獲得型教育研究会で講演ー地震火山神話をどう教えるか
土曜日は「獲得型教育研究会」で講演。『歴史のなかの大地動乱』の第四章「神話の神々から祟り神へ」をレジュメに組んで、その全体を話す。質問を入れて2時間の時間をいただいたので、1時間を右の「神話の神々から祟り神へ」の紹介、そして20分ほどを、今年春に小学校で話した「龍の話し」のパワーポイントにそって神話教育に関係する話しをした。
私は、すでにわかってしまったと感じていることを繰り返すのは苦手。いつも新しくわかったという感じを「ばね」にして話しを組み立てるというやり方でやってきた。今回も、前日まで新しい話しを考えていたが、結局、そうそう新しい話しを最初から組み立てるのはすぐにはとても無理ということがわかった。そこで、前夜になって予定を変更して、『歴史のなかの大地動乱』の一部を話すことにした。
しかし、同じことを繰り返して話すということもするべきことなのかもしれない。ともかくも昨日は国語・英語・音楽などの集う分野横断型の教育の研究会で話しをして自分でもいくつかの発見があった。学者と教師は同じ専門性の中に生きる人間なので、話していても親しい感じがする。話しやすい。
講演に行く時の電車の中で考え、そして講演のラストに話したのは、「神話の神々から祟り神へ」というテーマの現代的な意義は何かということであった。これまでも無意識には考えていたが、自著の、この部分をあらためてふり返ってみるなかで、次のようなことが自然に浮かんできた。
つまり、教師の方々を前にして話すということになると、この問題が、結局、「神話」を、どう子供たちに伝えるかということであることを実感した。そしてそもそも、「神話」をどう考えるかは、やはり「日本の学術と文化にとっての最大の問題の一つ」であるとも思う。最近では、娘が読んでいた、こうの史代さんのマンガ『古事記』を読んだ印象が強い。私は、『古事記』は実に面白い。残っている文学としても、当時の世界水準からいっても、実に見事な文学だと思う。それをどう生かすか。
それを検討していく上で、前提として重要なことは、「明治維新」の中で形成され、第二次世界大戦の敗戦の中で、大きく影響力をうしなった国家神道、しかし、現在でも影響力を失いながらも確実に存在している国家神道と「神話」それ自身を区別することである。これは歴史学者としてゆずることのできない一線である。
私は島薗進『国家神道と日本人』(岩波書店)が明解に描き出したように、現在の日本社会の中にも「国家神道」は確実に生き延びてきたと考えている。しばしば日本社会の支配的な思想の中には「宗教は存在しない、無宗教である」という言説がみられるが、実際には薄められた国家神道は存在しているというのが事実であると思う。その場合に「国家神道」というのは村上重良氏の議論を受け継いで島薗氏がいっているように、皇室神道(宮廷神道)+神社神道(神官貴族の神社)+国体論(「万世一系」)の三位一体でできているものである。普通の国民意識の中ではこれらがあつまって三位一体をなしている様相はみえないが、たしかに存在して、日本人の精神や宗教意識に大きな影響をあたえているという島薗氏の意見は説得力がある。
そういうものとは別の次元で、事実として存在した「神話」を民族的な文化遺産の重要な一部として評価しなおすこと、その全体像を捉え直すことは歴史学にとって大事な仕事である。歴史学はそれをはっきりと課題として提示した戦後派歴史学の中心人物、石母田正の「英雄時代」論にもどって問題を考え直す必要があると思う。
その場合にとくに重要なことは、次の二つ。第一には、『歴史のなかの大地動乱』で描いたような日本の神話のもつ統一的な世界観、国土観をさらに明瞭に描き出すことである。雷神(タカミムスヒ)、地震神(スサノヲ・オオナムチ)、火山神(イザナミ)の三位一体によって描き出された、この日本列島についての神話的なイメージである。これはある意味では日本の国土についてのよくできた理解可能なイメージであると思う。これは、それ自体としてはけっして単に荒唐無稽というものではない。自然科学による日本列島に対する地質学的な認識をベースに国土論、国土イメージを形成していく上でも大事な位置があると思う。つまり、日本の自然認識の一部としての神話論ということである。
第二は、「神道」のもつ「忌み」の思想の意味を考え直すことであると思う。これは益田勝実がいうようにたいへんに興味深いものであると思う。益田のいうことを少しパラフレーズすれば、日本の村落は、「忌み」という形で、対象的な自然と人間の主体的自然がじかに向き合う時間を季節的に作るという習俗をもちつづけていた。そして、この民衆的・村落的な神の習俗は、九世紀の村落社会が神話世界からの離脱の中で生み出したもの、神話の中から、その遺産として社会が抽出してきたものではないかと思う。それは共同体的生産を支える世俗的な思想、東アジアにおける現世宗教(Secular religion)の一形態である。それが自然の持続的な開発、あるいは逆にいえば意識的保存の装置として機能しつづけていたことは、各地の神社の境内をみればわかる。
