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2012年9月 8日 (土)

地震火山75立原道造と『地震に克つニッポン』

Cimg0772  今日は東京大学の海洋アライアンスという文理融合の研究プロジェクトで出した本、『地震に克つ日本』(小学館)の発行打ち上げの飲み会で、根津へ出る。根津の串揚屋さん。
 根津にむけて歩く。ショックだったのは、東大の弥生門をでたところにあった立原道造記念館が取り壊しになっていたこと。資料はどう処理されたのであろう。おそらく20年もの間、いつか入ってみようと思ったまま、入らないままでいた。一度入っておけばよかった。
 立原道造の詩は、高校生の頃の愛読詩集の一つ。高校の授業で右遠(俊郎)先生の解釈をきいてむやみに感動したことを覚えている。解説の中身はわすれたが、詩自身はいくつも覚えている。立原は建築家の道に進んだが、それでは生計を維持できなかった。そして第二次世界大戦の進行とともに、日本ロマン派の影響をうけ、文学者としては大成しないまま(であろうと思う)、文庫本にして一冊の詩集を残したままで死んだ。立原が日本ロマン派の影響をうけて、「戦争の勝利」をいわう提灯行列に参加したという杉浦明平氏の書いた伝記の一節を読んで、その生と死の脆さに驚いたのは、大学院生の時だろうか。ずっと読んでいなかったが、その詩集が、いま、居間の書棚のところにあったと思う。
 われわれの世代では高村光太郎を読んで、中原中也、立原道造、そして三好達治を読むことが多かったと思う。いまの若い人はどんな詩集を読むのだろう。それとも詩集というものを読まないのだろうか。
 いま、よく飲んで、総武線の中。仕事はできないので、ワープロに向かって感傷的なことを書いている。

 飲み会は、海洋アライアンスの浦機構長、浦辺副機構長と、地震学の都司先生などと一緒。浦機構長は、茨城・福島沖の海底土の放射能調査や、そして会議で夏もまったく休んでいないと。あさって放射能調査の結果の記者会見だが、これは本当に大問題である、もっと体制を強化しなければならないと強調していた。都司先生は田老町でのまちづくりの委員会に出張して,その帰りということだった。会議時間が予定よりも延長され、ようやく来たとおっしゃっていたが、タフな古武士のような風格はかわらない。恩師が一緒のはずなのだが、ただいつもばたばたしてゆっくり御話しする機会がない。今回もそういう事情で少し遅れて来られたので、席が離れ、ゆっくり御話しすることができなかった。
 私などは不急・不要の研究者であることはわかっているが、空元気でもださねばという気持ちになる。『地震に克つ日本』の話で盛り上がる。この本は、海洋アライアンスのメンバーを中心に、3,11に対する地震学、海洋学、歴史学、社会学、法学などがどう立ち向かっているかをわかりやすく書いた本である。相当の内容があり、図版もわかりやすい。
 私も、地震研の平田直氏、都司先生と一緒に座談会に参加した。私はどちらかといえば言語不分明の方であるが、さすがにライターの人が書き起こしてくれた座談会記録はわかりやすい。私の写真ものっていて座談会の写真は仏頂面であるが、巻末の写真はまだ普通の顔である。
 平田さんは「南関東における巨大地震発生予測確率、30年で70%の正しい読み方」、都司さんは「安政江戸地震を精査してわかった首都・東京のウィークポイント」、またわたしも「『方丈記』の短い記述が示唆する若狭津波の可能性」というインタビユーをうけている。私の場合は、インタビユーとはいっても、下稿を書いた上で、文章化はライターの人がインタビュー形式にしている。
 そのほか、たいへんにわかりやすい本である。とくに自然系の研究者が3,11で何を考えているかがわかるように思う。小学館の編集者が、先週はずっと東北をまわってきた。どこにいっても研究者集団の中に東京大学の研究者やプロジェクトが動いていて、東大の研究者はよく頑張っていることがわかるといっていたのが印象的であった。大学は、3,11後の東北への関わりをさらに重視すべきだし、文理融合の研究を戦略的にさらに本気で進めなければならないということであった。
 さて、私がうれしかったのは、ウナギを研究されている大気海洋研究所の塚本先生の研究室の青山さんにあったこと。以前、海洋研で鎌倉時代のウナギについて講演したことがあり、その時にもお会いしているらしい。塚本先生によろしくと申し上げた後で、ひょっとして、アフリカでウナギ標本を求める旅を描いた聞くも涙の物語、『にょろり旅』(■■■文庫)に関係があるのですかと聞いたら、ご本人であった。署名してもらうにも本をもっていなかったので、記念に写真をとらせてもらった。

 浦環教授の記者会見は9月7日の新聞にでていた。福島と茨城で沖合まで連続的に放射能の濃度変化をはかることがどうしても必要であるということで、9月7日の東京新聞では「データがなければ対策もってられず、国は組織的に調査すべきだ」という浦教授の見解もでている。『地震に克つニッポン』には、海洋工学のロボットによって津波被害の行方不明者の捜索を行ったこと、そしてさらに、その仕事を続けたこと。「寝てても寝覚めがわるい。ご遺体が私を待っていると思うから」とある。そして漁場の環境調査も行っているとのこと。頭が下がる。

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