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2012年8月 8日 (水)

三木睦子さんがなくなった。

 先週週末からやや調子を崩した。暑さに疲れたか、若干の倦怠感と見当識の喪失である。神話について考えてメモを作っていたが、西郷信綱さんの『古事記の世界』がでてこず、そこでつっかえた上に、そのまま丁度届いたサラ・パレッキの『BreakDown』を読んで疲れて週末に入ったのがよくなかったのかもしれない。読めない英語の本に引き込まれて集中してしまうと骨が疲れる。

 仕事の切れ目に環境と身体と頭が対応できていない。今日は火曜。朝、5時におきて自転車。30分でも気持ちがいい。

 三木睦子さんがなくなった。95歳になられていたという。
 もう25年前にはなるだろうか、御会いしたことがある。千々和到氏と一緒に事務所をたずねて、横浜市金沢区の上行寺東遺跡の保存問題で協力を御願いした。さばけた方、豪快な方という感じを受けた。話をきいてくれた上での判断は、保存問題はむずかしいう判断であったように思うが、遺跡保存の必要は明らかであるということで、協力を約してくれた。新自由クラブの田川誠一さんを紹介してくれたのも、千葉選出の衆議院議員(文教委員)であった臼井日出男氏を紹介してくれたのも三木さんであったと記憶している。田川さんは遺跡を実際にみにきてくれ、臼井さんは遺跡破壊の当日に電話で国会に請願がでているのだからストップせよと伝えよといってくれた。臼井さんは千葉が地盤なので、地域でもお会いしたことがある。
 上行寺東遺跡の保存運動は、当時の東京の中世史の研究者、中年から若手までが全力をあげてとり組んだもので、その中心は千々和到氏であった。宗教史と民衆史を架橋する先端にいて、板碑をはじめとする地域の石造文化財の研究を代表する研究者である千々和到氏が展開した遺跡保存の重要性の訴えは大きな説得力があった。彼の動きを歴史学研究会の中世史部会が支え、さらに石井進さんが文化財行政全般をサーヴェイする立場から参与し、山中裕先生が横浜市の文化財保護委員会の委員長として参与し、同時に網野善彦さんや大三輪龍彦さんが考古学との学際的な研究に視野を広げてくれた。
 私は、母の闘病という私的な事情があって、当初、ほとんど協力できず、千々和氏の大変な様子を職場の同僚としてそばみているだけであったが、三木さんのところに千々和到氏と同行したのは母の葬儀を終えてからしばらくしてではなかったろうか。私は、以降、国会請願の事務局というのを担当し、上行寺東遺跡の保存運動に協力することになった。
 この経験の中で学んだことは、歴史家は、歴史学界の職能的な利害、職能的な主張というものを何よりも大事にしなければならないということであった。千々和氏と同席して三木さんにあったときにも、そういうことをいったとを記憶している。
 三木さんは、95年、「女性のためのアジア平和国民基金」の呼びかけ人となり、後に「九条の会」の呼びかけ人となった。この「国民基金」と同じ形で発足したアジア歴史資料センターの設立の際に、学界側の内閣府への要請の交渉に参加したことがあるが、三木さんは「慰安婦」に対する国家賠償を否定した政府に抗議して、結局、「国民基金」の委員を辞任した。
 思想・信条という言い方をすると、私は三木さんとは思想を異にしているに違いないが、信条は共感するところが多い。憲法のいう思想・信条の自由は、「思想と信条」を区別しているのが重要であるというのが、私の持論。人間関係にとって、思想よりも信条の方が重要であるのに対応して、「政治」においては思想よりも信条の方が重要であると思う。この「思想・信条の自由」ということをどう考えるかという問題は、もう少しよく考えてみたい問題だが、ともかくも政治に何らかの形でかかわっている人で会ったことがある人というのはきわめて少ない訳だから、信条を同じくする人と「多少の縁」、というよりも「一度会ったことがある」という「少しの縁」を記憶しているのは自然なことである。田川さんや臼井さんの記憶も同じことである。三木さんも田川さんも臼井さんも広い意味での「保守」の政治家であるが、歴史家として「保守」が大事だと考えはじめたのは、そこにさかのぼる。
 三木さんは政治家ではないが、政治にかかわる人は、こういう「多少の縁」を膨大にもっているのだと思う。現代社会の対人関係は、「知人の知人は知人」という網を張ると、三回でどこまでも到達してしまうという網羅性をもっている。情報学はこういうことをThere hop論というのだと情報学のY氏に聞いたことがある。世界中の人間は「知人の知人の知人」という論理ですべておおわれてしまうのが情報学が対象とする現代世界空間の様相であるという訳である。ヘーゲル『法哲学』のいう市民社会のアトム化、そこにおける人間関係の無名性・匿名性ということは、他面で、その社会関係が、このような網羅性をもっていることを意味している。 こういう人間関係の網羅性のうちに地域のコミュニティが入っているのも自然なことである。普通、「知人の知人の知人」による世界の被覆は専門性集団を通じて実現するが、世界関係としてのこの網羅性の質を決めるのは、やはりコミュニティである。実際の人間としての成長の場の中に、どこまで匿名のアノニマスな関係が根ざしているかということである。そしてこれこそが「保守」の中枢でなければならない。「保守」の中枢に「地盤」がくるのは、それとして当然なことなのだと思う。
 保存運動のなかで御名前を思い出すことのあった政治家として稲葉修さんがいる。稲葉さんは、私が育った場所の向こう側の坂の上の住んでいて、保守政治家の中でも鋭い人であるという噂を聞いたことがある。いわゆる「懐刀」と聞いたことがある。祖父はあるいは面識があったのではないかと思う。こういう偶然の関係を入れれば、現代社会は何重にもわたる稠密なネットワークの中にあるのだと思う。「天網恢々疎にしてもらさず」。その網はさらにさらに深く広く広がるようになっている。それを「良き信条」を前提とした「無私」の関係をベースにできるかどうかに、「民主主義」社会の希望はかかっている。

