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2012年12月19日 (水)

自民党の終わりーよくわからないこと

 朝、東京の地下鉄の駅で、北原糸子さんにばったり。来年早くにも朝日新聞出版部からでるはずの地震・津波の座談会で、先日はじめて長時間ご一緒した。遠くから見つけて近寄っていったのだが、途中で気づいていただけた。
 北原先生は歴史地震研究会の前会長。3,11以前、『歴史学研究』に書かれた文章に、地震史・災害史に歴史家の関心が少なく、入会者が少ないと嘆かれていたので(この文章は歴史学研究会のホームページにのっている)、先月になってしまったが、私も歴史地震学会に入会したことを御報告する。
 地下鉄と本郷通りの短い時間だったが、江戸期には災害の時に「頑張る領主」というものがいるという御話しをうかがう。これは重要な話しだと思う。そういう時に「頑張る領主」というのはともかくその役割を認めるべきものと思う。同じ話しの流れで、『歴史のなかの大地動乱』について、災害のときに天皇がどう行動するかは参考になったといわれる。いわゆる「天譴論」との関係でも重要な問題であるということで、光栄であった。
 天皇の行動には、いわば階級的立場による限界というものが最初からあるが、しかし、やはり史料を読んでいると身につまされるものはあると申し上げる。その両面をみながら、気持ちも論理も揺れながら、災害に直面した歴史社会をみるということなしには内面的な歴史理解はできないかもしれない。『大地動乱』は、「中世の人が書いた古代の本。中世の人がみるとああいうことになる」という評価があるということである。私は歴史の段階論としては「日本には『古代』はなかった。奈良時代も『中世』である」という枠を外れた意見なので、『古代史』学界の歴史観というのがよくわからないが、あの本はたしかにそうかもしれないと思った。
 
 さて、総選挙が終わった。東京都で石原後継の候補が圧勝したこと、大阪府で「維新」という政党が各小選挙区で多数を占めたことには驚いた。大阪府が文楽を切り捨てたというのが象徴的であるが、この二つの大都市の行政は、文化・教育の予算をカットし、さらにそれのみでなく、福祉・医療・保育その他の社会的費用を大幅に削減して「財政改革」であると称してきた。そこに投票するのは普通の経済条件の中で生きる我々にとっては、自縄自縛であろうに、どうしてこういうことが起きるのか、現代史家ならぬ私には、十分に理解できない。大都市のあり方に根のある現象であり、いわゆる政治の劇場化であり、マスコミの効果なのではあろうが、それだけでは理解できないように思う。ただ、これらの勢力はナショナリストだとか、右翼だとか、左翼だとか、保守だとかという用語では表現できない(表現すべきではない)性格をもっていると感じる。いまの私には、それをどう表現してよいのかはわからない。
 
 
 他方で自民党の圧勝については、東京新聞の見出しのいう「自民 民意薄い圧勝」ということである。自民党の得票率は「小選挙区24%、比例代表15%」。ようするに小選挙区制効果である。この党の実力と性格からいって、遅かれ早かれ、ひっくり返るだろう。
 長い伝統をもった自民党も、そこで終わりであろう。終わりの始まりである。その壊れ方が害悪をおよぼさないように願う。歴史家からみると、この政党の性格で見のがすべきでないことは、この政党は日本社会におけるナショナリズムと宗教心を軽いものに決定づけていった政党であることである。「祖国」への素朴な共感と「永遠」なるものへの郷愁を日本社会の陰の部分に押し込めていく上で、この政党は決定的な役割を果たした。こういう党が、一種の揺れ戻しであれ多数を取るというのは、日本のナショナルな伝統や宗教の地盤を、また毀損することにならないかというのが心配である。
 もちろん、二・三世代前までは、この党の中には良質の保守の人々がいた。ある御寺の高僧が宇野・中曽根から目に見えておかしくなったというのをうかがったことがあるが、たしかにそれ以前は、それなりのものがあったと思う。それはとくに地方政治では明瞭であり、彼らと経済界の働きが敗戦の焼け跡から日本社会を再構築していったことの功績は否定すべきものではない。私はそう思う。
 もちろん、それと、自民党が占領軍に保護・育成されて戦後社会の支配政党となったという歴史的・客観的な事情は別のことである。しかし、社会党から日本共産党まで、どの政党も、第二次大戦後、いくつも決定的な間違いをしており、その中で、自民党の功罪も公平にみなければならないというのは、歴史家ならずとも当然のことである。
 しかし、自民党がもっとも問題であったのは、古いことをいうようだが、自民党の政治家が伝統的なものを失わせたのは「日教組と共産党」であるといいつづけたことである。しかし、戦後の社会を長く実際的に左右してきた自民党こそが、伝統破壊に最大の責任があるのは明らかである。自分にも責任があることをすべて人のせいにするかのような姿勢が、この党の最大の問題であったと思う。しかも、それがナショナルな利害と伝統という、この党の党是にかかわるところで行われたことが決定的であった。それが、この党から反省能力をうばったと思う。この党の現状をみていると、それはいよいよ拡大する雰囲気である。この間の党首交代劇をみていると「甘えの政党」への一路転落としか思えない。

