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2012年12月10日 (月)

驚いたー「韓日伝統美の饗宴」

 いま総武線。土曜午前だが、昨日金曜日は夕方、韓国文化院で開催された「韓日伝統美の饗宴」に行ったために、予定の仕事ができず、出勤。
121210_113003  連れ合いが申し込んでいて、幸い、券があたって二人でみてきた。私は、従姉妹の一人が仕舞をしていたことがあって、中学・高校時代は、よく能楽堂にいって能・狂言をみた。鼓の音、地謡の響きも好きで、身が引き締まる感覚をしっている。しかし、今日の経験は衝撃。「かくも長き不在」。これまで、歴史家でありながら、何故、こんなに長く、民族的伝統を体現する音と調べと舞踏の世界を忘れていられたのか。見ないでいられたのかと思うほどの感動。それをいって彼女に笑われる。
 おそらく私などは、「村の神社」「村祭り」「盆踊り」が実態的な経験として、文化の一部として生きていた世代の最後にあたるのだと思う。「村の神社の神様の、今日は楽しい秋祭り」という歌の調べとフレーズが、実際の風景と胸の踊りの記憶とともに、なつかしいものとしてでてくる最後の世代だと思う。こう考えると、若い世代は柳田国男を読んでも実感がこないのではないだろうかと思う。そういう意味での素朴なナショナリズムの伝統が切れているのではないだろうか。これは歴史学にも責任がある。どうだろう。違うだろうか。

 簡単にプログラムを紹介すると、太鼓とチャンゴ(朝鮮太鼓)は、大倉流宗家大倉正之助とミン・ヨンチ。大倉正之助氏は三番叟。ミン・ヨンチ氏はジャズとの協奏でも知られている民俗音楽家。一昨年のダボス会議での晩餐会で音楽監督をつとめたという。演目は即興。
 舞踏は長唄とサルプリ舞、花柳貴比と金順子。花柳貴比さんは「水仙丹前」。遊里に通う男たちの身振りを舞踊化した舞踏から毛鑓の技へ。江戸の女の優美な力強さとでもいうのだろうか。金順子さんのサルプリ舞は優美な韓国舞踏で、白い布をまわせる。この布は天と地、生と死を結び、「恨」を解き放ち、魂を昇華させる象徴という。象徴性の高さはモダンダンスに近い雰囲気にまで行く。和服と韓服の取り合わせがなんともいえず美しい。
 民謡は柿崎竹美と金貞姫。柿崎さんは秋田長持歌、秋田音頭。これはなつかしい。金貞姫さんは、西道民謡中、夢金浦打令など。日本的に元気で乗りのよい柿崎さんと韓国のオモニという雰囲気の金貞姫の組み合わせは、会場のスピリチュアルな雰囲気を一気になごませてくれる。舞踏では日本の女と力強さと韓国女性の純粋さという感じだったのが、ちょうど役割がぎゃくになっているのが面白かった。
 琴は安藤珠希さんと張理香さん。安藤さんは生田流箏曲のまだ若い女性。胡弓もやられるという。張理香さんはカヤグムの独奏家。(日本)文部科学省推薦の教育用ビデオ「日本とアジアの音楽」に出演されているという。毎年独奏会があるとのこと。私はカヤグムを見るのも聞くのも初めてで、これは、いま考えているオオナムチ=大国主命のもっていた地震を起こす「琴」の問題にも関係して本当にありがたかった。

 連れ合いとは、本当に似ている。ヨーロッパの人は韓日・日韓の芸能をみ
ても区別がつかないのではないかと話す。私たちは一年ほどベルギーに留学していたことがあるが、ヨーロッパの人は、東アジア、とくに日韓の人を区別できない。とくにヨーロッパに二年以上いる東アジアの人々は、不思議なことに身振りも仕草も徐々に同質化していく。その基礎は根深いものがあるのだと実感。

