行動的な「知」と大学
いま、朝の総武線。東京歴史教育者協議会から歴史地震学に関係する講演をたのまれていたが、テーマを決めてほしいというメールを出張中にいただく。予定は来年の2月24日(日曜)午前10時から。
こういう講演をたのまれる度に、3,11の後、どのように「知」のあり方を意識しなければならないかということを考える。ここが決まらないと若い人に何を語るかということに踏ん切りがつかない。昨夏、J大学で授業をしたが、うまくいかなかった。そこでは、この根本が欠けていたのかもしれない。
ともかくも、そこで必要なものは、一種の行動的な「知」である。内省性とともに、現実的に可能な行動を見通すことのできる「知」のシステムということであろうと思う。自分がいる大学の世界というものが、昨年の3,11から何ができたか、何をやったかを考えると、学術全体が行動にむけての準備をしなければならない、そのための議論をしなければならないはずであると思う。
しかし、問題は、ここ20年ほどであろうか、学術世界が社会的な行動をとることを避け続けてきたことである。
その心理の基礎にあるのは、いわば学術世界の世俗化と金銭化と「労働者化」である。先輩の話などを聞いていると、敗戦後の一時期は別として、学者もかっては給料と年金で現在よりは圧倒的に楽な生活ができたらしい。そういう経済的・社会的な条件というものは、日本の学界からはほとんど消えた。給料生活を長くしていて、こういうことをいうのは申し訳ないが、私が就職したころに、先輩に、「君たちの世代はいいことはないよ」といわれたことを覚えている。
相対的に自由な時間という研究者の「特権」的条件だけは一定部分は残っているが、しかし、経済的な条件をふくめて、ともかくも「好きなことをしていて生きている」という特権性はあまり自覚されなくなった。とくに最近は、研究職につくのが大変であるだけ、それは努力と運によって得たものであるというのは人間の自然な心理である。
ラッキーではあるかもしれないが、別に特権というほどのことはない普通の勤め人であるという自己意識も十分に理由があると思う。こうして、自己の職業生活が当然のことであるということになると、「何のための学問なのか」ということを自分自身に問うという気持ちは消えていく。その代わりに学界という集団的な場をつうじて、いわば同職団体として社会的な責務を考えるということがあればよいが、そういう学術の社会的責務という捉え方自身も少なくなってきた。
これはある意味で、学者の労働もそれなりに「労働」らしい姿をとるようになってきたということの反映であって、自然なことではあると思う。またより本質的にいえばそもそも学術が社会的に役立つということ自身がきわめて複雑なシステムと準備が必要であるようになっている。自分の学問が何に役に立つのか、あるいは何に役に立てたいのかということが研究者の日常意識には見えにくくなっているのである。そして、そもそも、学者としての労働が部分労働の正確さを優先する。部分労働に責任を取り、世俗的な存在として自己を自覚するということは悪いことではない。秀才のエリートよりはずっとよい。
しかし、他方で、こういう「部分労働者化」が学術世界のどこの場所でも進んでいくということは、学術の世界における方法意識を徐々に希薄化させていく。その結果、人文社会系でも方法意識をもつ研究者が少なくなるということになり、必然的に研究者の質は落ちていくというのも否定できないように思う。学術のためには方法が必要であるというのは学術の本質にかかわっており、それは学者の社会的な存在形態とはかかわりのない事柄だからである。
他方、いわゆるエスタブリッシュメント、資源を左右する立場にある側は、ともかくも学術世界が社会的に行動しないように全力をもって努力してきたようにみえる。学者が社会的な行動において協同するということがないことが望ましいという動きである。そこでは、資源配分をうけるためには、あまり目立つことはやらない方がよいという、いわゆる「同調圧力」が全面的に利用されてきた。もちろん、「同調」性それ自身は悪いことではないから、よっぽどのことがなければ「同調」するのが賢いし、安全であるし、職業にとって必要であるという気分は当然のことであろう。そして、学者の政治的・社会的な立場、そして方法的な立場もいよいよ多様になっているから、学者の中での協同、あるいは学派、グループや結社というものは存在しなくなっていく。
こういう事情の下で、資源を握るもの、あるいはエスタブリッシュメントのアカデミーに対する影響力は圧倒的に強化された。そういう積み重ねの中で、3,11に続く原発災害はに対しても大学の大多数が一致した声を上げるということがないという状態がもたらされているのである。
東京大学などという大学にいると、その強さがすみずみまで行き渡っていることを感じる。ここが揺れれば、ある意味では社会がもたないような戦略高地に大学は位置している。つまり、大学というのは、日本の社会システムの中でもっとも強固なエスタブリッシュメントの一部であると思う。これが1960年代末の大学紛争の根本にあった問題であることはいうまでもない。当時、「大学から社会を変えるのだ、学生は自由だ」という意見の人々が多かったが、しかし、私は、むしろ、大学の組織的な変化は根深い社会の動きの全体からみれば、その動きの最後についていくということになるに違いないと考えるようになった。
もちろん、学術が行動にむけての準備する過程では、このような大学のあり方を変えていくということが決定点、旋回点になる。学術それ自身は大学という組織とはちがって、より流動的なものであるし、そうでなくてはならない以上、その変化は最終的には大学の社会的なあり方を変更していくだろう。そしてそれによってアカデミーは、新しい、より「行動的」な自己組織の仕方を確保していくであろう。学術世界全体の中で、もちろん、大学は「学術の中心」としての位置を維持しつづけるであろうが、しかし、その実態はアカデミーそれ自身による無限の自己組織運動のようなものになるのだろう。ただ、それが実際にどういう形をとっていくことなるかということは、そろそろ大学を離れることになる私には分からない。
いま、これを書きだしてから二・三日目、16日朝の総武線。これから羽田。そして金浦空港へ。韓国の日本史学会での報告である。何人かの知人、あるいは論文で名前を知っている研究者にお会いすることになると思う。楽しみである。
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