神話論、津田左右吉と三木清
この写真は昨日の夕方の自転車。谷間の上の月。
哲学者の三木清は、その畢生の書『構想力の論理』を第一編「神話」から説き起こしている。私は、この三木の仕事と、有名な津田左右吉の記紀神話批判のことを考えるたびに、自分の祖父のことを思い出す。祖父は東京の大田区で小さな塗装業、ペンキ屋を営んでいたが、俳人でもあって郷土史にも強い興味をもっていた。私が高校生の頃であったと思う。日のあたる二階の一隅で話していたら、急に祖父があらたまった調子で神武天皇はいなかったということを聞くが本当かと聞かれた。そして人間のもとは猿だったというが本当かとも聞かれた。
孫の思うよりも、祖父としては軽い質問だったのかも知れないが、その言い方から、私は、明治生まれの祖父が「神武天皇」の実在を当然のこととして生きてきた、それが実在しないというのはどういうことなのか、という少し切迫した調子を感じた。そしてその頃、ならい覚えていた第二次大戦を遂行したイデオロギーとしての「皇国史観」と神話の関係について話した記憶がある。
津田左右吉の『古事記』『日本書紀』に対するテクストクリティークを代表する代表作、『日本古典の研究』は、「神武天皇」が神話であって、当時信じられていたような実在ではないことを至極当然のこととして淡々と論じ尽くしており、この本の全体には、一種の数学のような透明な合理主義がつらぬいている。誰でも、その筋道をたてた自由闊達な語り口に馴れてしまえば、この本はきわめて読みやすいものである。
それだけに、この本が国家的なタブーにふれ、戦争の時代、右翼の政治家や軍部から集中攻撃をうけ、発禁となったという事情もわかるようなことを感じるのは、歴史の研究をしようという学生なら(おそらく)誰でも知っていることであろうが、その意味を実感するためには、実際に津田の記紀批判を半分でもいいから読み通してみることが必要だと思う。歴史家は、(私だけかもしれないが)、普通、あまり合理主義的な考え方はしないので、是非読んでおくべき本の一つである。私は津田のリベラリズムと合理主義が好きである。ただ、我々の世代だと、津田はもう古い、津田は日本文化論である、近代合理主義は駄目だというような傾向があって読んでいない人も多いのだということに、最近、気がついた。
三木の神話論は、津田のものとはまったく違う印象の本で、津田左右吉とくらべてその重い語り口に惹かれるのはやむをえないことだと思う。いま、自分のもっている『構想力の論理』を見ると、一応は通読をした跡があるが、よくはわからなかったはずである。ただ、『構想力の論理』が第一編「神話」からとき起こされ、徐々に話がいりこでくる論理の重さには記憶が残っている。三木を読むときにはいつでもそういう気持ちになるので、実際には、そういう気持ちの記憶が残っているだけかもしれないが、『構想力の論理』を読み、三木の獄死のことを考えるというのが一つのくせになっているので、『歴史のなかの大地動乱』を書くために神話について考えることが必要になって、最初に取り出したのはやはり三木のこの本であった。これは、歴史学の立場から、神話論の参考になるものがないかという実務的な関心ではあるが、この年齢(つまり三木が、これを書いた時よりずっと上)になって読んでみると、これを三木が書こうとした意図がよくわかるような気がする。
それは人間の歴史の内部で動く非合理なるものの正体を見ようとしたということだと思う。三木の神話論には、ナチスのローゼンベルグの『二十世紀の神話』の名前も(名前だけ)でてくるが、三木は神話のもつ強い力を意識しながら、『構想力の論理』を書いたのである。私は、これは必要なことだと思う。社会は、そもそも合理的に進むものではないという覚悟と予備知識をもっていなければ、結局、どのような仕事も成就しないということを、三木の論理の紡ぎ出し方をみていると思うのである。
ともかく、三木清の議論のレヴェルにふさわしい神話論を考えたいということで、この間やってきたが、先日のブログに書いたように、これまで意識していなかったボーヴォワールの神話論がでてきて、なかなか考えることが安定しない。
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