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2012年8月20日 (月)

ビッグ・イッシュウにダライラマのインタビュー

Darairama120820_155902  ビッグイッシュウの197号。ダライラマのインタビューである。国際ストリートペーパー(INSP)のインタビューに応じたものの転載という。連れ合いが千葉でかってくる。わが家はだいたい同じ号が二冊あるが、本郷のI君はいまお休み。
 この写真は表紙。記事の中には各国のストリートペーパーを両手にもったダライラマの写真があって感じがいい。私のような、保守的、ナショナリスティクな「個人=社会主義者」にとっては、ダライラマのような人物が望むような社会体制こそが、あるべき社会体制であると思う。それはこと新しくいうべきことでもないが、それを超えてダライラマの活動をみていると、どうしてもユーラシアというものを考えさせる。
 いわれていることはすべて正論である。驚いたのは最近のツイートでラマが「宗教を排して、精神的・論理的なことについて考えるべき時がきた。ますます私はそう確信する」と発言しているとのこと。この発言の真意を尋ねるインタビュアーに対して、ラマは「人々は、仏や神に祈りを捧げながら、現実の生活では何のためらいもなく、正しくないことを行い、嘘をつき、汚職や弱い者いじめ、不正を行ったりしています」といい、「『私は仏教徒だ』などと自分を意識した時、それらの言葉によって距離が生まれてしまいます。そこで私は自分自身にこのようにいいます。『そんなことは忘れてしまえ。私は人間で、70億人のうちの一人にすぎないのだ』と」といっている。不幸・幸福などということはあるが、「『70億人のうちの一人にすぎないのだ』というのももう一つの現実です」ということである。
 私も自分の立場や経験を頭におくことによって人との距離を造ることがあるが、たしかに「そんなことは忘れてしまえ」である。「古くから伝えられている精神的な教えや、自然の法則は、個人にとって計り知れないほどの大きな恩恵です」という意味での「精神的・論理的なこと」を大事にすることを優先させなければならない。
 ダライラマがそのほかにいっていること。まず中国とチベットの現状については、「過去数十年、中国のような一党独裁政権は本当に多くの残酷な行為を行い、国民の生活を恐怖と不信で支配しました。中国政府はつねに真実を隠してきました。ですが、私は、13億人すべての中国人が真実を知る権利をもっていると思います。(中略)検閲は間違った行為なのです。けれども検閲は毎日行われています。中国の温家宝首相は、中国にとって政治的改革と、西洋諸国のような民主主義が必要であることをたびたび述べています。しかし、政治的改革にも民主主義的考え方にも、自由と、検閲のない情報と透明性がふくまれているはずです。いつかはものごとが変わることを願っています」と述べている。「社会主義」経済でもっとも大事な鍵は、企業の「営業上の秘密」の廃止であるというのがレーニンがいったことだが、その前に政府の情報公開がなくしては、社会主義の「社」の字もない。全体主義もいいところである。もちろん、日本の政府の中央官庁も「秘密」だらけであることは、今日の東京新聞のトップ記事。人のことは笑えない。
 近年の世界的な不景気、政府の行う「緊縮政策」をどうみるかについては「現在の困難な状況を生みだしたのは、過去の政府や一部の企業だったりします」と、これも正論である。
 私は「大企業性悪説」はとらない。大企業の内部も分解すれば職能専門組織である。東電をみていたって、ともかくも専門家集団である。その専門家集団が、狭い利益と経過からはなれて、横に連携し、各地域のコミュニティと連携するという形で、社会化し、大企業は大企業の「外皮」をはずしていかなければならない。それでも大企業的な組織形態は簡単には消滅せず、最終的には職能団体の非政府的調整者としての機能に純化していくのだろうと考えている。大企業のような形でのゼネラリスト的な企業形態は現代経済の中では必要なものだと思う。大企業が大企業としての社会的責任を果たして行動していれば、実際上、大きな問題はないと思う(現在の株主資本主義の問題は大きいとしても)。
 とはいっても、現状、大企業の誤りと貪欲の影響は社会的に巨大になる。それは誰でもわかっていることである。昨日の夜、NHKのETV8で、福島の原発下請け企業と、その労働者の状態についてのドキュメンタリーをやっていた。不況にひきつづく原発震災の中で、ある小さな建設業が原発の下請け仕事をやるという判断をして、地域の若い人をふくめて仕事を確保している。放射線の被曝量がオーバーした後は、何の保障もない。この苦労をどうするのだろう。社長は我々も被災者なのだがといっていた。川内村の豊かな自然も映しだされた。こういう画面をみていると怒るよりもしんとしてしまう。これについては私は怒る権利はないと思う。それにしても本当にひどい話だ。たまったものではない。

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