 さて、今は夜、帰宅途中。今日の仕事は基礎的な下ごしらえで終わってしまい疲労。あとはうちに帰って寝るだけである。上記を読んでいると朝は元気であったことがわかる。昨日の韓国文化院の催しでもらった元気である。
 すでに一日がたって、自分の感情の動きの余韻はきえているが思い出しながら記録を残していくと、ともかくも驚いたのは、プログラムには日韓の芸術家おのおのの演目が書いてあるだけなのに、太鼓・舞踏・琴・民謡のすべてにおいて、競演となったこと。舞踏はあるいは最初から意識されていたのかもしれないが、他は、完全に予定されていた訳ではないように感じた。競演を作り出しつつある現場という感じで、それだけに素晴らしかった。
 まず太鼓と琴で興味深いのは、結局、韓国の音楽の方が音が低いこと。大倉流の包みは、ヨーッ、ホッ、ホッという声と鼓のタンという高い音がチャンゴの律動と響きあうのだが、これまでチャンゴをよく聞いたことがないので、その律動に感情を移入できないのが残念だった。しかし、独特な雰囲気が醸し出される。とくに私でもわかったのは、ミン・ヨンチさんの横笛の音である。これも日本の横笛よりも低音で、ときどきかすれた音になる。笛も日本の横笛より野太い感じのものである。笛を吹いてはチャンゴに写るのだが、その間も大倉流の素手打ちの高い鼓音が響く。これは聞き物であった。
 しかし、何といっても、女性の音楽家の競演は美しく、花がある。太鼓は演目の開始を告げる緊張の場作りの音であって、その後に登場する舞踏・民謡・琴は美々しく、競演になると興奮を呼ぶ。
 和琴と加耶琴の競演も、加耶琴の音が低く、音の揺れも激しく、目をつぶって聞くと地底からの響きのようにも聞こえる。加耶琴は弦を押さえるのに全身を使う。ハープの演奏のように全身を波打たせるが、ひれ伏すようにして弦をおさえ、そして身体を揺れ戻す。それに対して和琴の演者は正座で一音一音が明瞭な響き、高い響きを伝える。驚いたのは加耶琴の強い弾奏のあおに、一拍おいて「サクラ」の耳慣れた調べが高音で響いたとき、不思議な感じであった。
 もちろん、和琴の原型は韓半島から来たものであり、それのみでなく、加耶と倭国は深い関係にあったから、加耶琴は、和琴の直接の原型であるという。田中俊明さんの『大加耶連盟の興亡と任那ー加耶琴だけが残った』(吉川弘文館)を読んで、そういうことは知っていたが、読むと聞くとでは大違いである。
 舞踏の饗宴は圧巻であった。白い衣裳に烏帽子をかぶった花柳貴比さんは独演のときとは違う人のよう。幽明の世界から登場する精霊のよう。薄紅の羽衣をきた金順子さんは悲哀の中の天女のよう(連れ合いの詞)。何の筋もあるわけではないが、一枚の長く透明な白布を取り交わしながら、行き違い、伏し倒れ、二人で舞い、頬をよせ、手をとりあって退場する。
 しかし、この韓国・日本の舞踏・音楽からやってくる感動は何だろう。思い出したのは、入間田宣夫さんが「糠部の駿馬」で論じた『馬医草子』に描かれた「オオナムチ」という名の巫女の姿。彼女はたしか鼓をもった女性として描かれていたが、その着衣は、現代の和服とはことなって、舞台の韓国女性たちの着ていた寛衣に似ている。そして、その名前からすると、日本の鎌倉時代の巫女も地霊を呼び出したに相違ない。韓日・日韓の文化の相似というのは、民話論でよくいわれることであるが、そこには深い基礎があるのではないかと思う。そしてそれは基本的には紀元前後には証拠のある「鬼道」、つまりシャマニズムの伝統までさかのぼるのではないかという夢想が訪れる。岡正雄『異人その他』の描く世界である。網野善彦さんの「無縁」の執拗なる持続という言い方を借りていえば、シャマニズムの持続である。
 ともかくも、男性陣の太鼓はあくまでも序幕であり、人々を呼び集める劇の開始宣言のようなもの、中心は女性の舞踏と演奏である。中井正一は「日本の美」という論説で、アジアの民族は「生きるための努力の中のあやまちに一度、正面から絶望しているところがある」といっているが、その「絶望」のひそかな花芯には、女性の声を姿があるのではないかと思う。

 いま、月曜朝の総武線。日曜は、久しぶりに論文仕事。はるか昔に書いた経済史・貨幣論関係の論文について、はるか昔に批判をいただいた。反批判をさぼっていたが、必要があって、草稿を取り出し、大幅に追補して論文化している。論文を書くという作業は、単色のデッサンを描き込んでいく作業なので、脳神経の動きをそのままだせばよい。脳内電気情報のPC情報への形態変換である。少々のテニヲハの齟齬などいいやという感じで、また書いていってから、内容がふくらむにしたがって編別構成を考えていけばよいというのが何といっても楽であり、負担感がすくない。他分野の研究者・教育者や普通の読者を頭におく文章よりも楽に進む。
 これだけ自分の論文が批判されていることは再認識。私はいわゆる「戦後派歴史学」の先達に対する批判は別として、ほとんど他者の論文の批判ということをやらないので、自分が批判されても緊迫感がないのだろう。忘れてしまうのである。それにしても、これだけ誤解をうけているのに反批判もしなかったというのは、結局、自分の論文に愛着と執着がないということなのであろうと反省する。

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