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2012年12月31日 (月)

看よ看よ臘月尽く(虚堂智愚一)

 看よ看よ臘月尽く(虚堂智愚一)
Jitakukaidan  大晦日。今年も終わりである。大掃除に一部参加。この階段を拭いた。写真ではあまりきれいにみえない。御勘弁。
階段をよごすのは猫であることを発見。彼女の爪が抜けて二つもころがっていた。階段でもっとも派手に活動するわが家の住人は猫である。彼女もそろそろ年。階段をもの凄い勢いでかけのぼる彼女の足音が、ずっと元気であることを願う。
 友人のT氏から、年末の挨拶が来る。文末に「なお、当方昨年の東日本大震災に伴う原子力発電所の事故以来、本貫の地を喪失させられた思いから抜け出すことができません。誠に勝手ながら、明春の年賀も遠慮させていただきますので、失礼の段、ひらにご容赦ください」とある。
 私の賀状にも自然に「謹賀新年」の言葉はなかった。昨年も「謹賀新年」とは書かなかったが、これはしばらく続くことになると思う。すでに10年ほど前から、私の年賀状の差し出しは、西暦も元号もつかわず、「核時代後」という年号を使っている。2013年は「核時代後68年」ということになる。この年号が将来の人類社会のなかで、破局的な意味をもつようなことにならないことを願う。
 「こぞことし(去年今年)貫く棒の如きもの」(虚子)という詩は有名だが、『禅林句集』に「千里万里一条の鉄」という大燈国師の七字があるのをみつけた。時間と空間の違いはあるが、同じような達観を感じる。人間の時間も空間も、経験が長くなってくると、自由ではなくなり、鉄の如きものに串刺しにされて、もがき、前に進むほかないという結果になるということだと思う。T氏の手紙にも、「これから先、いつまで生きられるか、これは神が決めることですのでわかりませんが、出来るだけ生きる努力をして、少しでも前進させていきたい」とある。
 しかし、問題は、いま日本社会が貫かれているものは、一つの怪物であるということである。

 
 さて、一週間ほど前であったと思う。職場の史料編纂所で滋賀のM氏に久しぶりにあう。ここ10年はあっていなかったが偶然にあった。偶然がなければあわなかったろうが、彼はちょうど新幹線のなかで私の文章を歴史経済学の文章を読んでいたということで驚いたと。私も驚いた。本当に久しぶりに長く話す。研究者仲間で、おのおのの研究を位置づけあっている仲というのは不思議なもので、おのおのが頭の中に棲んでいる。だから長く会わなくても、脳内では長く会わなかったという感触はない。顔と著書・論文の内容が接近してくるのに若干の猶予時間が必要なだけである。
 経済史や村落史の研究がばったりとなくなっていることをどう考えるかというのがもっぱらの話題。どうにかしてそこに戻らなければならない。同じ「鉄のごときものに貫かれている」ということなのであるが、ともかく、2013年こそは、こういう時だからこそ、仲間とともに、前に進んでいるという感覚を取り戻したい。

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