 たしかに、「祖国」と「永遠」を取り戻すことは、現状の日本社会ではなかなかむずかしい問題である。つまり、特定の歴史社会はナショナリズムにおいても宗教心においても一定の容量、キャパシティというものをもっている。それは無限のリソースではない。ナショナリズムも宗教も社会を無限抱擁してはくれない。日本は19世紀後半以降の帝国主義世界に適応するのに、ナショナルな感情と宗教心をもてる限界まで動員した。当時でいえば、これはある意味ではやむをえない、無理のないことであったと思う。しかし、19世紀末から世界戦争の時代の開始というドサクサの中で、一部政治家と財閥がナショナリズムと宗教心を徹底的に利用し尽くした。彼らのアジア支配の野望、植民地確保の野望のために愛国心と宗教心が利用された。超国家主義と国家神道である。その結果が焼け野原であった訳であるから、ナショナルな感情と宗教心は地に墜ちた。
 問題は、自民党の内部に、この戦争と敗戦に重大な責任のある人々がいたことである。そういう人々をふくむ政党が「愛国」と「宗教」を復活させるのは本質的にむずかしい。自民党は、自己の罪責を隠すという本性にしたがって行動する人々をかばい、それだけでなく、ナショナルな感情と宗教心の失墜の理由を他人のせいにしようとした。
 私は、この点で、寺山修二のいう「身すつるほどの祖国はありや」という感情がよくわかる世代である。そして三島由紀夫の気分もよくわかる。けっして三島の行動には賛同しないが、しかし、私も、高校生の頃、三島の『英霊の声』がでた時に、それを雑誌『文芸』で読み、その慨嘆のトーンに共感した記憶をもつ。

 私は、いわゆるナショナリストではない。しかし、私は歴史家であり、その立場からすると、ナショナルなものの中に入り込み、その正体を見届けることは必須であると考える。この列島の国土と人々、対象的な自然と主体的な自然、つまり「祖国」という空間への感情なしに、人間は成熟することはできない。そして、この列島のナショナルなものは、奥底では東北アジアの諸民族のナショナルなものとつながる要素をもっており、この列島のナショナルなものを心底から理解することは、そのアジアへの脈絡を探すこととほとんど同値である。私の世代だと必ず読んだ竹内好の仕事が、その事情を示している。

 私は、宗教者ではない。しかし、私は歴史家であり、その立場からすると、「永遠」に対する感情を地盤とすることなしには歴史意識と時間感覚を鍛えることはできない。その意味では両者の地盤には共通性がある。「永遠」なるものの自覚・感得なしに過去ー現在ー未来を有意味なものとして知ることはできない。そこに我々が投げ込まれ、もがき続けている場を相対化するためには、永遠の光、永遠の相というものが必須である。その自覚のスタイルとして宗教というものが人類史の中に存在しつづけることは明らかである。東北アジアの、そして世界の異なる諸民族との共存を考えるために「永遠」の自覚、人類史の知識が必要になることはいうまでもない。宗教は、それを考えるために、我々の時代に提供されているもっとも重要な文化の一つである。

 現在の焼けつくような問題でいえば、ナショナリズムについては沖縄と原発である。沖縄の基地を放置し、福島に対して棄民政策をとるようなナショナリストは語義矛盾である。本当に心配である。沖縄も、原発も、我々の世代にとっては骨絡みの問題である。

 宗教については、すでに忘れられつつあるのではないかというのが心配であるが、オウムである。「無宗教」のようにみえる社会、宗教的内省の雰囲気が存在しない社会は、決してよい社会ではない。それが何を生み出すかをオウムは示した。第二次大戦後の無宗教の社会的雰囲気は、宗教の政治利用と裏腹の関係にあったが、オウムという疑似宗教は、ぎゃくに社会の各分野に介入しようとした。政治に入り込もうとした。その幻想がオウムの中に入り込むことによって、あの「宗教」は暴発した。

 さて、社会的な事柄を表現するのに、宗教用語を使うというのは、かならずしも正しいとは思わないが、しかし、今回の総選挙の結果は、「仏の顔も三度」という諺を思い出させる。この諺は、それ自身としては「宗教的な正義と寛容までをも踏みつけにすると何が起こるかわからないぞ」ということであろうか。
 最近の政治劇の第一度目は、「小泉の郵政民有化スタントショウ」、第二度目は、「民主党への政権交代喜劇」、そして今回の三度目は「自民党のドサクサ勝利」である。この三度目に、福田・麻生・安倍と、すでに人々を「三度」踏みつけにした自民党が挑戦するというのだから、どうしてもさめた見方にならざるをえない。
 多くの歴史家と同様、私は、福田氏が首相となり、歴史アーカイヴを重視するという政策をだした時に歓迎した。これはよい方向であると考えた。しかし、麻生・安倍という交代劇にはあきれてものが言えなかった。大人のやることかというのが社会人一般の反応であろう。今回、どうなるか、若干、激語をすれば、それは喜劇であるから、それだけならば仕方がないと思う。しかし、自民党の終わり方が別の何をもたらすかは深刻な問題である。そして、この事態の全体がいったいどういうで、どこへ行くのか、これも現代史家ならぬ私にはわからないことである。

  昨日、昼御飯の後、構内で久しぶりに工学部の友人、T・I氏にあう。このブログを読んでいるということで驚く。このエッセイ、しばらく前にできていた文章だが、万が一の誤解を呼ぶ表現がないように、朝の総武線で読み直し、修正した。
 彼は、元気そうである。我々の世代は、おのもおのも、やり残したことが多いから、定年に近くなると元気になるのかもしれない。

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