抽象的な言い方ではるが、これを御話しした後に、この間の私の持論になっている「安全神話という言葉への違和感」を説明した。「安全神話」という言葉は、「神話」というものは悪いということをいっている言葉であって、これは「神」を蔑するものである。私は無神論者、唯物論者であるが、そうであるからこそ、その対極に存在する宗教意識の内部に存在する価値あるものに意識的でなければならないと考える方である。宗教がなければ無神論も存在しないのである。そして、そもそも、安全神話という言葉は、いわば「一億総懺悔」と同じで、「原発事故」は社会全体が悪かったというニュアンスをふくんでいる。懺悔だとか、神話だとかいう宗教的な言葉を世俗的な事態の説明にもってきて、ものごとを曖昧にするのは日本語の悪しき伝統である。
もちろん、原発震災は、さまざまな立場を超えて、日本社会のあり方に対する反省、内省を迫っている。しかし、そのことと、実際上、系統的・意識的に「安全宣伝」をしてきて、社会に対して甚大な損害をあたえた政治家や企業集団が存在したということは別のことだろう。「安全神話」という言葉は、その事情を曖昧なままにして物事を語るためにマスコミが作りだした言葉である。
それにしても、この三、一一の後の時間に、一貫して原発の危険性を警告し、原発震災の危険を訴えてきた地震学者、石橋克彦さんとあらためて面識をもつことができたのはありがたいことであった。そのことの感情的な支えなしには、史料の分析と総合によってなかばは自動的に進むことのできる歴史学のような「運・鈍・根」の学問の仕事といえども、私には進めることはできなかった。神話論の内部に切り込んでいこうというような志向をもつことはできなかったと思う。
さて、獲得型教育研究会は面白かった。代表の渡部淳氏は母校の国際キリスト教大学の後輩で、大学時代から親しい。ICUは今でもよいが、彼はICUのよい時代を思わせる人。少し詳しくいえば、彼は、私たちの「大学紛争」の時代には現実にはなかったようなICUの教養主義の様子を体現するような人である。
彼のいう「演劇的な知」の活動すべき場所としての教室という考え方は、私は重要であろうと思う。教師が自己の授業の「演劇」性を自覚することが、自分を客観化するための哲学的あるいは心理的な保証である。そしてそれは教師が、これは一つの「演技」であるということを自覚していることが、生徒=子供の思想信条の自由を確保する上で、きわめて重要である。そして教室が劇場であるということは、そこが教師と子供がともに作り上げていくべき場であることの正確な自覚にむすびつく。
しかし、問題はさらにその先にあるのだろう。つまり、教育の演技性は真理の相対性を表現するが、それがダイナミックなものとして、真理の質の徹底(いわゆる絶対的真理)にむけての螺旋をえがくためには、基礎構造としての研究と教育の統一が絶対的に必要である。演技である以上、多様な台本が次から次への生産されることが必要であり、その中で、台本の解釈そのものが時々刻々相対化されなければならない。
知識の運動の中に、そのような仕掛けをもつことなしには、演技は演技として成立しない。学問と教育が豊かな相互関係をもつことなしには、劇場は劇場性をもたないのである。これは劇というものが日本の文化の中でどうなっているかということに深く関わってくる。
渡辺淳氏のブログには、彼のイギリスの劇場への強い共感が表現されているが、ヨーロッパの劇場文化の基礎には、豊かな社交と音楽と「富」が、それを支えるものとして機能する地盤がある。最近の日本には「空がない」だけでなく、社会に根をもった「劇がない」。劇において社会の芸術が表面化する構造と授業において社会の文化・学術が表面化する構造は同じことであると思う。
さて、研究会のあとは懇親会であった。私は飲み過ぎたが、これも楽しかった。話題は、学者と教師のネットワークをどう考えるか、それを時間をかけて作っていくということはどういうことか。より一般的にいえば専門職のネットワークが社会にとっていかに大切かという話しにもなった。専門性と専門職のネットワークが機能しない。それをどう機能させるかを、日本社会が処遇することを知らないというのが、日本社会の最大の脆弱性であるという話しをした。専門職をムラにしてしまう構造をどうするか。
社会は共同体における「対自然」の協同意識と、専門職のネットワークによって基礎から民主主義的に組み上げられるべきものである。その二つの場面に意識的になることは原則な倫理の問題である。その意味でも学術の世界の中に「ムラ」をつくってしまうのは、根本的な錯誤であるが、それを不可能にする条件は、やはり現代の精神的生産をめぐる社会的分業の中では、中軸としての学者と教師の連携であると思う。
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