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2012年8月22日 (水)

73本郷の角でビッグイッシュウを売っているIくん。『歴史のなかの大地動乱』発刊

 本郷の角でビッグ・イッシュウを売っているI君。本郷の角で売っているということでブログに載せていいかと許可をいただいた。本郷三丁目の角を通って東大に通っている方、ビッグ・イッシュウはたいへんに面白い雑誌ですので一度彼から買ってみてください。300円。そのうち160円が販売者の収入になります。
 彼も休みがおわって今週から立っている。夏は街路樹の下に売庭を移している。街路樹が役に立つことを実感。私も、信号が変わるまでは街路樹の下で立ち話である。ともかく熱い。職場までたどり着くと汗びっしょりになる。
 学校までの途中で、M先生に声をかけられる。彼は麦わら帽をかぶっていて格好がよい。東大の教職員ができるだけ沢山ビッグイッシュウをI君から買ってほしいという話をする。
 M先生からは江戸時代の歴史の細かな諸問題に興味をもつ学生が多いという話。どういう傾向なのだろうか。私にはまだよくわからない(文末に、いま考えた試論)。そこで江戸時代というのを「封建制の成立」という理解をいまでもする人がいるが、私見では「日本俗物社会の成立」といいかえた方がよい。細かなことに興味をもつのは、日本的俗物性の淵源探索かという反応をする。そこで例によって時間切れ。
 江戸時代研究者にはいったい何をいっているのだと思われるであろうが、これは私の持論。成沢先生の『政治のことば』(講談社学術文庫)の解説に、この私見を「ひそかに」あらわしてしまった。
 封建制という問題を理論的な理解として議論するでもなく、馬鹿の一つ覚えのように繰り返すか、代替理論を提示する責任意識もない歴史家は問題が多い。
 
 『歴史のなかの大地動乱』が発売になっている。下記は、全体の構成。小見出しも入れてある。
 論文の場合は、もっぱら分析なので、ずるずると書いていく。昨年書いた「下地」論は、200枚近かったから、ずるずるをどんどんつなげていくという感じであった。その意味では論文の執筆の方が無駄は少ない。調べたことは全部書いてしまうし。この「下地」論というのは「下地中分」という言葉を学校で習ったことを記憶されている方もあるかもしれないが、ようするに利用・耕作に準備された土地、そういうものとして占有された土地という意味で、日本前近代の土地所有論にとっては緊要な意味をもった言葉であると考えている。いまでも醤油のことを「お下地」という人がいると思う。これは味の準備、下ごしらえというような意味である。漆塗りの下地という言葉もある。これも同じ意味である。つまり「下地」というのは自然としての大地そのものを表現する言葉ではない。つまり、網野善彦さんのいう「無縁」なものとしての「土地」を表現する言葉ではない。平安時代以降になると「地」という言葉がむしろのその意味になるというのが網野さんの創見。これは長く本当かと疑っていたが、「地」に対する「下地」という言葉を発見してみて、網野さんの勘のよさにあらためて驚愕した。
 今回の新書の基礎にこの問題が座っている。つまり、奈良時代までは、この関係は「な」ー「くに」であったらしい。自然神としての大己貴、オオナムチの語幹は「な」。これはツングース系の言葉で大地という意味。それに対して、「くに」というのは区画された土地という意味。大国主命、オオクニヌシは、これに対応する。オオナムチからオオクニヌシというのは自然神が国家神・文化神化することの語彙的な表現である。
 このような土地範疇が、「地」ー「下地」の土地範疇に変わっていくのが、9世紀・10世紀ごろというのことになる。網野さんは、このような具体論には踏みこんでいないが、大枠の図式をだしてくれている。