 さて、昨日朝、総武線で書きだして、今も朝の総武線。私は、あの時期の遺跡の保存運動から歴史学の研究者としての生き方を決めてきた。上行寺の倉田正胤氏、そして細川涼一・飯沼賢司・大平聡・宮瀧交二・橋口定志氏などと一緒に遺跡に通い、横浜市との交渉にも参加した経験は何物にもかえがたい。これも信条をともにして一緒に行動したという関係である。信条というのは何らかの形で「行動」に直接する感情と経験である。
 
 以下、「思想と信条」ということについてのメモ。憲法論ではどういっているかしらべてみたいが、思想と信条は、たとえば仕事上の生活と私的生活に対比できると思う。思想は外に向かう言語の体系、信条は自己に内在する経験の体系。広い意味での思想、広い意味での信条は、その両方をふくむが、それは相互に区別される。思想の多様性、信条の多様性をかけあわせれば、「思想信条」の多様性は無限の数に達する。このような思想プラス信条という広い意味での思想は無数である。同一の思想というものはないのだ。同一の思想という幻想は右翼であれ、左翼であれ、全体主義への道である。社会・国家には公定の思想・哲学というものはありえない。

 世界はそれだけ広く深い。個々人はその個人の人生におうじてその個人でしか獲得できない真理を獲得して、それが伝えられるかそこで行き止まりになるかは別としてかけがえのないものを確保して死去していく。個人の尊厳とはそういうことである。

 もちろん、科学は絶対的真理を明らかにしうる。しかし、絶対的真理は個人や諸集団、国家・階級や職能集団の承認によって発生するものではない。それは歴史と時間の中で確定される。いわば「神の手」によって確定される。それは次の相対的真理へのステップであり、その意味では絶対的真理も、現実の状態としては、つねに動き、多様性の中にある。

 「政治」というのは、対人関係の中で生きること、関係を組織することだから、そこでは私的生活や人格がもろにでるものだと思う。彼らは人格で勝負をしているはずである。それは、本来、つねに何らかの信条にもとづいていなければならない。問題は、その中核には、人格と信条のレヴェルで形成された結社が必要であることである。思想・信条・結社の自由というものを、どのように関係させて考えるのか。「思想・信条」の問題は、ここに結びついていく。おそらくすべては「経験」と時間による検証という意味での「伝統」という問題に行くのだと思うが、どう考えたらよいのか、まだ筋道を通して考えたことがない。
 ともかくも、政治は信条にもとづかなければならない。信条をもった政治家かどうかは終局的には人々に記憶される、その政治家の顔を考えればわかる。三木さんの顔は、夫の三木武夫氏の顔とともに信条をもって政治にかかわった人の顔として時間を超えて残るに違いない。
 憲法上の自由を前提とした上でなら、右翼・左翼・反動・進歩のどれでも、信条で行動してくれれば、まだまだ健康なことだと思う。現在の日本の政治の問題は、それ以前のレヴェルにある。現代の多数党の政治は「虚偽」と「策略」にもとづいている。しかし、こういう状態だからこそ、上記のようなことを原理的に考えていきたいと思う。
 消費税問題に関係して、内閣不信任案が提出された。消費税というのは、私などの世代にとってはJ党の首相N氏が「この顔が嘘をつく顔にみえますか」といった上で、嘘をついて導入したものであり、現在のM党の首相N氏も五年前までは、そんなことはやらないといっていたことをやっているということがすぐに意識される。三木さんにお会いしたころ、その周辺の人々がN首相のことを本当に嫌っていたということを、いま思い出した。
 

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