが、私は、そういう授業はできないようである。いわゆる講演でお年の方々や社会人を前にすると自然にはなせるのだが、学生相手だととくにむずかしいことが多い。今年、J大学でやった授業がうまく行かなかったのはショックで、それ故に逆に講演では必ずパワーポイントを用意することにした。歴史学は、史料から離れることができないし、他方で筋がいる。とくに授業で話していると一つ一つの史料に頭が粘着していき、相手が学生の場合は、その史料のニュアンスをわかってほしいという感情が動き出し、話の筋が曖昧になっていってしまう。その両方をみたすのには、やはりパワーポイントでまとめておき、学生の顔をみずに頭の中に浮かんできたことを話し続けるというのが有効であると考えた。
 以前に『中世の愛と従属』で自分評をしたように「論理実証分裂主義」がなおっていない。一方では個別史料の解釈にとらわれてしまい。他方で論理となると一般化しすぎるということである。

 結局、歴史学者として、体系をもちえていないのだろうと思う。網野善彦さんの著作集の月報がでてきて、そこにウィスコンシン大学の大貫美恵子さんの文章があり、網野さんの講演の様子が書かれていた。それを読んでも耳がいたい。
 その他にもいろいろ出てきたが、そろそろ、頭を切り換えねばならない。

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