地震火山74赤色立体地図と石巻
総武線の帰り。今日(8月30日)、先日見のがした「赤色立体地図」についての再放送がある。火山学の千葉達朗さんがでたとのこと。見ていた家族から聞くと、石巻の日和山がでてくる。我々も、7月に同じ日和山から津波の襲った海岸を見て、長い急斜面の道を降りて、そこを歩いた。その場面をみてみたい。石巻を襲った津波の様子を写した写真集(『大津波襲来、石巻地方の記録』(三陸河北新報社)は机の前にある。テレビをみた後に、その本を開きたいと思う。
今日、いつも昼ご飯を食べるところで『芸術新潮』を読んだら、奈良美智さんが、昨年、3,11の後に仕事が何もできなくなった。自分の仕事が何の役に立つのかということを考えると、いてもたってもいられなくなった。その結果、ともかく寝る間もおしんで、彫刻、塑像を作ることに集中したということであった。芸術家は、具体的なものにふれて身体を動かすほかないということなのだろう。
私も、ともかくも、一年以上を地震の歴史を考えることに集中した。それがつねに頭の中にあって気をせかすという状態を経験した。ただ、芸術家と学者の違うのはどこなのだろう。それはよく考えたことはないが、少なくとも我々は対象をみつめる。対象をみつめることを通じて、自分が対象によって占拠されてしまう。対象をみつめるのは意思にもとづいて見つめるのであるが、その見る行為の中で感情が喚起される。見るというのは思考の活動であるが、同時に視覚的なイメージの形成である。そのなかで対象によって自分が占拠されるという経験である。その他の記憶が頭脳の下部にかくれてしまうのである。そして、どこからか気持ちが動き出して、話をまとめようとする。個々のデータがデータのままでいるのを嫌がるので、徐々に対象の姿が自分の中に星雲のように立ち上がってくる。その意味では研究というのは受動的な仕事であると思う。
受動的である上に、受けとめた情報の検証と組み合わせの作業は細かな手作業である。だから、人文学の学者は本質的に芸術家よりも職人に似ていると思う。歴史学について研究者の職人性ということをはっきりいったのは遠山茂樹氏であるが、これは実感である。遠山さんの言葉では「職人的研究者」。もちろん、歴史学の場合は、普通、素材は自然の材料ではない。普通、素材はもっと間接的なものであり、人間が、生きていき、歴史を作ってきた、痕跡を集め、発掘して、それらを一つの器用仕事の中で集めて仕上げていく。いわば歴史のゴミ、歴史という流れの底にたまったドロの中で、泥人形のようにして生きていく。そういう人間にとって芸術家は創造者にみえる。実は受動性は同じなのかもしれないが、しかし、何よりもうらやましいのはその経験の直接性と外向性である。作業対象が頭の中にあるのではなくて、目の前に「もの」としてあることである。
しかし、今回の場合は、歴史学者にとっても相当に状況は違っていた。つまり、作業の素材として「自然」そのものが眼前に登場したのである。そして、人として生きている以上、東北と福島の問題は過去の問題ではなく、現在に直結していた。そして、今年一年、ともかくもそれらの直接的な経験のそばで集中して作業にとり組むという形で学術が全体として現代性を要求された。だから、今回の場合は、奈良さんがいったような感じ方がよく分かるし、共感ができる。
このような「共感」を各々の独自の仕事の枠組みをこえて相互に実感すること、そしてその中から、少しでも現状の変化に前進的な役割を果たせるものを確保することが必要なのだと思う。ともかく、問題は始まったばかりなのである。
『歴史のなかの大地動乱』のあとがきの最後に、次のようなことを書いたが、これはいま読むとたしかに自分の経験を表現していると思う。
歴史学の役割のほとんどは、過去を復元し、取り戻すことにある。そこに様々な問題があるというのは、歴史家としての職業的な反省であり、それは、今、さまざまな職業ごとに、さまざまな形で反省されていることに共通する。しかし、このような反省や個人の思念をこえて、過去は、この列島に棲む人々すべてに関わってくる。大震災の実情に接するたびに、このような遠回りの仕事が何かの役に立つものかどうか、考えることは多いが、しかし、ともかくも、このように聞き取った過去の声を、多くの人々に届けたいと思う。
さて、千葉達朗さんの赤色立体図の番組は、もっと長く本格的なものと思ったが、意外と短かった。しかし、9世紀の富士噴火の割れ目噴火のあとの画像はきわめて印象的であった。 番組の紹介では、千葉さんが火山の研究に志して今までそれを追究している理由は伊豆の火山噴火の問題にあったということである。それは火山学の研究者の間での共通体験なのだろう。千葉さんは、私が論文のみで知っている歴史火山学の研究者と知り合いに違いない。脳神経の仮想的な連鎖の中では、知り合いの知り合いである。
私が赤色立体図を知ったのは、ともかくもプレートテクトニクスを勉強しなければということで、新妻信明さんの『プレートテクトニクス入門』(これは歯が立たなかった。なにしろオイラーの定理という話から始まるので)などの本をめくってみた時、そして新妻さんのホームページを更新されるたびに見るようになってからである。そして箸墓古墳の赤色立体図をしってからである(地震火山71、7月16日のエントリー)。この図面は素晴らしいもので、前方後円墳の本質についてさまざまなことを考えさせてくれた。
しかし、この赤色立体地図が日本で千葉さんによって開発されたものとは知らなかった。そして千葉さんが石巻の御出身であることは知らなかった。それ故に、石巻の日和山の上からの景観を、この番組でみるとは思っていなかった。
火山学の研究者で私がお会いしたことがあるのは秋田大学の林信太郎氏のみだから(研究会で挨拶しただけだが)、二番目に顔を知った人ということになり、御出身の土地とお仕事を知った人としては初めての方ということになる。しかし、これによって知り合いの知り合いの網の目が一挙に具体的になったように感じる。
何といっても、赤色立体地図の印象が強い。番組では富士樹海での調査の時にそばを通りかかったハイキングの女性が、赤色立体地図をみて「気味悪い」といっていたが、たしかに、それは我々が棲んでいる場所の「ぱっとはぎ取ってしまった後の世界」を印象させる。展示するのが適当かどうかが問題になっている人体の生の組織展示や人間の筋肉の解剖写真のような印象がする。赤色立体地図に描かれた火山の噴火口などは地球にできた腫れ物という感じである。レーザー光線によってみた地球。
しかし、この視覚イメージを小学生の頃からみていれば、地質学的自然というものが現実に存在するという下部意識を養っていくことになるのだと思う。日本で開発した技法。これを世界中で、教育の場所で使うようになればよいと思う。それは地球と世界の観照の仕方、そして地球の上での生活感覚を変えていくのではないかと思う。
新潟の矢田俊文氏が、歴史学者は、研究対象の地域の地質を知らないで研究はできないといっているが、ともかく、自然観の基礎に、このベースが据えられなければならないのは明らかだと思う。
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