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2012年10月16日 (火)

史料編纂所でのシンポジウム

 朝の総武線。一昨日は(10月12日)職場の共同研究関係の集会で和紙研究についてのパネルがあり、出席。
Img06347  富田正弘氏(富山大学名誉教授)「対馬宗家文書の料紙研究」、藤田励夫氏(九州国立博物館)「古文書料紙の物理的手法による調査研究」、角屋由美子氏(米沢市上杉博物館)「古文書料紙の物理的手法による調査研究ー上杉家文書による戦国期料紙の再検討」、江前敏晴氏(筑波大学)「中世古文書に使用された料紙の顕微鏡画像のデータベース化と非繊維含有物の分析」、高島晶彦(史料編纂所)「料紙研究の成果とその応用ー保存修復と史料学研究」からなる。
 私が和紙研究にとり組み始めたのはお寺の文書の調査をしている中で、重要文化財指定に協力することになり、作業が大規模化する中で科学研究費を申請した。その時、当時、本格的に始まっていた和紙の歴史学的研究を、その科研の一つのテーマとしたのだが、それが長い研究の始まりとなった。
 その時、高知県紙業試験場に行って、大川昭典氏に教示をうけ、さらにそのころは東大農学部にいらした江前敏晴先生に協力を求めたのが、自然科学的な研究を知った最初であった。その時、大川さんに和紙のネリ剤につかわれるトロロアオイの澱粉の顕微鏡画像をみせていただいたのは今でも印象に残っている。ヨードで染めた青い綺麗な画像。あの形は今でも覚えており、紙の繊維を顕微鏡で見るたびに、その中に含まれていないかを探す癖がついている。しかし、いまだにそれを和紙の中に確認したことはない。
 江前先生とは、そのしばらく後に、米沢の上杉博物館にいって文書の調査を御一緒した。なにしろ同じ大学で近かったので、江前先生の農学部の研究室にうかがってお知恵をいただくことが多くなった。農学部の製紙科学の研究室は史料編纂所と同じように手狭で、先生は教室の隅に机を一つ確保しているだけで、他は実験設備と学生の研究スペースに開放されているのに、親近感をもった。今回の先生の報告は、和紙の中に含まれる非繊維物質のうち紙質を作り出す上でもっとも重大な意味をもつ柔細胞についての報告であったが、楮の表皮に含まれる柔細胞が、生産された和紙の中にどのように残っているかを疑問の余地なく示したもの。これは今後の和紙分析の基礎になるだろう。
 次はトロロアオイのネリ剤が生産された和紙の中でどのように形態転換して残っているかを明らかにする課題があるはずである。考えてみれば、大川さんがみせてくれたトロロアオイの画像そのものを和紙の繊維の中に探すのは、そもそも無理な話しだったのかもしれない。いずれにせよ、トロロアオイが紙の中にどう残っているかが、分かれば、和紙においていつ頃から、どのようにトロロアオイが使われるようになったかを明らかにできるだろう。和紙は、本来、百済系の渡来人がもってきた檀紙つまりマユミ紙から始まった。トロロアオイが、いつから使われるようになったかということは、日本の製紙技術の確立過程を考える上では決定的な問題であるはずである。

 私にとっては、こうしてお寺の4000通余りの文書の紙質調査をして調書を書くという作業にとり組んだのが、最大の基礎経験となった。この時、史料編纂所の修復室・写真室の協力をえられたのが本当にありがたかった。和紙の紙質についてそれなりに自然科学的な目をもっているというのは、編纂をする上で強い味方になり、作業を安定化させる。今日の史料編纂所の修復主任、高島晶彦氏の報告は見事なもので、それを聞いていると研究所における技術専門研究者の位置の役割の重大性を実感する。
 九州国立博物館の藤田氏と米沢市上杉博物館の角屋氏も研究の仲間。藤田氏には史料編纂所の関係でさんざん世話になったが、私が代表をつとめていた和紙科研の研究が博物館に少しでも役に立ちそうでありがたいことである。角屋氏には、江前先生と知り合った直後に上杉博物館に行って以来のご縁。もう何年になるのだろう。本当に長いと思う。

 こういう種類の時間がかかり、しかも共同がどうしても必要な研究というのは普通の歴史学の共同研究とは異なっている。私の知っている限りだと、なにか考古学の学会に似ている感じがする。そもそも「物」をみる経験によって進まざるをえないという種類の研究である。もちろん、顕微鏡や光沢度計その他の機器を使い、できるかぎり標準的な調査と記録の方法を作りだしてデータベース化し、それによって情報を蓄積し共有するということを目ざして研究を進めるのだが、これだけ事が困難だと、いつも丈夫の心という訳にはいかない。研究が進まなければどういうデータをためてよいのか、このデータの取り方でよいのかに確信がもてなくなり、心細い思いを何度もすることになる。そういう中で、自然科学というのは頼りになるものだということを実感する。これも考古学に似ているように思う。
 
 この種類の文理融合、大学と博物館の協同という研究のスタイルがさらに増えていくといいと思う。私の職場は研究所なので、研究のスタイルは先端的であると同時に地道な基礎研究でなければならず、しかもそれが協同的な場を広げるものではければならないのだが、今回のような場合は、富田氏などの先行する研究と文化財行政の中での大量の経験に教えられて進むことができた。富田氏の報告は、韓国・中国・琉球の文書料紙との比較という気宇壮大なもの。この東アジアの紙という問題が最終ゴールなので、まだまだ時間はかかるに違いない。
 帰りの総武線。今日はいろいろな人にばったりの日。本郷通りで、和田先生。東京駅でエディターの長井さん。

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