はじめにーー地震学と歴史学 
・本書の構成
・東日本太平洋岸津波と九世紀陸奥沖海溝津波(貞観津波)
・関東大震災を予測した今村明恒
・今村の歴史地震研究
・「地震活動の旺盛期」-八・九世紀
Ⅰ大地動乱の開始ーー七・八世紀 
(1)東北アジアの大地動乱・温暖化・パンデミック
(イ)最初の一撃は韓半島
(ロ)気候温暖化と旱魃・飢饉
(ハ)東北アジアのパンデミック
(2)最古の地震・噴火記録
(イ)『隋書』の記す阿蘇火山
(ロ)筑紫地震(六七九年)
(ハ)南海地震(六八四年)
(ニ)伊豆神津島の大噴火(六八四年)
(3)八世紀初期の地震と長屋王の悲劇
(イ)丹後地震と遠江・三河地震
(ロ)藤原不比等は天智天皇の子か
(ハ)「長屋王の時代」の地震
(ニ)地震の責任は王にある
(ホ)長屋王、怨霊となる
(4)大仏建立の理由―河内・大和地震  17
(イ)河内大和地震(七三四年)
(ロ)高市皇子の陵墓の鳴動
(ハ)聖武の決意「責め予一人にあり」
(ニ)経典にみる地震と大仏建立
(ホ)美濃地震(七四五)と紫香楽京撤退
(5)八世紀後半の火山噴火と神火
(イ)大隅海中の火山噴火ーオオナムチの神
(ロ)称徳天皇と火山・怨霊・神火
(ハ)日本と新羅の運命の分かれ道
Ⅱ大地動乱の深化と桓武の遺産ーー九世紀前半
(1)桓武天皇の残したもの
(イ)早良親王の死と霧島岳御鉢の噴火(七八八年)
(ロ)平安京遷都と長岡京地震
(ハ)桓武の蝦夷戦争の実態
(ニ)不思議な遠地津波
(ホ)有史初の富士大噴火(八〇〇・八〇二年)
(2)平城・嵯峨天皇と北関東地震の衝撃
(イ)桓武の「徳政」は本当か?
(ロ)高志内親王と兄弟の天皇たち
(ハ)嵯峨天皇と北関東地震(八一八年)
(3)淳和天皇と京都群発地震
(イ)淳和天皇と高志内親王山陵の「不穏」
(ロ)京都群発地震(八二七年)と恒貞の誕生
(ハ)出羽秋田地震(八三〇年)と蝦夷
(ニ)陵墓の「物恠」と淳和の退位
(4)仁明天皇とモノノケ・地震・噴火
(イ)仁明天皇の即位と皇太子問題
(ロ)北方の火山噴火(八三七・八三九年)
(ハ)鳥海山・大物忌神の祟り
(ニ)伊豆神津島の大噴火(八三八年)と火山の女神
(ホ)神津島噴火の「神院」
(5)地震の再開と神話の復活
(イ)阿蘇神霊池の涸渇と北伊豆地震(八四一年)
(ロ)恒貞廃太子事件(八四二年)と怨霊
(ハ)仁明天皇四十算賀と神話の復活
(6)地震に追われた王―文徳天皇
(イ)出羽庄内地震(八五〇年)
(ロ)東大寺大仏の仏頭落下(八五五年)
(ハ)文徳陵を襲う地震神
Ⅲ陸奥沖海溝津波(貞観津波)と清和天皇
(1)飢饉・疫病と応天門放火事件
(イ)清和宮廷と神話の復活
(ロ)「神仏習合」と祟り神・疫神
(ハ)貞観の飢饉と神泉苑御霊会の挙行
(ニ)富士の噴火(八六四年)と神宮
(ホ)阿蘇神霊池の噴火と応天門炎上事件
(2)陸奥海溝地震の前兆
(イ)清和天皇と妻・高子
(ロ)別府鶴見岳・阿蘇の噴火(八六七年)
(ハ)天文は変を告げ、地理は妖を呈す
(ニ)播磨地震と京都群発地震(八六八年)
(3)陸奥海溝津波の襲来
(イ)陽成の誕生と伴善男の怨霊
(ロ)陸奥海溝津波(貞観津波)の襲来
(ハ)陸奥海溝津波(貞観津波)の被害と震源
(ニ)清和天皇―「責め深く予にあり」
(4)祇園会の開創の由来
(イ)祇園会の開始と伴善男の怨霊
(ロ)山崎断層と広峯の牛頭天王
(ハ)「国家の大禍」と神国の祈り
(5)陸奥海溝地震の余波
(イ)「自余の国々」の地震、大和国
(ロ)肥後地震の誘発
(ハ)北辺の神、鳥海山の噴火(八七一年)
(6)大地に呪われた清和天皇
(イ)大極殿の炎上と神火
(ロ)出羽蝦夷の大反乱
(ハ)南関東地震(八七八年)
(ニ)出雲・京都群発地震(八八〇年)と清和の死
(ホ)南海・東海連動地震(八八七年)と光孝天皇の急死
Ⅳ神話の神々から祟り神へー地霊の深層
神話と国土観
(1)日本神話における雷電・地震・噴火
(イ)雷電・地震・噴火の三位一体
(ロ)雷神―タカミムスヒと小童
(ハ)地震神とスサノヲ・オオナムチ
(ニ)噴火の女神ーイザナミとオオゲツヒメ
(ホ)根の堅すの国
(2)祟り神・疫神・死霊
(イ)災害の三位一体と疫気
(ロ)地震神・スサノヲから疫神・牛頭天王へ
(ハ)火山と古墳の死の女神ーイザナミ
(ニ)「温気」「疫気」「粉土の鬼気」
(3)龍神と怨霊信仰―歴史の前進
(イ)自然神の変容――河音能平学説
(ロ)龍神の形象化
(ハ)灌漑の神としての龍神
(ニ)疫神を食う龍神
(ホ)火山の龍体の女神
(へ)龍と怨霊に守られた村
(ト)再出発ー河音の仕事から
終章、君が代の時代と東北アジア
(1)君が代の時代と陸奥の復旧
(イ)大地動乱の五〇年
(ロ)君が代の歌声
(ニ)東北の復旧と蝦夷の人々
(2)東北アジアにおける「地震活動の旺盛期」の終わり
(イ)陸奥沖海溝地震から韓国慶州の地震へ
(ロ)一五世紀奥州津波と韓半島の地震
(ハ)東北アジアにおける地震旺盛期の終り

 以上を作ってみると、三階層の見出しで、処理をするというのが基本であることがよくわかる。最初はもう一階層とってあったが、編集の永沼氏にみてもらった時、すぐに一階層多いといわれたのが編集者とのやりとりでは一番印象的であった。第三階層目を固めていって、むしろ上からの構成を組み直す作業と、その両方をやりながら徐々に文章ができてくる。歴史の叙述というものはそういうものだと思う。
 基本は三階層目。つまり事実レヴェルの叙述を積み木細工のように組み上げてゆく。最近の学生の中で、歴史学を面白がる人がいるというのは、あるいは積み木細工がすきであるということで、子供っぽいのかもしれない。私は歴史学を趣味にするとか、トリヴィアリズムなどというと、気持ちの片方でかちんとくる「戦後歴史学」旧世代であるが、これは「子供っぽい」ということなので、旧世代的に反発するべきことではないのかもしれない。「子供っぽい」というのは、自分をふくめてのことである。念のため。

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