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2012年12月25日 (火)

71地震火山,地震の神話とタブーの忘却

 公務に一区切りがついて、来年のあるシンポジウムで報告する予定の話しの梗概を送った。年末にむけてもう一がんばりである。
 以前、記憶ということを論じたことがあるが(「情報と記憶」という論文)、しかし、そこではタブーということを論じなかった。タブーは、記憶を強化するようでいて、実は忘失の構造をもたらすのだと考えた。当然のことではあるが、歴史学にとっては重要な問題である。理解すれば記憶は残るのだと考えたい。

地震の神話とタブーの忘却
 地震や噴火などの災害は人間の日常性とは隔絶した長い時間の中で起こり、あたかも偶然であるかのようにして社会をおそう。寺田寅彦は「災害は忘れた頃にやってくる」といい、鴨長明の『方丈記』は、「すなはちは、人みなあぢきなき事をのべて、いささか、心のにごりもうすらぐと見えしかど、月日重なり、年経にしかば、ことばにかけて言ひいづる人だになし」という。しかし、現在は、そういう安直な言い回しや慨嘆で地震・津波を語ることは許されない時代である。学術世界は、このような語り方とはまったく違う語り方を生み出し、それを社会的に共有するための努力を要求されている。
 地震・津波・噴火が、いつどのようにして起こるかは、あくまでも偶然であるが、その発生は、この列島における自然史的な必然である。そして、プレートテクトニクスと地震=断層動の学説によって、地震の発生のメカニズムや周期性が、
誰にでもわかる形で明らかになっている。この列島においては、それはダーウィン革命と同じような自然観の変革につながると思う。人間は理解できないものは忘れるが、理解したものは忘れない。
 報告では、まず『古事記』などに表現された地震神話を紹介し、列島の神話時代の自然・国土観をかいま見てみたい。そして九世紀の地震・噴火活動が、そのような神話的な観念世界にもたらした衝撃について分析し、とくに3,11東日本太平洋岸地震とほぼ同一の規模と構造をもつとされる九世紀の「貞観地震」が怨霊の力で発生したと観念されたことを確認したい。八・九世紀は大地動乱の時代であるとともに、温暖化・パンデミックが進行した時代であって、その点では、この時代と現在は奇妙に相似した風貌をみせるように考える。その大枠は最近刊行した『歴史のなかの大地動乱』(岩波新書)で述べたことだが、報告では、さらにこの地震の記憶が怨霊のタブーの中で辿ったと考えられる運命について論じたい。それは「貞観地震」の衝撃の中で首都・平安京に設立された地震神スサノヲの神殿、祇園社と祇園御霊会をどう評価するかという問題にかかわってくる。
 地震・噴火など、この列島の独特の自然が、歴史社会にどのように作用していたか、それを誰でもが理解できるような歴史像として組み上げ、社会に提供することは、プレートテクトニクスを常識とすることと同時に行われなければならない。アカデミーが、そういう意味での「文理融合」の道を少しづつでも歩むことができるかは重大な意味をもっている。そして、歴史学としては、その中で、記憶の中枢にタブーがあれば、結局、記憶それ自体を忘れてしまう人間の弱さをみつめる視点を提供できればと思う。

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