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2012年11月 2日 (金)

平和のための宗教者研究集会報告書、加藤生田神宮宮司の講演

 

Katouguuji121102_040753 『平和のための宗教者研究集会報告書』(38回)を入手した。そこに生田神宮宮司の加藤隆久氏の講演がのっていて共感することが多い。一部を引用してみる。

 被災地から離れた地域からなし得ることはまだ限られております。宗教の社会貢献の必要性を訴える声は、最近、高まっていたのでありますが、それは、宗教本来の事柄ではないと、いささか冷やかに見る人もなくはありませんでした。俗な価値観から距離を置くことに宗教の本来の姿を主張する立場も当然あります。しかし、こうした本当の助けの欲しい人が大勢いる時に、一般の人以下の対応であっていいのであろうか、どうしたらいいのか、どういう手段があるのか。それは日頃から、社会性を養っておかなければ解決策はにわかに生まれるようなものではありません。
 日本の歴史をひも解いてみて、古代では、自然災害とは神の怒り、祟りと考えられていました。神は地域を守護する神であると共に、祟り神としても信仰されていました。貞観十一年十月十三日に起こった陸奥の国の震災、同じく貞観十一年十月二十三日、肥後の国の大雨による災害など、古代には災害を鎮めたり未然に防ぐ祭祀が行われていました。さらにさかのぼって、記紀の神話にも震災の経験が織り込まれております。
このように、我が国の古代の歴史や伝承に目を向けることで、震災を組み込んだ歴史観の再認識も必要で、これらを現代に生かせる方法を考えてみてはどうかという意見もあります。今回の震災は、想定外といわれますが、人知で計り知れないのが自然の営みで、皆が驕りはなかったのかと、自分の身に置き換えて考える必要のあることを指摘する人もいます。「原発問題でも、原子力という自然にないものを人間が作り出したことで、神々の怒りを買ったのではないか」という人もいます。震災からの復興、原子力発電所問題への対応、これに宗教界が特別な貢献をできなくても仕方がないでありましょう。神の世界では、やり直しを認めています。しかし、原発はやり直しがききません。それは、その専門家に対処を委ね、それを支援していけばよいと思うという意見もあります。
一方、福島県三春町生まれの僧侶であり作家の、東日本大震災復興構想会議委員の玄侑宗久さんは、復興に際して、あるいは原発事故の後処理において何が最も大切なものかと考えると、逃げまどい家族を失い、避難生活を強いられている人々の視点ではないか、度の専門家にも引き寄せず、つまりアテガイブチの物差しを使わず、しかもどんな組織にも気を遣わずモノが言えること、これこそが復旧・復興機構の基本ではないかと述べています。いわゆる専門家に任せておいた結果が、あの福島第一原発の事故とその後だということを忘れてはならないと、警告を発していることも宗教者は耳を傾けるべきであります。
宗教界は、この未曽有ともいうべき災害に直面したこと、自らの日頃の活動のあり方の改善や見直しにつなげていくことこそ、宗教界独自の災害の向かい合いということになるのではないでしょうか。人類という小さな枠を超えて、地球的、宇宙的視野のもとに今、どうあるべきか、人類は襟を正して文化のありようを大きく軌道修正すべきではないか、宗教者もう一度、日本の国土を考えさせる機会を多くの犠牲者の上に立ちながら教えを受けたと思うのです。

宗教者の立ち位置と学者・研究者の立ち位置は似ていると思う。これは職能と生活の感覚が似ているのであると思う。「生活の感覚」が似ているというのは、まずは自己の職能の社会的な意味を問わざるをえないということである。原発に関係したいわゆる「専門家」には耳が痛いことであろうが、これが共通の声であろうと思う。

 とくにもう一度の引用になるが、「日本の歴史をひも解いてみて、古代では、自然災害とは神の怒り、祟りと考えられていました。神は地域を守護する神であると共に、祟り神としても信仰されていました。貞観十一年十月十三日に起こった陸奥の国の震災、同じく貞観十一年十月二十三日、肥後の国の大雨による災害など、古代には災害を鎮めたり未然に防ぐ祭祀が行われていました。さらにさかのぼって、記紀の神話にも震災の経験が織り込まれております。このように、我が国の古代の歴史や伝承に目を向けることで、震災を組み込んだ歴史観の再認識も必要で、これらを現代に生かせる方法を考えてみてはどうかという意見もあります」という部分は、歴史学者としても、その通りであると思う。

 生田神社は阪神大震災の時にたいへんな状況になったことは写真を覚えている人もいるのではないか。9世紀の地震活発期にも、貞観10年、868年の播磨地震で被害を受けていることは、まさに「祟り神」として、この播磨地震を起こした神として史料に登場することでわかる。
 このパンフレットで、仏教・神道・キリスト教の相異なる信条をもつ宗教者がともに議論をしている様子は励まされる。しかし、翻って考えると、同じ事態に対して、学者はどのようなネットワークを作り、どのように発言をしていくべきなのだろうか。してきたであろうか。この『報告書』にあるような率直さで学者相互の議論をしているだろうか。「それは日頃から、社会性を養っておかなければ解決策はにわかに生まれるようなものではありません」という言葉に耳の痛くない学者はどれだけいるだろうか。

 ともかくも、足下の歴史学の役割を果たしていくしかないのであるが、全体がどうなっていくのか。いまの私には、本当にわからない。

 いま、総武線の帰り。一昨日は、友人の編集者、御二人と、久しぶりに飲む。最近の歴史学会の状況についての感想、情報交換や、共通して親しかった網野さんなどの先輩研究者の話である。
 期せずして一致したのは、三,一一の後、網野さんが生きていたら網野さんは「無縁の力」というものの現出を確認するという形で議論を展開したに相違ないということであった。そして、これも一致したのは、網野さんのまわりにあったネットワークは由来するところが古く、第二次大戦から敗戦、戦後の歴史過程に根づいたものであるということ。研究者はたしかに、その研究の世界では、一人一人、孤絶の世界にいるが、網野さんはいろいろな意味で仲間が多かった方だという話し。そして、それと比べると、現在の歴史学は、ほとんどまわりにネットワークをもっていないのではないかという御寒い事態についての確認であった。
 そんなこんなで昨日は憂鬱。寒くなり、季節の変わり目である。

 これから、歴史学の環境が、どのようになっていくのかは私にはわからない。しかし、協同の原点となるような経験を一つ一つ確認しながら進んでいきたいものだと思う。その中で新たに「社会性」をやしなっていかねばならない。

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