アイパッドとデータベース
今日帰りに本郷三丁目の駅で、以前、ゼミをもっていた時の院生のK君がベンチにいたので、「どうしてる」という話しになって、電車に乗りながら、彼が書いているという論文についてのアドヴァイスをした。たしか、こういう史料とこういう史料があったはずだ。永原先生のあの論文を読んで、それからこの言葉を調べてという話しをしたら、彼が、やおら、カバンから薄っぺらいものを取り出した。「これはアイパッドであろうか。この前、同年輩の仲間との合宿でT氏がもっていたのをみたが、あれよりは、さらに薄っぺらいように思うけど、メモでもするのだろうか」などと見ていたら、史料編纂所のホームページにアクセスをして、『平安遺文』のデータベースを引きだしたので驚いた。
彼が、その言葉を入力して検索をかけるのに10秒ほどだったろうか。もうそんなことができるのだと感心した。もちろん、仕事では職場のコンピュータでよくデータベースは使うが、地下鉄の中で、すぐにみれるとは知らなかった。「エー、そんなに簡単にできるの」と感想をいうとともに、自分がまったくの時代遅れであることを確認した。
検索の結果がすぐに出てこず、彼が「あれ、電波が切れたか」という。本郷を通る地下鉄丸の内線は途中で電波が切れるらしい。しかしその途端に、検索結果がもどってきた。データベース作りの仕事を始めた時に覚えた言い方では、検索結果が「返戻」されてきた(これはretrieveの翻訳であろうか)。そして、彼が器用に指を動かして画面を拡大して見せてくれると、たしかに、その言葉が中央にならぶ検索結果の画面がみえた。
いま、総武線の中、本郷三丁目から東京駅までの10分弱で、上のようなことがあるのだから、そのスピードに驚く。若い人の研究が、どんどん進むといいと思う。『平安遺文』のデータベースは、もう15年ほど前であろうか、古文書フルテキストデータベースを構築するという科研の計画を立てた時、竹内理三先生、竹内啓先生に御願いして課題に加えさせていただいたもの。実際にたいへんであったのはE氏で、あとのメインテナンスも、私は責任をとらず申し訳なかったが、ともかく若い人の役にはたつのだろうと、今日の地下鉄の中での会話を思い出して考える。
彼は、これ(おそらくアイパッドなのであろう)を使うようになってから勉強がはかどるようになったともいっていた。論文もスキャンして、それで読むそうである。「今日の朝も、先生(私のこと)の■■の論文を読みました」ということである。本よりアイパッド(であろう)に入っているほうが頭に入りやすい(整理しやすい)ということである。そういうものかと思うが、しかし、若い人には必要なものなのかもしれないというのを実感。
論文を書くというのは、多量の史料の中からうまく問題を見つけだして自由に考えて、構想と理屈をまとめるという作業だから、たしかにデータベースは役に立つと思う。もちろん、政治史などの限られた史料の処理には(便利ではあっても)あまりデータベースは役に立たないが、彼が興味をもっているような経済史などの、歴史学の中でも最もむずかしい分野では、何よりも発想が先だが、それでも自由に史料を集められるのは決定的な意味をもつのかもしれない。
間近で彼の指の動きをみていて、これは、何か、研究というより楽器を扱っているようだ、音楽の作曲のようだなどと馬鹿なことを考えていた。しかし、(自分も不足点が多いとはいえやってきた仕事なのでいいにくいが)編纂も、データベース作りも基礎工事であるだけに、いわゆるムスケルであって労多い仕事だが、その上にかなでられる音楽のスピードが増していくのはよいことだと思う。史料編纂所は、名前通り、編纂がデューティーになっている研究所なので、データベース作りは、ある意味ではボランティア的な奉仕労働に依拠しているが、今日のようなことがあると、少しは自分の仕事にも意味があったのかもしれないと思って、うれしい週末の帰りの電車である。
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